「めーちゃんっっ!!がくぽふまないでっっ!!」

「メイコっ!!たまごが割れたらどうしますの、貴女っ!!」

容赦なく踏む力に抗するため、がくぽはほとんどしゃべれない。

代わって抗議したのは、膝に抱かれたままのカイトと、腰を浮かせたルカだった。

しょちぴるり

第3部-第20話

メイコはそれくらいでめげたり、反省したりするような性質ではない。ふんと不遜に鼻を鳴らし、がくぽの背を踏む足にさらに力をこめた。

膝の上にはカイトがいる。カイトと、たまごが。

がくぽはあらん限りの力で抗し、背筋を伸ばした姿勢を保った。

「なんかナサケナイ話がきこえたから、よってみたのよ。この根性を、もうすこし、自分で信じてみたらどうなの、おまえ。いっておくけど、自分も信じられないで、このヌケマのことだけは信じてるとかぬかすようなら、たまごごとふみツブすわよ」

「めーちゃ、やめっ、ぁ、がくぽっ!!」

自分たちがいることが邪魔なのだと、ようやく気がついたカイトが膝から下りかけたが、がくぽは腰を抱いて離さなかった。

おろおろと泣きべそを掻くカイトへ笑ってみせると、振り返ってメイコをきっと睨みつける。

「私を踏み潰したいなら、お好きに。そうそう簡単に踏み潰される、やわさではありませんが………しかしながら、未だ無辜のものまで諸共に道連れにすると言うなら」

片手ではカイトを抱き、体幹の筋力はすべてメイコの足に抗することに使っている。

それでもがくぽは残る手を剣の柄に掛け、鐔を回した。

その体から、ゆらりと鬼気が立ち昇る。ルカは厳しい表情で後ろへにじり、カイトは慌ててがくぽに縋りついたが、肝心のメイコは明るく笑った。

「むつかしいわ!!なにいってんのか、ぜんっぜんわかんないっ!!」

高らかに宣言すると、唐突に足を引く。

力の反動で倒れかけたものの、どうにか堪えたがくぽを莫迦にしきって見下ろすと、鼻を鳴らした。

「それだけのカクゴがあって、ナサケナイこと、口に出すんじゃないわ。口に出したことは、まねくこと。不吉をそうそう、まねくわけにはいかないの。わかるわね?」

「…………」

荒がる息を無理に押さえこみながら、未だ厳しい瞳でがくぽはメイコを見つめる。

神に対して無礼そのものの態度だったが、メイコは気にしなかった。

「東の剣士は、そうまでオウジョウギワがわるいの生まれちゃったもんは生まれちゃったんだから、とっとと腹ぁ、きめなさいっ!!」

「っっ」

轟、と。

森が啼くような、喝破だった。

思わず別の意味で背筋を伸ばしたがくぽがなにか言葉を紡ごうとしたときには、すでにメイコの姿はない。

気まぐれにもほどがある。

「………その」

「……ごめんなさい。それはさすがに、メイコのほうに一理あると、あたくしでも言わざるを得ませんわ」

「………」

情けない顔を向けたがくぽに、ルカは顔の前でぱんと両手を合わせ、言う。

しばらく見つめて、がくぽのくちびるからぷっと呼気が漏れた。

「っははっ!!」

「ふ、わ……がくぽ」

がくぽが声を立てて笑った記憶など、ない。

膝に乗せられたまま呆然と見入るカイトを、がくぽは笑いながら抱きしめた。腹に置くたまごも、諸共に抱きしめて、笑う。

「ぁははははっ!!」

「わ、わわっ………」

がくぽは笑いながら勢いよく立ち上がると、膝の上のカイトとたまごを宙に掲げる。

よくある子供遊びの『たかいたかい』――だが、カイト諸共だ。

たまごを落とさないようにと、カイトは慌て気味で、普段なら楽しむだろうその遊びにも必死な顔だ。

「ぅーわー………とうとう壊れたねえ、かわいそうに………たとえ壊れても、刑期は減額しないんだけどなあ……」

どうにか二度目の復活を果たしたミクは、初子の誕生にはしゃぐ新米父親に、呆れたようにつぶやく。

傍らに来たミクを、ルカはちらりと横目で見やった。

「不吉なことは言わないって、言われませんでした、貴女懲りませんのね、まったく?」

「懲りないのはどっちだよ、もう………大体ボクは、冥府の女王だよ不吉のカタマリだってのに……」

わずかに距離を取りつつもぼやき続けたミクに、ルカはにっこり笑った。

「貴女は不吉のカタマリなんかじゃありませんわ。あたくしたちみんな、この世界に生きるすべてのものの最後の安眠を守護する、もっとも気高くもっとも尊い神です。神もひとも、獣も草木も――なにひとつ、だれひとりとて分け隔てなく受け入れられ、共に眠る世界が、貴女の国以外、どこにありますの?」

