ウォータリング・キス
「んーもう、お風呂上がりはあっつい時期だねー」
「………」
ぼやきながら、風呂上がりの双魔がキッチンへと駆けこんで来る。
麦茶を飲んでいた神無は、わずかに目を眇めた。
『暑い』と言う双魔は、ぶかぶかで裾丈の長いパジャマの、上半分だけの姿だ。
「って、ぷきゃっ!!」
「ごぶっっ!!」
盛大に転んだ双魔を見た神無は、口に含んでいた麦茶を吹き出した。
走ると転ぶという特殊過ぎる特技を持つ双魔は、案の定、キッチンのなにもないところで転んだ。それも、床にべったり伸びる形で。
いや、今さら弟が、なにもないところで転んだくらいで吹くような神無ではない。彼が吹いたのは――
「ぃ、いたい…」
「そぉおまっっ!!」
「ふきゃっ?!」
呻きながら起き上がり、涙の滲む目尻を擦る双魔に、神無は大股で近寄る。座る双魔の足首を掴むと、乱暴に持ち上げた。
「ゃ、やややっ、神無!」
「『や』じゃねえんだよ、この天然すっ呆けがっ!!」
「やーーーっっ!!」
怒鳴りながら足を吊り上げる神無に、双魔はパジャマの裾を押さえて悲鳴を上げる。その顔は真っ赤だ。
「そ、双魔?!神無?!兄弟喧嘩は……っ!!」
「ちっっ!!」
キッチンの騒ぎを聞きつけて、どこからともなく父親が駆けつけてきた。
神無は盛大に舌打ちを漏らすと、双魔の足首を放す。
「ぷぎゃっ!!」
衝撃で再び床に伸びた体を小脇に抱え、神無は父親へと蹴りを放った。
「どけっ!!てめえに構ってる暇はねえんだ!」
「か、神無ぁあっ」
「お、おとーさん、大丈夫!ぼくだいじょーぶだからっ!!」
取り縋ろうとする父親に、双魔は鼻の頭を赤くしたまま、涙目で笑う。
かわいらしく手を振る下の息子が、乱暴者の上の息子に部屋へと連れ去られるのを、父親ははらはらと見送った。
これでいてなんだかんだとありはするが、実のところ、神無が双魔に暴力を振るう心配はしていない。
軽く小突き回すことはあれ、神無は父親に向けるほどの乱暴を、決して弟には向けない。むしろ用心しいしい、ひどく慎重に、丁寧に扱っている風情すらある。
だから、それほど心配はしていないのだが――
「…………うん。いろいろきっと、気のせいだ!」
兄弟仲が良過ぎるのも、それはそれで、心労となるものだった。
そして父親の心労を裏切らない息子たちはというと。
「ふっぁ!」
神無の部屋に連れ込まれた挙句、乱暴にベッドへと放り投げられ、双魔は小さく呻く。
その体に伸し掛かり、神無は歯噛みした。
「双魔、おまえなぁ………!」
「ぁ、やぅっ!!」
唸り声を絞り出しながら、神無は双魔のパジャマの裾を掴む。双魔は慌てて裾を掴み返したが、そもそもの力が違う。
あえなくパジャマはめくり上げられ、下半身があらわにされた。
「か、神無……っ」
「なんっで、下着を穿いてない!!」
双魔のぶかぶかと長いパジャマの上着をめくってしまうと、なにもなかった。ズボンどころか、下着までもない。生まれたままの姿、すっぽんぽんだ。
まくり上げられる裾を戻そうと、懸命に無意味な戦いをしつつ、双魔は珍しくも怒鳴り返した。
「あっついから!!」
「……っ」
堂々言い返される内容に、神無は沈みこみかけた。
確かに双魔は初め、暑いと言いながらやって来た。神無とても、異論はない。最近、めっきり暑くなった。
だがしかし、言いたいのはそういうことではなく。
「おまえも男ならな、こういうときは下を穿いて、上を脱げ!!どこの新妻ごっこだ!!」
「にいづ……っ」
怒鳴られる内容に、双魔は一瞬絶句する。
双魔の上に伸し掛かる神無は自分でも主張する通り、暑いときの男の常として上半身を脱ぎ、下半身にズボンを穿いただけの姿だ。
年齢や性格によっては下着一枚になったり、そもそもなにも身に着けなかったりするだろう。しかし神無の基本方針として、たとえ家の中とはいえ、そこまで無防備な恰好をする気はない。
常に有事に備える。それが神無だ。
対する双魔は、パジャマの上だけ着て、下半身になにも着けていない――それはよく、冗談のように見かける、新婚夫婦のパジャマ半分こ:奥さんバージョンだ。
