しょちぴるり

第3部-第4話

「詰まらないのですよ」

言葉どおり、本気でつまらなそうな表情と声で、キヨテルはぶっすりと不機嫌に吐き出した。

あまりに間近で吐き出されて、カイトはきょときょとと瞳を瞬かせる。

本心を言うと、あっそう、だから――だ。

キヨテルがつまらなくても、カイトは一向に構わない。むしろ、それはよかったとすら思う。

もちろん、そんなことはあまり思いたくない。それでもどうしても、キヨテルのことが好きになれない。

がくぽを殺しかけたということもあるが、あの一事は己にも責がある。

キヨテル自身、言っていた。がくぽが常態であれば、己ごときの剣を身に受けるはずがないと。

たとえそうだったとしてもやはり間違いなく、逃れようなく、カイトの責はある――完全に、致命的にがくぽが喪われるより前に、そのことに気がつけたことは、よかった。

『危なくなったら逃げる』という、カイトにとっては至極当然に思える軛を外してからのほうが、がくぽの動きはいい。キレが違う。

以前も、流れるようにきれいに動くとは思った。

今は違う。

見えない。

太刀筋が、追えない。

カイトが戦いに慣れていないにしても、人間とは視覚の有り様が違う神だというのに、その目ががくぽの太刀筋を見切れない。

優れた剣士だったというのは、疑いようもない。逃げるより正面切って戦わせていたほうが安全なのだというメイコの言葉にも、不承不承ながら、頷かざるを得ない。

だからある意味において、キヨテルは恩人だ。

しかしそれはそれ、これはこれ。

「近づくなっ、貴様っ!!」

「近づいて欲しくないなら、近づけなければいいでしょうよ、神威!!」

がくぽが放った足蹴を、キヨテルは身軽に避ける。これは折りこみ済みの反応で、がくぽはそもそも、キヨテルに足蹴が当たるとは思っていない。

がくぽは剣を持ってこそ本領発揮の剣士で、体技も一応は修めているが、あくまでも一応の段階だ。

体技第一で仕込まれている隠密衆に、そんな生温い足蹴が通じるとは思っていない。

思っていないが足蹴を放ったのは、キヨテルがあまりにカイトに肉薄していたからだ。カイトを避けて剣を振るうことなど朝飯前だが、たとえそこにキヨテルがいたとしても、カイトに向かって剣を振り上げたくない。

甘かろうがなんだろうが、がくぽには確固たる信念があって、そして東方の剣士は信念に準じて主を選び、信念に殉じて戦うものだった。

そうやって剣士が狂的に主に忠誠を誓い、逃げも隠れもせずにひたすら命の限りに突き進んでいくものなら、隠密衆は柔軟に、時として戴く主すらも変えつつ、己の最も果たしたい目的のためなら、逃げることも敗北することも厭わないものだった。

東方の剣士と隠密衆は、同じ国で生まれ育ったと言うのに、あまりに標榜することが違う。

こんな二つの思惑を平然と抱える東方は狂気の国だと、諸国から頭を抱えられる由縁だ。

「まったくもって、腹が立ちます!!」

飛び退って十分な距離を開けたキヨテルは、いつもの泰然とした態度を崩し、苛立ちも露わに叫ぶ。

カイトはきょとんと瞳を見張ったが、がくぽは鼻を鳴らすだけだ。

隠密衆の、それも頭目格を務める相手の見せる感情など、九割方、相手を騙すための擬態だ。残り一割といえば、相手を嘲るための。

幼馴染みとして修行時代から互いに、相手の手の内を観察し、推測しながら生きてきた。

おかげでがくぽは、普通の剣士よりは隠密衆の技に詳しく、キヨテルもまた、他の隠密衆よりは剣士の太刀筋に詳しい。

なにしろ、修行の間に間に顔を合わせるたび、仕合って来た――新しく覚えた技で、今度こそ相手を仕留めんと。

殺伐としきった幼馴染みなのだが、どういうわけかカイトの目には、二人が大変な仲良しに見えるらしい。

キヨテルが顔を見せるたびに、がくぽを取られたと、自分よりも仲が良いと、ヤキモチを妬いて拗ねる。

どう説明しても、なにがあってそうなったのか、カイトのここの刷り込みたるや、堅牢にして強固だ。

今に至っても、誤解のごの字も解けていない。

だからがくぽとしては、キヨテルは疫病神以外のなにものでもなく、姿を見せられることは非常に迷惑だった。

それすべてを差し引いたとしても、自分の命を狙い、破壊と再生の両方の力を使える神、カイトを狩りに来ている相手だ。

迷惑という次元の話ではない。

しかしがくぽの感想は、迷惑の一言に尽きた。そこがカイトの誤解を解けない理由のひとつになっているのだが、意思疎通に問題がある二人は、未だにこの話に決着をつけられないでいた。

