寝台に上がったカイトは、物珍しそうに辺りを見渡す。傍らに立って微妙な顔をしているがくぽへと視線を戻し、首を傾げた。

「ヘンな感じ」

「………すみません」

しょちぴるり

第1部-第10話

共に寝るために探していたのだと聞いたカイトは、だったら住処に戻ろうと言った。

「人間って、おうちじゃないと寝られないんでしょ?」

無邪気なその問いに、いろいろ答えがあるような気はした。

それでも推測だけで済ませずに、がくぽは訊いた。神は『家』に寝ないのかと。

カイトはあっさり頷いた。

「うん。好きなとこで寝る。寝たいなーっておもったとことか、今日ここで寝なよって『声』かけられたとことか」

声を掛けるのは、草花や獣だ。ただうたうだけでなく、カイトにはそういったものの『声』が聞こえるらしい。

「だってそうじゃないと、なんのうたがほしいか、わからないでしょ?」

驚いたがくぽに、反対にカイトのほうが呆れたように言った。それもそうだと納得するような、納得してはいけないような。

カイトの『うた』は、失われた太古の装飾音だ。神事や魔術にのみ用いられる神代言葉というもので、すでに一般からは失われ、忘れられている。

国にいた神や神官がうたっているのを漏れ聞いたことはあるが、その程度だ。

あくまでも剣士であるがくぽには意味が取れないから、うたの差がわからない。さっきのものと旋律が違うというくらいのことは聞き分けるが、それがどんな意味を持っているのかまでは、さっぱりだ。

自由気ままにうたっているように思えたカイトだったが、野辺を歩き回って『声』を聞き、求められるうたをうたっているのだという。

「うたうの好きだし、なんでもいーんだよ、おれ」

カイトはあっさりと言った。

「それに、前にきいた、あのうたがすてきだったから、今日もききたい、とかいうのもあるし」

楽しそうなことだけは相変わらずだから、がくぽはこだわることを止めた。

カイトがやさしい性質だということは、重々わかっている。いくら自由に振る舞っていても、自分の好き勝手にだけうたって、満足するようなことはないだろう。

『お花を育てる』といううたが、ただの娯楽ではなく、『仕事』であることもまた、わかっている。

ならば『観客』の求めに応じることもあろうし、どうしても必要なうたもあるだろう。

「………雨の日や、冬などはどうするのです?」

人間としてはもっともな問いだったが、カイトは訊かれていることがわからない顔で、首を傾げた。

「ぬれるのいやな日は、どーくつとか、木のほらに入る。ぬれてもいーやって日は、やっぱりそとで寝る。冬もおんなじだよ?」

「………」

神と人間の体構造を、いっしょにしてはいけないことだけは、よくわかった。

そもそもが、常に冷気を放つ体だ。血の色が赤いことは知っているが、あれは人間に紛れても迂闊にばれることがないように、後年模造しただけだと聞いたこともある。

真偽はともあれ、少なくとも、厳重な囲いの中で温度調整を行わなければ死んでしまう、やわさはないということは確かなようだ。

「毛布を持って来れば、外で寝ることも可能です。いっしょに寝たいというのは私の我が儘ですから、あなたに合わせます」

――もちろん、いくら毛布があったところで、雨が降っている中で寝ることや、冬場に外で寝ることは無理だ。

それでも、メイコに命じられたという部分を伏せ、自分の我が儘という形で押し通したがくぽは、そう提案した。

カイトによって、あっさり却下された。

「別にそとじゃないと、ねむれないんじゃないもん。必要がないからおふとん、つかってないだけだし………いいんだよ、そんなの気にしなくて。がくぽはもっと、自分のこと大事にしないとだめ」