男の恰好ではない。
絶句した双魔だったが、見る間に顔を赤くすると、襟を掻き寄せて、神無をうるうるに潤んだ瞳で睨み上げた。
「そ、そもそもは、神無のせいでしょ?!」
「あ?」
弟の瞳が潤むと、勝手に咽喉が鳴る。
微妙に疼いた下半身を無視しつつ、神無は厳しい瞳で双魔を見据えた。
いつもと違い、双魔はおどおどと目を逸らすこともなく、けれど洟を啜りながら、神無を睨む。
「か、神無が、いっぱい痕つけるから………!ぜ、ぜったいヘンだもん、上脱ぐなんて、無理!」
「…………」
詰られて、神無は束の間考えた。
「虫食い…………」
「そんな量でも場所でもないよ!」
「……」
そこらへんは、残念な感じに自覚がある。
神無は無言で弟を見下ろした。力が緩んだところで、双魔はパジャマの裾を取り返し、下半身を隠す。
真っ赤になってそっぽを向いた双魔の首に、隠しきれない痕が覗いている――見られるなら、見られればいいと思ってつけている。それこそ、『虫よけ』だ。
パジャマの裾から伸びる足は白く、細い。運動もせず、室内に篭もりきりだからだ。
裾からわずかに覗く、太もものその先には――
「だからといって、あんまり無防備過ぎるな……」
「……神無?」
低く吐き出した神無に、双魔がぎょっと身を強張らせ、視線を戻す。
太ももを睨んでいた神無は、双魔の上から体を引いた。ベッドに腰を落とすと、自分とはあまりに違う、双子の弟の細い両足をがっしりと掴む。
「か、神無?!っ、やっ!!」
「痕があると晒せないってんなら、ここも痕だらけにしてやる………!」
がばっと大きく開いて掲げると、神無は身を捩る双魔の足に食らいついた。
***
「う、ぅうう………っか、神無の、神無のいじわるぅうう………った、体育出られない………っ」
「知るか」
「ぅうう……っ」
ベッドの上で、双魔が身を丸くしてぐずっている。足元に座った神無は不貞腐れた顔でそっぽを向いていたが、少しばかり反省もしていた。
初め考えていたのは、太ももの際にだけ、痕をつけることだった。下着をつければ隠れるような、そんなところにひとつふたつ。
けれど吸いついてみたら、双魔はやんやん甘い声で啼いて身悶えるし、肌はなめらかで気持ちいいし、ほんのり舌先に甘みまで感じてしまって、――やり過ぎた。
そもそもが、双魔の下半身が晒されて目の前にある。ヒートアップしない自分がいたら、お目にかかってみたい。
あまり反省なく反省しながら、神無は横目で、丸くなる双魔を見た。
自分とは違い、まじめに授業に出る双魔だ。今の時期の体育といえば、水泳――
「…………正解だったな」
男の水着は以下略。
双魔のあれこれが無防備に晒される機会など、なくていい。気がつくと罠が多いのが、学校だ。
とうとう反省を打ち棄てて、神無は覗く足に再び、くちびるを寄せた。すでに満遍なく散っている痕の傍に、新しいものを付け足す。
「ゃ……っ、神無、もう……っ」
「………疼くか」
「……っ」
双魔が丸くなっているのは、拗ねているせいもある。あるがもちろん、それだけではない。
顔をくしゃりと歪めてベッドに顔を埋めた双魔に、神無は笑った。手を伸ばすと華奢な体を抱き上げて、強引に自分の膝に乗せる。
「神無………」
「やられたらやり返せ、双魔」
「……?」
もぞつく下半身に自分を押しつけつつ、神無は双魔の顔を晒した己の胸に誘った。
「やり方はわかるだろう?好きなだけつけていい」
「……」
手の下で、双魔の頭がぴくりと跳ねる。構わず、神無は双魔の顔を胸に抱いた。
「…………」
躊躇うあえかな呼吸が、素肌をくすぐる。辛抱強く耐えて、神無は双魔の髪を梳いた。
ややして、双魔の頭が動く。
「ん………っ」
小さな鼻声とともに、双魔のくちびるが素肌を吸う。ちろりと舌が舐めて、そっと離れた。
「………」
窺うように見る双魔に、神無は笑う。
「これだけか?」
短い髪を梳いてやると、双魔は恥ずかしそうに頬を赤らめながらも笑って、神無の胸に再びくちびるを寄せた。