<ORACLE>は時に、電脳図書館にも喩えられる。ここに来れば人類の英知のすべてが揃うと――

フロンティア・マークス・ワーガス

もちろん多少の誇張はあると、当館の管理人たるきまじめな『司書』は言う。

なにしろ長い歴史の中では、<ORACLE>開館前に焚書や逸失によって存在を葬られた知識も多いし、世に広く知られることなく埋もれて消えた叡智もある。

だから『多数』取り揃えてはいるが、『すべて』ではない。

「それはいい」

「うん?」

非常に沈鬱な表情で遮ったオラトリオに、オラクルはきょとんと首を傾げた。

しかし、深く気にすることはない。

確かに『それはいい』だろう。

なにしろオラトリオは<ORACLE>の監査官であり、そういった内実のすべてはむしろ、彼にもっとも詳しい。今さら改めて説明されるまでもないというものだ。

とはいえそれを今、改めてオラクルが説明した経緯だ。

そしてオラトリオの表情の沈鬱である理由だ。あまりに沈鬱過ぎて、全体の色すらくすんで見える。

そうやって気分によって刷く色を変えるのはむしろ、オラクルの専売特許であったはずなのだが。

「それはいいんだ、オラクル」

もう一度同じ言葉をくり返し、くり返すことで強調して、オラトリオは紫雷の瞳を積乱雲に翳らせ、オラクルを見据えた。

「つまりな、オラクル………おまえわざとかわざとなんだなわざとなんだろうそうだろうそうだよな?!」

「は……?!」

身を乗り出したオラトリオに畳みかけられ、オラクルは身に纏う雑音色を瞬かせた。その瞬きは複雑だが、馴れた目にはわかる。

『不可解』を表すものだ。

表されたそれに、馴れた目で読み取ったオラトリオの表情はますます絶望に歪み、沈鬱さを増した。もはや反動で、爆発寸前の様態だ。

それでもなんとか堪えようと拳を握り、オラトリオはだんと、カウンターを叩いた。

「レバノンの独立記念日から始まり長野のりんごの日までいきながら、どぉおおおして肝心のヤツが出てこねぇんだよ?!むしろいちばん簡単で有名じゃねえか!!これがわざとでなけりゃ、なんだと?!」

「えええ………」

叫ばれたオラクルは、わずかに仰け反った。相変わらず纏う色は『不可解』であり、追加されたものがあるなら『理不尽』だ。

大体にしてと、オラクルは恨みがましく考えた。

久しぶりにオラトリオのほうから顔を見せたと思ったら、「今日、11月22日はなんの日でしょう?!」とかいう意味不明なクイズがいきなり始まり――

そう、『いきなり』『クイズから』だ。

おかえりの抱擁も、ただいまの愛撫もおざなりに、なんのクイズ司会者が闖入したのかという。

クイズ司会者をコイビトに持った覚えはないなと、纏う色に憤りも含ませ、そこでオラクルははたと気がついた。

そうだ、クイズ司会者をコイビトに持った覚えはない。コイビト、『恋人』だ。

オラクルの纏う雑音色が、ひと際鮮やかに閃いた。

「わかった!!11月22日………ペット愛護デーだ!!わんわんにゃんにゃんデー!!」

「ぁっがぁあああああ!!」

「えええー………っ」

今度こそ自信があったというのに、オラトリオが漏らしたのはいわば、断末魔のそれだ。つまり不正解。

しかしてもしも真っ先に疑義を呈するとしたならだ。『オラトリオ=恋人』の図式から導き出した答えが、『ペット愛護デー』、『ペット』であって、どうしてそれにオラクルが自信を持っていたのかという――

実のところ、非常に深遠な問題を含む解答だったのだが、オラトリオはそれどころではなかった。

なにしろもはや、11月22日に絡む記念日を30種類近くも聞いて、それで未だに辿りつきたい正答が出て来ない。

嫌がらせ以外に、どうやってこれが可能なのか。

それも相手は、人類の英知を集めたと言われる電脳図書館<ORACLE>そのものといって過言ではないというのに、いくらオラクルが天然無垢でも限度というものがある。

「わかった。怒っているんだな怒っているんだ、そうだろうオラクル。でなけりゃおかしい。なんだ。俺がしたなにで、そうも怒った。アレか、信彦とのメールを全部検閲してることか。それともたまにエラーを装って、送信ブロックしてることか」

「は?!ちょ、おらと……っ」

「それともあれかシグナルがおまえのとこに来ようとしたときに、5回に1回の割合でプロレス技でツブし、さらに4回に1回の割合でパルスをけしかけてうやむやにし、3回に1回の割合で……」

「な、ぁ、おら………!」

「違うのか。じゃあ、あれだ、………」

「………っ!!」

並べたてられていく『オラクルが怒った原因』は、非常に残念なことながら、オラクルにはすべて初耳だった。そもそも怒ってすらおらず、出されたクイズの正答がわからずに困惑していただけなのだがしかし。

しかし案山子もとい、この木偶の棒だ。

すらすらと淀みもなく上げ連ねていく、悪事の数と内容だ。

「……っ!!」

「っだわぁっっ!!」

とうとう耐え切れなくなったオラクルが指をばちんと鳴らすと同時に、オラトリオの頭上からファイルの滝雨が降り注ぎ、その巨体を潰した。

わかっている。それでもオラトリオはオラクルに甘い。『怒らせた』と知っているから、電脳最強の守護者でありながら避けも防ぎもせず、こんな甘ちゃんな攻撃にわざわざ当たってくれたのだ。

わかっている。愛だ。ことほど左様に、オラトリオの愛は深く強い。

わかっているがしかし案山子もとい、この木偶の棒だ。

「どれも違うっっ!!が、なにをやっているんだ、おまえはっ!!いくら監査官とはいえ、やっていいことと悪いことの区別が」

「監査官としてヤったことなんざ、今のやつに一個もねえよ!!すべて俺の個人的な嫉妬と猜疑心と狂恋慕からだ!!やっていいことと悪いことの区別なんざ、愛が盲目で見えねえわぁああっ!!」

――反省皆無で威風堂々主張する電脳最強の守護者はまたしても、降り注ぐファイルの滝雨に打たれ、床に沈められた。

床に沈めたほうといえば、それでも発散しきれない疲労感や諸々を堪えて眉間に手を当て、ため息とともにつぶやいた。

「まったく――一から躾けし直しなのか。どうして私の亭主はこう、仕事ともかく『亭主』となると、手がかかる………」