しょちぴるり

第4部-第28話

「なー、リンまぁまぁも来たし、もうぱぁぱぁの膝渡して、あっちに行こうぜ。俺、黒すぐりの木、見っけたし」

「黒すぐりリン、黒すぐりの甘露煮、食べてみたかったんだあ甘露煮は生ってた?!っと、ぱぁぱぁ?」

飛び跳ねて膝から下りようとした娘の腰を掴んで戻し、がくぽは見上げる彼女に軽く首を振った。

「リン、甘露煮は加工品だ。木には生らない。それから黒すぐりの実が生るのは、夏だ。まだ実もないはずだ」

「えー、そうなの?!」

意外に世間知らずだったのが、双ツ神の真実だ。結局のところ、殺伐たる交流しか持ったことがなかったために、いざ日常を暮らしてみると、頭を抱える発言が多々飛び出した。

たまごのときには、あの悪童が生まれるのかと危惧したが、今は別の危惧がある。

異端からは抜けたものの、子供らは神の長と成って新しい世界を生み出す『創生の全能神』という、重い宿命を負っていた。

リンとレンと双ツ神が揃っていることが、なによりも創生の全能神たる由来のため、本来なら放逐される定めの男ノ神であるレンも、森に留まっているが――

どちらにしても、末にして長たる宿命のために、リンとレンには森の契約が及ばない。力はどこに行こうとも衰えることはなく、森から放逐することに、そもそもの意味もない。

だからといって、このまま世間知らずに放り置くわけにもいかない。

カイトはいくら世間知らずだろうともがくぽが生涯守り抜くからいいが、子供たちはそのうち、完全に手を離れる。

無邪気な娘を真剣に覗き込み、がくぽは重々しく告げた。

「良いか、リン。軽々しく男について行くな。特に物で釣ろうとする男には、ついて行ってはいかん。そうでなくとも、そなたはか弱い娘だ。ことに気をつけて、自衛を覚えろ」

「はぁい、ぱぁぱぁ!」

「ってまさか、物で釣ろうとするろくでもない男って、俺のことかよ?!」

真面目に言い聞かせられて、リンはいい子に返事をしたが、傍らに立つレンのほうは憤慨して叫んだ。

がくぽはすっと視線を流し、心外だと叫ぶ息子を厳しく見据える。

「まだまだ、娘を任せるに足る男だとは認められん」

「ぅっわ、腹立つ!!なにそれ!!ちょっと超人的に剣が使えて背が高くてイロオトコだからって!!」

「ねえほんと、腹立ちますよね、この男!」

「んにゃっ?!」

罵っているのか羨んでいるのか不明な叫びに背後から応えられ、レンは愛らしい悲鳴とともに飛び上がった。

相手の反応に構わず、突如現れた黒装束の男――東方の隠密衆たるキヨテルは、わざとらしく空涙を拭う。

「もう小さいころから、私は何度、これに泣かされてきたことか――傍若無人なだけだというのに、この見た目に騙されて。女性はそこがまたいいのだと、味方するし」

わざとらしい以外のなにものでもない、ひどく芝居がかかった調子で謳い上げるキヨテルに、しかしレンの表情は輝いた。

言ってみればレンもまた、キヨテルと同じ側なのだ。微妙にがくぽと対している。

一度は飛び上がったものの、レンは嬉々としてキヨテルに向き直った。

「なーそうだよな?!傍若無人なだけじゃん!!やっぱわかってんね、せんせ!!」

「ええもう、凄まじいまでの味覚音痴だというのに、それを知らずに料理の腕を磨く女性たちが、私は哀れで哀れで………」

「やかましいわ、暇人が」

油断なく剣に手をやりつつもぼそりとつぶやいたがくぽを、膝に座ったリンが無邪気に見上げた。

「でもリンも、ぱぁぱぁはちょっと、絶望的に味覚音痴だと思うわ」

「………っっ」

微妙に衝撃を受けて、がくぽは娘から顔を逸らした。

傍らに座るカイトへ救いを求めるような瞳を向けると、無邪気ににっこりと、笑い返される。

「おれはがくぽがおいしいなら、いいとおもうけど」

「………」

――おいしいと思って、自分が作った料理を食べているわけではない。こだわりがないだけだ。

さらに言葉を失ったがくぽが立ち直る前に、子供を手懐けることに長けている隠密衆は、きらきらと瞳を輝かせて自分を見つめる少年神の腰に手を伸ばした。

「ね、もう、腹が立つばっかりのこんな男のところに、いつまでもいないで……私と東方に来ませんか別にもう、親離れしても構わないんでしょう君とリンちゃんの年頃なら、ユキさまのいい遊び相手になってくれそうですし……きれいな着物を着て、黒すぐりだろうがすももだろうが、甘露煮だって食べ放題ですよ?」