「………」

真摯に放たれた言葉に、ミクはわずかに目元を染めた。しかしくちびるは尖らせて、頬は膨らませ、拗ねたような表情を作る。

「おだてたって、刑期は減額しないし、特典だって弾まないんだよーん」

「構いませんわ。力ずくで取りますし」

「え、やめて。ほんとやめて。ルカの力ずく、シャレになんない!」

慌てて叫ぶミクからしらっと顔を逸らし、ルカはやれやれと呆れのため息を吐いた。

ミクは『壊れた』と評したが、ある意味確かに、『壊れた』のかもしれない。

がくぽは満面の笑みで、全身でしあわせを主張している。

自制の強い東の剣士だ。

後で恥ずかしさのあまりに、無意味な穴を掘り出しそうな危惧がある。

「そろそろ、止めないとですかしら………」

「っがくぽっがくぽっ!!たまごちゃん、われちゃううっ!!も、もぉっ!!」

ルカが止めに入ろうとしたときに、ちょうどよく、カイトの方も降参を叫んだ。

その内容にがくぽは慌てて、振り回していたカイトを抱き直し、腰を下ろした。

「あー………その。すみません。つい、我を忘れて」

「ん、ぅんっ、いーよたぶん、おれがもちょっと、がんばればいいだけだからっ!!」

「いえ、あなたは別に」

「たまごの色が、変わっていませんこと?」

無意味以外のなにものでもなく、そして永遠に結論の出ないだろう謝罪大会が始まろうとしたのを、ルカは別の話題を振ることで断ち切った。

指摘されて、カイトとがくぽは揃って、おくるみの中のたまごを見る。

真珠のような光沢を放っていたたまごは、わずかに黄色身を帯びて輝いていた。

「え、と、これはっ、ルカ殿っ?!」

「ぁっはは!!」

慌てふためくがくぽに対し、今度笑ったのはカイトのほうだった。

たまごを抱き上げると、その表面に頬ずりする。

「カイト殿?!」

「たまごちゃん、たのしかったんだって!!ゴキゲン!!」

「………っ」

笑うカイトから、がくぽはルカへと視線を投げる。

苦笑しながら、ルカも頷いてやった。

「どう色が変わろうと、その色が『きれい』に見えるならば、『いいこと』だということですわ。反対に、たとえ黄金に輝こうとも、見たときに『汚い』と思うなら、それは『わるいこと』です。わかりやすいでしょう?」

「はあ………」

理屈らしく説明されたが、今ひとつ感覚的過ぎて、理解に苦しむ。

明朗な返事とならないまま、がくぽはたまごを見た。

「まあなんだろうね。鳥やトカゲより、ちょこっと高尚なんだよね、たまごでも。神だから」

「………どうしてもこだわりますのね、貴女」

ぼそっと口を挟んだミクに、ルカは横目を投げる。

構うことなく、ミクはたまごへと手を伸ばした。がくぽはわずかに身を強張らせたものの、カイトは避けない。

触れることはないまま、ミクはたまごの上に手をかざすと、つぶやいた。

「冥府の女王が、命じるものである。災厄はこれの上を飛ぶことならず、病疫はこれの脇を避けて通り、悪毒はこれの下を流れるべからず。すべての不吉は冥府の女王の配下なれば、必ずすべてはこの命に服し、破ること能わず。反すること能わず。抗すること能わず。異を唱うること能わず。命は絶対、言葉は不滅、誓いは永劫、冥府の女王<みくとらん>の号に於いて、ここに令する」

低く詠唱された言葉は、祝福だった。

願うべくもなく、禍いごとを司る冥府の女王が贈れる、最上の祝福。

息を呑み、なんと礼を言えばいいか惑うがくぽに、ルカがこっそりとくちびるに指をあててみせた。

下手になにか言うなと、いうことらしいが――

「ミク、ありがとう!」

カイトのほうは、構わない。

黄色身を帯びて輝くたまごをぎゅっと抱きしめ、満面の笑みを女王へと向ける。

「これ以上、すてきなおくりものなんて、ない。たまごちゃんは、ミクのおかげでとっても安心したよ。おれだって、とっても安心した。ほんとにほんとに、ありがとう!」

「………」

カイトの礼を聞いたミクは、ほんのりと頬を染めた。

ややしてその顔が、幼く笑み崩れる。

「ぇっへへ!」

「………」

視線を投げたがくぽに、ルカはくちびるを動かした。

――かわいいでしょう?

