しかし結論を言うと、ルカの答えもミクと大差なかった。

しょちぴるり

第3部-第12話

「わるいもの、では、ありませんわ。でも、よいものかと、問われると――」

「………」

今度は性急に立ち上がることはなく、がくぽはくちびるを噛んで俯いた。

カイトが気忙しげに、がくぽとルカとを見比べる。そもそもは自分の体の問題だが、何度も言うように、異常も感じられず、不都合なことも起きていない。

深刻なのはがくぽだけで、どうしてそこまで気にされるのかが、わかっていない。

「それに、あたくし…………これ、覚えが……………たしか……たしか、そう………………」

「………ルカ殿?」

「ルカだいじょぶ?」

ミクと同じように、ルカも頭を抱えて惑乱に落ちた。

懸命に記憶を探りながら、その記憶に到達できない。

記憶にあったという、記憶だけがある。

「あかい……………あかい、さく…………さく、ときに…………きざまれる、きざ……」

「………っ」

「ルカ!」

つぶやかれる言葉は断片で、おそらく別々の文節を連ねている。しかしこぼれた言葉だけを通して訊くと不吉さを増して、がくぽの顔は青ざめた。

背後でがくぽが身を固くしていることは、膝に抱かれていれば伝わる。なにより、抱く腕に痛いような力が込められた。

カイトは慌てて手を伸ばし、うずくまって地面へと潜りこみそうになっている女ノ神の頭に触れる。

「ちょっとごめんね………」

断ってから、がくぽをちらりと見やり、その膝から下りる。

したいことがわかったので抵抗もせずに下ろし、のみならず、がくぽはわずかに後ろへとにじって、カイトから離れた。

確認し、カイトはルカの頭に触れたまま、咽喉を開く。

「♪」

――うたわれたのは、いのち与えるうただ。

旋律の心地よさも、声の明朗さも、詳しくないがくぽにすらわかるほどに。

しかし。

「きゃぁああああああっっ!!!」

「っっルカ?!」

うたが降って来た途端に、ルカは悲鳴を上げてのたうち回った。

「え、なんで、どうして………っ」

「カイト殿、なにか別の………」

「でもまた、こんなになったら……!」

「しかし!」

これまでなかったことなのだろう。カイトは狼狽えて、のたうち回るルカと森とを見比べるだけだ。

腰を上げたがくぽにしろ、神のことだ。対処法など知らない。

「ではせめて、ミク殿を呼び戻すことは……」

「ミク……あ、じゃなくて、めーちゃん!」

なんとか提案を重ねたがくぽに、カイトの表情にも光が戻った。

結論こそずれたが、対処法があるならそれに越したことはない。

がくぽは腰を浮かせ、メイコの気配を探った。

遠い。

「少し……」

走りますと言おうとしたがくぽを見ることなく、カイトは頭上へと咽喉を開いた。

「めぇちゃぁんっ、来てぇっ!!」

いくらカイトがうたの神で、その声が朗と響くとはいっても、限度がある。届く範囲ではなかった。

メイコとの距離は、刹那に繋がるようなものでは。

「………っ」

がくぽは額を押さえ、傍らのけもの道から姿を現した、炎纏うような女ノ神の姿に打ちのめされた。

確かに今、ルカだとて木の幹から出てきたが――

「なによ」

いつもの通りに古びた矢筒を背負ったメイコは、不機嫌に吐き捨てた。

すぐに、地面をのたうち回るルカの姿を認めると、険悪に瞳を細める。

「………なにしてんのよ、あんたたちは……」

「わかんないわかんないけど、どうしたらいいの?!」

「わかんないことなんか、あたしにだってわかんないわよ!!」

涙目で叫ぶ弟神に、姉神は至極もっともなことを叫び返す。

詳しい説明なしでぽっと現れて、よくわからないがどうにかしろと言われても、無理だ。

しかしどこまでも常識外れなのが、この姉神だった。弟神には憤然と叫び返しておきながら、ずかずかと足音も荒くやって来ると、転げまわるルカの頭を無造作に掴み上げる。それでも暴れる体にわずかに揺らぎながらも、手を離すことはない。