「レン」

「のわっ?!」

甘い表情で甘い言葉をささやくキヨテルの手が腰に回るより先に、器用な父親は息子の腰をむんずと捉え、自分へと抱き招いた。

「なんだよ?!」

「父親としてひとつ、そなたに言っておくべきことがある」

「ぅえ?!」

反抗的な目を向けて肩に座る息子を、がくぽは真顔で見上げた。

態度はきつくても、どちらかといえば小心な息子だ。至近距離での父親の真顔にたじろぎ、思わず居住まいを正す。

そのレンをきりりと見据え、がくぽはきっぱりと吐き出した。

「いいか、軽々しく男について行くな。特に、物で釣る男について行ってはいかん。ろくでもない男に引っかかって痛い目を見る前に、自衛を覚えろ」

「って、リンに言ったことくり返された?!俺が男だって、わかってないのかこのまぁまぁ狂い!!」

「ひとのことを褒めて誤魔化さずに、真面目に訊け!」

「褒めてねえよ!!」

暴れる息子を軽々と抑え込み、がくぽはため息をつく。爆笑のあまりに膝から落ちた娘と見比べて、首を振った。

「男だから、余計心配なのであろうが。リンはかえって女ゆえ、自衛の意識が初めから高い。ために本来的に、心配は要らん。対してそなたは己を男だと過信して、自衛が疎かになる傾向にある」

諄々と諭すがくぽに、レンはうなじまで真っ赤に染め上げた。

もがいてももがいても、逃れられない力の差。

確かにこれと比べて、男とはなんぞやと語れば敗北も甚だしいが、しかし。

「過信もなにも、俺は正真正銘、男だっつの!!」

「だから危険なんだと言っているんだろうが。いいから父親の苦言は聞いておけ!」

「納得いかねえ!!」

叫んでもがくレンは、味方を探した。

双子のきょうだいは薄情にも、爆笑しながら野辺を転げ回っている。父親と険悪な仲の隠密衆もまた、うずくまって爆笑し、地面にべしべしと拳を打ちつけていた。

最後の頼みとして母親を見たレンは、げっそりとして項垂れた。

「がぁくぽ。おれはおれに、心配はおれは、だれについていっても、いいの?」

がくぽにしなだれかかったカイトは、微妙に不満そうに訊く。あっという間に表情を蕩けさせたがくぽは、あっさりと息子から手を離し、カイトを抱き寄せた。

「心外ですね、カイト殿まさかあなたが、私以外の誰かについて行くと言うんですかどんな物で釣られようと、あなたは私以外の後など、ついて行きはしないでしょう?」

「んー………」

宥めるようでもあるが、吹き込む声は熱を含んでどろりと蕩けている。瞳を眇めたカイトはぶるりと背筋を震わせ、がくぽの首に手を掛けた。

「ついて行かないけど………おれも心配して注意して、がくぽ………」

強請りながら、カイトはがくぽとくちびるを重ねる。空っぽになっていた膝にカイトを乗せ、がくぽはくり返されるおねだりの口づけに微笑みながら、甘える体をやわらかに撫でた。

「あなたに注意したいことは、いつでもただひとつですよ………あまり私を誘惑して、煽らないでください。あなたに関して、私の理性は常に品切れなのですから」

「ん、むつかし……わかんな………んん………っ」

子供のことも招かれざる客のことも忘れ、互いに溺れこんだ夫婦に、キヨテルは呆れて肩を竦めた。

「なんですか、冬が明けて久しぶりに顔を出してからというもの、ずっと思っていたんですが……ばかが加速していませんか、このひとたち?」

「だって、減速する理由がないものー」

今度は目を塞がれていないために、人目も憚らずにじゃれ合う両親をじっくり眺めつつ、リンが応える。膝を抱えて座る少女を見下ろし、キヨテルは首を傾げた、

「減速する理由が、ないですか?」

「ないわよ。だってぱぁぱぁもまぁまぁも、そもそも走ってないもの。溺愛で止まっちゃって、そこから一歩も動いてないのよ。動いてないものは、減速しようがないでしょ」

「加速しようもないですが、なるほど………非常に納得してしまいました。が、どちらにしろ、困った『お母さん』ですね。子供にヤキモチですか?」

やれやれと肩を竦めたキヨテルに、じゃれ合う両親の姿に食いついている少女は顔も向けないまま、軽く片手を振った。

「ぅうん。まぁまぁだけじゃないの。今日はまぁまぁだったけど、リンたちがまぁまぁとじゃれててぱぁぱぁのこと放っておくと、今度はぱぁぱぁがこうやってかまってちゃんになって、まぁまぁを独り占めするのよ」

