きみいろ
従兄弟を眺めていたのは、いつものこと。
表情をくるくる動かす彼は、オラクルにとっていつまで見ていても飽きない、格好の暇つぶしなのだ。
ただ、今日は少し違った。
仕事用のノートパソコンをオラクル宅に持ちこんで、原稿をあれこれと校正しているオラトリオは、いつもの人懐こさが消えた仕事用の引き締まった顔。
特に仕事が詰まっているわけでもないオラクルは、いつもどおりにオラトリオの対面に座って、ぼんやりとオラトリオを眺めていて。
(教会の鐘)
(啼き渡る暗闇に)
(走るグリッド)
(神鳴るその声は)
「…あ」
ぽそ、と、一言。
言葉にならない言葉がこぼれた。
「あ?」
こちらは問いかけの意図をもって発せられたオラトリオの「あ」に、オラクルは立ち上がりながら、なんでもないと返す。
「ちょっと、うん」
説明になっていない説明。
もそもそと単語をつぶやきながら、オラクルは部屋に積み上げられている画材をひっくり返す。
伊達の付き合いではないから、オラトリオはその行動で、オラクルの「あ」の意味を正確に拾い上げた。
おそらく、なにかしらの光景が閃いたのだろう。画題に持って来いの光景が閃くと、このぼんやりさんの従兄弟は急に忙しなく動き始める。
人としての活動を放り出して、絵を描くための生き物に。
「スケッチブックならベッドんとこにあったぞ」
きれいに片付いていた部屋をあっという間にカオスの楽園に変えていくオラクルに、オラトリオは親切心で教えてやる。
だが、オラクルから返ってきたのは、気のない返事。
「…くて…カンバス。なかったっけ。紫」
意味が通じないこと甚だしい。そもそもこうなったオラクルと会話をしようというほうが無理だ。
もそもそ単語をつぶやきながら、オラクルは新しいカンバス地を掘り出して、絵の具を拾い上げてと準備を整えていく。
いつもならスケッチブックに描きつける程度なのだが、今回は本格的に描くつもりらしい。
一連の作業を眺めて、オラクルが座りこんだところでオラトリオはパソコンの画面に戻った。
出来上がれば見せてもらえる。これまで見せてもらえなかった絵はないのだから。
テレピン油の独特の臭気が広がり、オラトリオはからだを伸ばして窓を開けた。
(輝ける影)
(鳴り渡るこれは)
(貴方のための)
(喪章)
声が響く→言祝ぐその声は→響き渡る神鳴り←(聖譚曲)
<ORACLE>のために
「っ?!」
ぱち、と唐突に視界が明るくなって、オラクルは大きくからだを震わせた。
「…あれ」
「お、悪ぃ。邪魔したか」
きょときょとと辺りを見回すオラクルに、電気を点けたオラトリオが苦笑しながら声をかける。
「…」
オラクルのくちびるが、小さく言葉を紡ぐ。紡いでから、自分で首を傾げた。
今、なんて言ったんだ?
困惑にひそめる眉を、従兄弟は誤解したらしい。
「悪かったって。邪魔する気なかったんだ。ただ、暗くなったから」
「ああ、うん。いや、構わない」
困惑にひそめていた眉を解き、オラクルは従兄弟に笑いかけた。
「もう、出来たし。そっか、もうこんな時間なんだ。オラトリオ、そろそろ帰ってごはん作らないとじゃない?」
「そうなんだけどな。出来たってんなら、見てから帰りたいんだけどな」
「ああ」
礼儀として、仕掛かり中の絵を見ないように距離を開けていたオラトリオが、楽しげに近づいてくる。場所を開けようとして、オラクルの動きは少しだけ躊躇いに止まった。
「ん?」
まだだめか?
問うオラトリオに、オラクルははにかんだ笑みを浮かべた。
「いや。いいよ。…まあ、今さらだしな」
「ふん?」
首を傾げながらオラトリオは開けられた場所に入りこむ。
一面の暗黒。縦横に走るグリッド。轟き渡る紫雷に、白亜の宮殿。
「…なんだ。おまえにしちゃ、ずいぶんと」
暗澹とした雰囲気の。
オラトリオは首を傾げ、オラクルが仕上げたばかりの絵を鑑賞する。
普段、華やかな空や艶やかな花ばかりを描きたがる従兄弟にしては、珍しい画題。
閉じこめられた空間に、鳴り渡る雷。終末を思わせるような…。
「なんだか、宗教画みたいだな」
「つまり、おまえなんだけど」
感想が被った。
一瞬理解できずに、オラトリオは黙りこむ。
「…俺?」
なにが?
どこに?
思わず見た従兄弟は、乾ききっていない紫雷をそっと撫でる。
「かみなり」
幼い口調で、言葉が紡がれていく。
「威光を携えて、意思を伝えるもの。あくどきものを罰する槌。恵みを降り渡らせる福音の鐘。神在る処を守る無敵の守護者」
なぞる指に紫色がつく。
よく見れば、今なぞっただけでなく、その手は絵の具ですっかり汚れているのだが。
つぶやきながら絵を見るオラクルの瞳は霞んで、現実を映していない。わずかに綻んだくちびるからこぼれる言葉は預言者の託宣のようでもあり。
「つまり、おまえなの」
「…その結論がそれでいいのかどうかが疑問だが」
俺はそんな偉そうなもののつもりはありませんよ?ただのしがないライターです。
困惑するオラトリオに、オラクルは夢のように笑った。
「でも、見えたから、これはおまえなの」
「ああはいはい。超理論」
絵に関して、従兄弟と議論することは無益だ。
オラトリオはあっさり白旗を掲げて、オラクルがうっとりと見つめる絵を眺めた。
「…まあいいけどよ」
なにがどう見えて、そうまでうっとりと「オラトリオ」を見つめているのか。
こちらの、現実の自分を眺めればいいではないか。いつもそうしているように、嬉しそうに顔を綻ばせて。
わずかにむっとして見つめていると、オラクルがこちらを向いた。夢うつつの顔をした従兄弟は、睦言でも囁くような甘い声でつぶやいた。
「これがあれば、ずっとオラトリオといっしょ」
「…」
ぐらり、と視界が歪んだ。言いたい言葉がいくつもいくつも浮かんで、けれどどれひとつとして声にならずに消えて。
「…おまえ今日、うちに飯食いに来い」
思い切り頬をつねりあげて言うと、ようやく夢から覚めた顔になったオラクルは、痛いいたいといつもの声でオラトリオを詰った。