見た目を裏切る膂力だが、がくぽはそう意外とも思わなかった。

メイコだからだ。

――非常に悲しい学習が、間違った方向で擦りこまれている、がくぽのメイコ観だ。

「っぁあああああ!!」

空白の表情で叫ぶルカを睨みつけると、メイコは頭の中に指をめり込ませた。瞬間的に奥歯を軋らせると、吐き捨てる。

「ばかが。禁忌にふれたわね」

「っ、メイコ殿っ!」

弟に対しても容赦のない扱いをする相手だ。苦しむ相手に慈悲の心を持てというのが無茶かもしれないが、目に余る。

腰を浮かせたがくぽだが、カイトに着物を引かれて止まった。

涙目のカイトは、喘ぎながらがくぽを見つめる。

「………おねがい、がくぽ……」

「………」

メイコの非道を、黙って見ていられるカイトではない。それで自分が虐められることになろうと、止めてくれと取り縋る。

それが、堪えろというのだから、――とてもそうは見えなくとも、メイコはなにかしらの対処中なのだ。

腰を落とすまでにはいかないまでも、とりあえず動きを止めたがくぽの前で、メイコの手は完全にルカの頭に埋め込まれた。

それも一瞬で、すぐに引き抜く。

その手は血みどろに濡れることもなく、元と変わらなかった。

対してルカのほうも、血を流すでもなく原型を失うでもない。

力なく地面に横たわってはいるものの、悲鳴を上げることものたうち回ることもなくなっていた。

「めーちゃん………」

「なんでもいいわ。うたってやんなさい」

「………」

軽く放り投げられた言葉に、カイトはきゅっとくちびるを噛む。

うたった結果が、これだ。

なにが禁忌に触れ、ルカを苦しめることとなったのか、わからない。

黙りこむ弟神に、メイコは片眉を跳ね上げた。望まれてこれまで、カイトが即応しなかったことはない。

訝しげなメイコに、がくぽは腰を落としながら口を開いた。

「不調の………具合が悪いルカ殿に、カイト殿がうたいました。結果が、今です」

「………へえ?」

今度はメイコは、ルカとカイトを見比べた。

カイトはくちびるを噛み、請われたことで迸ろうとするうたを堪えている。苦しいのだろう、華奢な体が哀れなほどに震えていた。

それでも原因がわからないままにうたえば、またルカを苦しめる結果になるかもしれない。そう思えば、自分の体に募り篭もる『力』の痛みに、懸命に耐えている。

「この子、なにしたの?」

顎をしゃくってルカを示したメイコに、がくぽは束の間言い淀んだ。

さっきから訊く相手訊く相手、同じような変調を来している。

このうえさらにメイコまでとなれば、『わるいものではない』という意味すらも、反転せざるを得ない。

「しらないの?」

「いえ」

重ねて訊かれ、がくぽは口を開いた。

言わなければ、メイコの中でのルカは、勝手になんらかの禁忌を破り、勝手に苦しんでいたことになる。つまり自業自得で、助ける甲斐さえない。

罪があるなら、カイトを思うあまりにことを急いた、がくぽだ。

「カイト殿の、体の変調………体の、変化を、見てもらっていました。その途中で、具合が悪くなられて」

「へんか?」

案の定、メイコの瞳が鋭くなる。

がくぽは諦めると、懸命に声を押さえるカイトの着物を開いた。

わずかに体を捩ったものの、カイトはそれどころではない。望まれてうたうことは自由意思ではなく、強制であり、脅迫でもあるのだ。

それがカイトにとって不快ではないから、見ているものも楽しめるだけのこと――

「この、腹のところの、痣です。その前にミク殿にも見ていただきましたが、悪いものではないと。けれどいいものとも言い切れないから、ルカ殿に見てもらえと――」

「……………」

「ミク殿も、途中、具合が悪そうになられました。しかし、ご自分で回復なさって――ルカ殿に関しては、カイト殿がすぐにうたを――」

「…………………」

鋭い瞳で見つめていたメイコだが、ふっと横たわるルカへ視線を流した。

それから、懸命にうたを押さえこむ弟神を。

「………かまわないわ。うたいなさい、カイト。今はへーき」

「…………っ」

姉神の言葉に、カイトは咽喉を開いた。

「♪」

「………っ」