それはそれとして、キヨテルだ――カイトが日課の野辺歩きをして、休憩のために木の根元に座ったところで、唐突に現れた。

がくぽは傍の小川に水を汲みに行っていて、ほんのわずかに反応が遅れた。

致命的ではあった。

隠密衆は毒を使うことに躊躇いがなく、キヨテルの武器という武器にはすべて毒が仕込まれている。

致死的なものから痺れるだけのものまで効果はさまざまだが、針の一刺し出来る隙があれば事が済むという、空恐ろしい相手だ。

その相手に、ほんの刹那であっても、カイトの傍に寄る機会を与えた。

がくぽは己の迂闊さに、舌でも噛み切りたい気分だった――少しばかり、気もそぞろだったことは認める。

ここのところ、ずっとしている探し物を、つい、習慣で探して――

「なにが腹立つって、神威がしあわせそうなのがいっちばんっ腹が立つんですよぉおおお!!」

「それは良かった!!」

「………」

絶叫したキヨテルに、がくぽは肉薄して剣を放つ。避けたものの前髪が散って、キヨテルはさらに飛び退って、がくぽの射程から遠のいた。

遠のいても、油断は出来ない――体技第二、剣技第一で仕込まれている剣士だが、ふざけた話で、彼らは剣を持っていると身体能力のすべてが向上するという、いやな特性を持っていた。

空手ならば、受け身を取ることすらもたつくくせに、剣を先に走らせていると、一瞬で間合いを詰めて来る。

剣士にとって剣はねこか犬のしっぽだと、隠密衆は陰で唾を吐いている。

吐いているが、まったく油断出来ないのは確かなのだ。どう体技を極めた隠密衆であっても、剣を抜いた剣士に『体技』で負けるという、地団駄踏む事態も間々ある。

「ああもう、ほんっとしあわせ醸し出して………っくうっ!!なんですか、剣のキレ具合がもう、これのしあわせぶりを示していると思いませんか、麗しの花の神!!」

「………」

そう言われても、戦いの経験などないカイトには、よくわからない。

ただ、やはり見えないと思うだけだ。

がくぽの剣は動きが速過ぎて、風切り音とすら映像が合わない気がする。

「………がくぽがしあわせなのは、いーことだもん」

それでも、カイトはぽつりとつぶやいた。

キヨテルは、嫌いだ。

自分ががくぽに気を赦されていないと、まだ線を引かれていると、まざまざ見せつけるから。

がくぽはしあわせだとキヨテルは言うけれど、そのキヨテルが来ることで、カイトは腹が凍りつくような気がする。

同じ寝台に寝て、体を重ねて、がくぽに求められて――愛しいとささやかれ、熱を与えられ、そうやって体に溜めたすべての想いが、しあわせを与えてくれていたものが、一瞬で崩れ落ちる。

冷え冷えとしていく下腹を感じて、カイトは無意識に、着物に隠れたそこを撫でる。

そんな思いは抱きたくない。

がくぽは懸命に、カイトに愛を与えてくれている。

きっと、きっと――

言い聞かせても、虚しい。

がくぽのキヨテルに対する、あまりに気安い態度を見ていると、慣れ親しんだ呼吸を見ていると、カイトの腹は冷えて、咲いた花が散るような心地に陥る。

「がくぽが、おれのとこいて、しあわせなの、いーことなんだからっ」

「カイト殿」

吐き出すカイトに、がくぽが気忙しげな声を上げる。

カイトはくちびるを噛んで、俯いた。

今、自分はきっと、とても醜い顔をしているだろう。嫉妬に歪んで、狂った、みっともない顔だ。

こんな顔を見せては、がくぽに嫌われる。

嫌われたら、平静には生きていけない。

きっと、選んでしまう――『滅びのうた』を。

世界を盾にして、がくぽに迫るだろう――自分を選べと。

「……っっ」

みにくい。

きたない。

いやだ。

がくぽが、そんな自分に気を赦せないのは、当然だ。

当然だけど――せめて、幻想だけでも抱いていたい。がくぽが愛しているのは、もっとも必要としているのは自分で、求めるのも与えるのも、カイトだけだと。

その幻想の中で生きていたいのに、キヨテルが来ることで、現実に引き戻されてしまう。

自分は醜く、汚く、愛される価値もない存在だと――