「………」

がくぽは答えないまま、腕の中のカイトとたまごへ目を落とす。

うれしそうに笑ったミクは、ずいっと身を乗り出し、がくぽの瞳を覗きこんだ。

「んで新米お父さんから、お礼はっ?!」

「………」

なるほどと、がくぽは納得した。

ミクに強請られてから言う分には、このヒネクレものでも滅多なことは言い出さない。から、待て、と。

そういうことだろう。

「ありがとうございます」

「えー、それだけ?」

「どれほど礼しても足りませんが、――あなたが必要と思われたとき、私の剣を一度だけ、お貸ししましょう。私の腕諸共に」

「……………」

意地悪く笑いながら強請ったミクだが、がくぽが続けた言葉に、びしりと凍りついた。

「え、がくぽ。いっかいだけなの?!」

訳がわかっていないカイトのほうは、無邪気な声を上げる。がくぽはやわらかに微笑んで、カイトの髪を梳いた。

「私の剣は、あなたに捧げたものです。そうおいそれと何度も、他人のためには振るえません」

「そういうものなの?」

「ええ。たとえ、冥府の女王からの、最上の贈り物への礼であろうと――」

「ぅぁあああ………っ」

しらっと微笑んでカイトのこめかみに口づけるがくぽに対し、ミクは顔面蒼白になってがたがたと震えた。

よれよれと身を引くと、呆れた顔のルカに涙目を向ける。

「こ、この男………っこのおとこ、こわい………っひ、ひが、東の剣士が、主以外に、ある、主以外にっ、剣貸すってっ」

手は伸ばさないものの縋りつくようなミクの様子だったが、ルカはあっさりと突き放した。

「調子に乗るからですわ、おばかさん」

「だってまさか、だってまさか、そこまでっ」

「あなたの贈り物に対して、釣り合う対価とも思われませんが」

しらっと言葉を挟んだがくぽを、ミクは涙目を引きつらせて睨んだ。

「十分以上に、余計なんだってばっ!!やだ、こわいっ、東の剣士のその誓い、世界でいちばんこわいっっ!!」

「おや、そうですか」

「がくぽえと?」

喚くミクに、がくぽはしらしらと答える。

戸惑う顔のカイトには、これ以上なく穏やかに微笑んでみせた。

「私の剣は、あなたのもの。あなたを守り、あなたの望みを叶えるため、願いを叶えるためだけに振るわれるもの。それを、生涯ただ一度、ミク殿の御為に使います。構いませんよね?」

「ん?」

「カイト!!構うって言えっ!!だめって!!」

「え?」

カイトは惑乱しながらミクとがくぽを見比べ、腹のたまごをきゅうっと抱きしめた。

「………えっと、お礼、なんだよねたまごちゃんの」

「ええ。私とあなたの子供のための」

「んじゃ」

「かいとぉおおおおおっっ!!」

「いーよ?」

「ぃやぁああああああああ!!!」

思い決めた主以外に剣を捧げることは、決してないのが、東の剣士だ。その誓い、その忠誠の強固さと堅牢さ、そして狂的なこと、各国が揃って頭を抱える。

納得のいかない主に剣を捧げれば、待つのは狂い――がくぽが一時期、陥ったように。

狂った剣士は見境なく、最強を謳われる剣を振り回し、世界に災厄をもたらす。

自身が滅びるまで、倒されるまで、決して止まることなく。

強いものを陣営に、などという軽い気持ちで引き入れれば、必ず待つのは破綻。

手を貸そうなどと、彼らが容易く言うことはなく、すべては常に、主の言によって。

それが主の言によらず、自主的に、剣を貸すと言い出す――剣を振るう己ごと。

冥府の女王が与えられる最上の祝福が、禍いごとに避けて通れと、触れるなと命じることなら、東の剣士の最上の礼は、主以外のものに貸し与える己の腕自身。

狂気を謳われ、頭を抱えられる、その自分。

冥府の女王の祝福がおいそれと与えられないように、東の剣士のその礼も、決して与えられないのが前提だ。

前提のうえで、もしそれに値するものがいれば、と。

しかしてもしも、その一度が、己の主に反することあらば――

「も、もぉっ、ボク以上に災厄を持ってるってなに?!ていうか不吉のボクにさらなる不吉を与えられるって、どういうことなの?!」

惑乱して叫ぶミクの姿に、カイトは心配そうにがくぽを見た。

「………がくぽ?」

「そうですね」

大丈夫なのかと問われて、がくぽは頷いた。

「私にとっての最上の礼が、他人にとっては違うということがあるのも、間々あるのが世の常、理です」

しらっと吐かれた言葉に、カイトはため息をつき、たまごをぎゅっと抱く。

頼りがいのある逞しい体に凭れかかると、そっと瞼を下ろした。

「うん、なんかね。むつかしくって、よくわかんないね…………」