「なるほど。救いようもなく、似たもの夫婦ということですね」

リンの説明に慨嘆して、キヨテルは天を仰いだ。

北の地方の空は、晴れていてもどこか白っぽい。それでも雪雲がないだけ、春の空は高く感じる。

覗くのは故郷と比べると冷たく寒々しい青だが、大分見慣れてきた。

「今なら、イケる予感?」

「イけませんよ、レン」

地面に差した木剣に手を掛けたレンを、キヨテルは空を仰いだまま制止した。キヨテルは暇に飽かせては、レンに体術を仕込んでやっている。

本人は手懐けるためだときっぱり言い切っているのだが、その率直さゆえに深刻さが減じ、レンは無邪気に師匠だと慕う。

そうでなくとも生まれ直す以前から交流があり、それなりに好意的な関係を築いていた。

ますますもって警戒心が疎かとなり、頷いてはいけない要望にもうっかり頷きそうだ。

隠密衆をよく知るがくぽが心配するのも、無理からぬことなのだ。

「業腹ですけどね。これくらいで、君の剣を受けられなくなるような男ではありません。そんな可愛げがあったら、私がこうまで苦労するものですか」

言いながら顔を戻し、キヨテルは黒装束を軽く引っ張って首を開いた。晒したそこにはうっすらと赤く、線が走っている。

屈んで子供たちの目線に合わせてやりつつ、キヨテルは悲しげに首を振った。

「ほらね。この間邪魔したときなんか、これですよ。あとちょっと私の反応が鈍かったら、本気で首を飛ばされていたでしょうね。君の首は飛ばさないように、神威だとて気をつけるでしょうが………」

「あー、皮イってんだー。せんせ、強いのにさ………仲悪いっても、トモダチだろー」

「ぱぁぱぁってほんっと、まぁまぁが絡むと容赦なーいせんせ、トモダチなのにかわいそぉ!」

顔を揃えて覗き込んだ双子は無邪気にさえずり、キヨテルはぶるりと背筋を震わせた。

「素敵な響きですね、トモダチ………君たち、うっかり風邪を引きそうですよ、私は」

「かぜ?」

「ん。病気だな、確か」

キヨテルの言葉を不思議そうにくり返し、双子はそっくり同じ顔を見合わせた。じゃれ合う両親をちらりと見ると、キヨテルの両手をそれぞれ取る。

引っ張ると、歩き出した。

「リン、いいお薬の葉っぱ、知ってるぱぁぱぁに教えてもらったんだけど………ぱぁぱぁのフシマツだし、娘として、リンがちゃんと責任取ってあげるわ!」

「まったく、子供に気ぃ遣わせてくれるぱぁぱぁだよな俺たちに苦労させといて、えっらそーに説教とかするしまぁまぁのことは大事にするけど、それ以外はちょっと超人的に剣が使えて、背が高くて………」

「あー………」

子供たちに手を引かれてついて行きつつ、キヨテルは再び天を仰いだ。

寒さは厳しいものの、穏やかで緩やかな日常だ。

浸かりきって、すっかり鈍っている気がする。こんなことではいけないと思うが、――

「ん、ぁ、がくぽ……がくぽ、ね………」

「ああ、そうだ………ひとつ、ありました。私を『餌』にされても、後をついて行ってはいけませんよたとえ子供たちであっても、です………私はあなたを大人しく、待っていたりしませんからね……必ず、私からあなたの傍に行きますから………ずっとずっと、あなたのお傍に………」

「ゃ、がくぽ……おれも、おれも……がくぽのこと、むかぇにぃきた……」

「だめです。聞けないなら、聞けるようになるまで………」

「ぁ、あ、がく………」

ぬるま湯生活と言うなら、幼馴染みが最たるもののはずだ。ところが出鱈目な話で、この男、腕が冴えることはあっても、鈍ることがない。

止まっていて、動いていないわけがない――どこか明後日な方向へと、高速で走って行っているはずなのだ。

その鼻先に、最愛の伴侶をぶら下げて。

「あー、もう…………誰か、私に説教してくれませんかねえ……かわいい子供に声を掛けられて、手を引かれても、後をついて行っちゃだめだって」

説教されたところで聞く耳など持たないくせにつぶやいて、キヨテルは無邪気な子供神に手を引かれるまま、大人しく野辺を離れた。

終演