そう言われて、結局、住処に戻った。

がくぽの思惑では、カイトを寝台に寝かせて、自分は床に転がるつもりだった。

メイコの思惑としても、同じ部屋に眠っていればいいはずで、同じ寝台に並んで寝ろということではないはずだ。

カイトは主だ。守り役という立場はつまり、カイトを主と仰ぐことだ。

主と同じ寝台で寝ることはできない。

がくぽにとって、それはあまりに不遜なことだった。――のっぴきならない体の事情もある。

今は胸の痛みが残って我に返るが、同じ寝台に寝て、その吐息を間近に感じ、肌に触れて、安眠出来るほどに枯れた体ではない。

だが、カイトはこれまたあっさり、却下した。

「なんでおれと寝るの、いや?」

躊躇いがちに訊かれると、いやだと突っぱねきれない。

主とは同じ寝台に寝ないものだと説明もしたが、これは逆効果で、『おれ、あるじじゃないもん!』と怒らせて、頑固にしただけに終わった。

そして結局、同衾決定。

しばらくは不思議そうな顔をしていたカイトだったが、促すまでもなく、自分から布団に潜りこんだ。躊躇うがくぽを、じっと見つめる。

暗闇の中では、色がわからない。

昼日中に見ると、南の海の色をしたカイトの瞳だが、今は夜空を映したように闇に沈み、そこにあえかな星が散って輝いているような気がした。

束の間見惚れてから諦め、がくぽもカイトの隣に潜りこむ。

「ぁは」

「……っ」

無邪気に笑ったカイトは、がくぽの胸に擦りついてくる。動揺とともに走ったのが痛みで、がくぽは堪え切れずにびくりと震えた。

一度は埋まったカイトが顔を上げ、息を詰めるがくぽに瞳を瞬かせる。

「………なおってきたって、いってた」

「………すみません」

「さがして走って、わるくしちゃったの?」

「いえ……」

主にあなたのお姉さまに踏まれて、悪化しました。

――とは、言えない。

そんなことを言えばカイトはまた泣いてしまうかもしれないし、下手をすれば、きょうだい仲にひびを入れてしまう。

メイコはやたらと気が強く粗暴だが、弟を愛して案じているのだけは確かだ――と、がくぽは思う。

取る方法や手段が強引かつ乱暴なのだが、根底には無邪気過ぎる弟を案じる感情がある。言っても聞かない、意外に頑固なカイトの性質のこともある。

そのせいで尚更、メイコの言動は力任せになっていくのだろう。

力任せになったことで、平穏を愛するおっとりのんびりした弟に、さらに通じなくなる悪循環ぶりだが、そこには口を挟まない。

がくぽがやるべきはただ、自分のことできょうだい間に、滅多やたらな不信感や嫌悪感を抱かせないようにすることだけだ。

「私の落ち度です。あなたのせいではありません」

「……」

微笑んで言ったがくぽに、カイトはわずかに拗ねたようになって、再び布団に顔を埋めた。あまりがくぽに触れないよう、気をつけている。

それもそれで可哀想だなと思う。

普段の行動を見るにつけ、カイトはひとと触れ合うことが好きだ。すぐに手を繋ぎたがるし、座ると膝に手を置かれたり、凭れかかられたりするのは常態だ。

今のところはがくぽを甘やかしてくれているが、基本的には甘えたがりなのかもしれない。

「………」

「……っ」

自分で自分の首を絞めている気しかしなかったが、がくぽは体を横向きにするとカイトの後頭部に手を回し、やわらかに撫でた。あまり押しつけ過ぎない程度に、胸へと抱き寄せる。

一瞬強張ったカイトだが、その体はすぐにほどけて、自分から擦り寄って来た。

沁みこむ冷気に、がくぽはくちびるを噛む。それでも反射で、ぶるりと体が震えた。

「あ、そっか」

気がついたカイトはのん気な声を上げると、自分の口元に両手を運んだ。ふ、と軽く、息を吐く。

「ほら」

「……」

伸ばした手がやわらかな暖かさを伴って、頬を撫でた。

瞳を見張るがくぽに、カイトは笑って擦りつく。

そうやっても今度は、冷気が沁みて来ない。むしろ、心地よく暖められた。

「………カイト殿」

心地よかったが、それはそれで懸念されて、がくぽは寝る姿勢に入ったカイトを呼んだ。

「………このように力を使って、大丈夫なのですか」

「ん?」

冷たいのが、神の体の常態だ。手を握っていても、暖まったことはない。

その体が暖かいというなら、そこにはなにかしらの『力』を行使しているということだ。

際限がなく思える神の力だが、力を行使していては、安眠など出来ないのではないか。

がくぽの懸念に、カイトは片手を布団から出して振った。

「だいじょうぶ。これくらい、つかってるうちに入んない」

「………」

がくぽは考えた。

カイトは冬場も、外で寝ると言った。もしかしてこういうことで好きなように温度調整が出来るからこそ、冬場にも外で寝ることが当たり前と化しているのではないか。

考えながら、カイトを抱きしめる。

腕に力が入りがちになるのをどうにか押さえたが、難行だ。

閃かせた手が布団に戻り、カイトはがくぽの寝間着の胸元をきゅっと掴んだ。

縋るようにも取れるしぐさに、がくぽは動けなくなる。

動けば、抱き潰すほどに腕に力を込め、そのまま――

「ふにゅ」

気の抜けるような吐息がこぼれ、カイトが寝に入ったことがわかった。

体から力が抜けて、けれどがくぽに縋りつく指だけは残る。

「す………ふ…………っ」

がくぽは瞳を閉じると、深く静かな呼吸をくり返した。

横たわり、呼吸法を行う。

たとえ眠れずとも、それで多少の英気を養うことは出来る。

どこか捨て鉢な考えだったが、眠気はほどなくやって来た――本復していない体はいつまでも欲望にかかずらってはいられず、カイトから立ち上る薄荷の香りは、意外にも心を鎮める手伝いになった。

眠気に惚けたところでカイトをきつく抱きしめて擦り寄り、がくぽは夢の国へと落ちて行った。