止められていた力の放出は凄まじく、いのちのうたには違いないのだが、瞬間的に森が轟と啼いて揺れた。

そして一瞬後に止むと、森全体の空気までもが、生き生きと輝いていた。どうやらルカだけでなく、周辺すべてのものに恩恵が与えられたらしい。

がくぽですら、懸念があって心が晴れないまでも、体が軽くなったと感じた。

「……………子供じゃないんだから、力くらい、きちんとつかいなさいよ、あんた……」

「ぅっ、けほっ、こほ………っ」

「カイト殿……っ」

呆れたようにつぶやく姉神に答えることも出来ず、カイトは急激な力の放出と、酷使された咽喉の痛みにむせ返る。

慌てて背を撫でるがくぽにきゅうっと縋りつき、胸に顔を埋めた。

膝の上に乗せて抱きしめてやると、未だ小さく咳きこみながらも、安堵したように体から力を抜く。

「………おきた?」

「ずっと起きていましたわ。怠かっただけです」

カイトの問いに、地面に転がっていたルカはゆっくりと体を起こした。小さく息をつき、乱れた髪を撫でつけ、土埃を払う。

「いい衝撃でしたわ。ああ、貴女のことですけれど、メイコ」

腐す言葉に表情を曇らせたがくぽにはやさしく笑い、ルカはメイコへと刺々しい視線を送った。

仮にも、命の恩人――そこまで言うのが大袈裟でも、助けてくれた恩人だ。

「ルカ殿、その……」

「貴女のやり方はいつも、乱暴なんですのよ。頭の中を直接に引っ掻き回されるほうの身にも、なってくださらない?」

がくぽの弁明を聞こうとせずに、ルカはメイコに向かってつけつけと言う。いつも、誰に対しても穏やかで慈愛深い、彼女らしくもない態度だ。

メイコといえば、反省の色もなく鼻を鳴らした。

「だったら、そうにならなきゃいいでしょうが。ならなきゃ、あたしだってそんなことしないわよ」

「またそういう、反省のない!」

ルカは食ってかかるが、メイコはさっぱり相手にしない。

カイトを抱えたままはらはらと見守っていたがくぽだが、なにか見覚えのある光景のような気がした。

どこでと考えて記憶を漁り、はたと思い浮かんだのが、故郷の妹二人のことだ。

仲良し姉妹と言い切るには少々刺々しい関係だった二人が、よくこんなふうに口論していた。不遜にふんぞり返る姉へ、妹がきゃんきゃんと喚く――

辟易として、諌めてくれないかと訴えたがくぽに、母は笑って言っていた。

――甘えてるのよ、あの子。素直じゃないんだわ、あんな甘え方。お姉ちゃんもわかっているし、放っておきなさい。

がくぽの感想は、一言に尽きる。

女性はわからない。

長年付き合いのあるカイトはどうだろうと見下ろすと、力の余波も消えて、ようやく落ち着いたようだった。

窺う顔のがくぽにきょとりと瞳を瞬かせてから、口論中の女ノ神を見る。

「………なに?」

「いえ」

不和を嫌うカイトが、反応しないのだ。やはりがくぽが考えたとおり、ルカがメイコに甘えているという構図らしい。

首を振ったものの、それではカイトの不審は拭えない。

素直に、ふたりが喧嘩をしていると思ったのですと言ってもよかったが、がくぽは別の話題を振った。

「メイコ殿ですが」

「うん」

「………先ほど、どのようにして召喚を?」

訊いたがくぽに、カイトはきょとんと瞳を瞬かせた。

「えなに、むつかしい………」

「ええと、ですから……」

予想通りの返答に、がくぽは言葉に詰まりながら、頭を高速で回転させた。

しどろもどろになりつつ、遠くにいたはずのメイコが一瞬で現れたカラクリがわからない、ということを説明すると、カイトはひどく簡単に頷いた。

「めーちゃんは、よんだら来てくれるの。いっつもいろんなとこいるでしょ探すのタイヘンだから、よんだら来るって、『約束』してる」

「………」

「がくぽ?」

わずかに項垂れたがくぽだ。

ついこの前、がくぽがメイコを探しに行くと言ったときに、カイトがおかしな間を開けたことがあった。

探さないでも呼べば来ると、言いたかったのだろう。

言わなかったのは、がくぽが口づけで塞いだせいだ。言えなかった。

待っていろと、先に願った。

願われれば、叶えるのが神。

カイトという、願い叶える神だ――