舌に広がる、痺れるような苦味。
煙草だ。
キャンディ・スモーカ
オラクルの眉が、きゅ、と寄る。
常日頃から「子供舌」とからかわれているだけあって、煙草の味は半端なく不味い。
「んく、ぅ」
飲みこんだ唾液の味は最悪。反射的にえづいてしまう。
「…ん、オラクル?」
「…ふ」
苦しそうなオラクルの様子にようやく気付いて、オラトリオがくちびるを離した。
つ、と引かれる唾液の糸。
それを不味そうでもなく、ちゅ、と啜って。
「大丈夫か?」
大丈夫じゃありません。
「けふふっ、けふっ」
「おいおい…」
咳きこんでしまったオラクルに、オラトリオが苦笑する。
誰のせいだ。笑ってる場合か。
恨みがましい目で見ると、困った顔で頭を掻いた。
舌が苦い。じんじん痺れる。
「けふっ」
べ、と舌を出して、咳。
空気に晒しても状態は改善されないのだけど、むしろ悪化するのだけれど、なんというの、こういうの。
気分。
「ん、んん」
苦いにがい、なくならない。
べ、と舌を出したまま、オラクルは恨みがましくオラトリオを見上げる。
しかし舌を出したままって疲れる。乾いた粘膜ははりはりと張りつくし。
「…あ~」
ますます困った顔でオラトリオは頭を掻く。
その手が、目が、無意識に探す――煙草。
だから、それがだめなんだっていうの!
止めろとは言わない。好きだって知っているから。
別に嫌いなわけでもない。
吸っている姿を見ているのも、その煙の行く末に思いを馳せるのも、好き。
でも、キスすると、口の中が苦いにがい。
いっぱいキスしたいのに、口の中が、しびしびび。
大好きなキスなのに、大好きなオラトリオなのに。
「…ちっと待ってろ」
じーっと、じーっと無言で訴えかけていたら、オラトリオは洗面所へと消えて行った。
なぜに洗面所?
台所に行って、甘いお菓子をつくってくれるならまだしも。
この苦いを放ってそんなところに行くとは、もしや逃げられた?窓からの逃走ですか?
なんて卑怯な。うちの洗面所の窓は、オラトリオの巨体が抜け出られるほど大きくありませんよ!
憤慨するオラクルの向こうで、オラトリオはなにやら格闘中。洗面所に五分も篭もってから、ようやく口を拭きふき出てきた。
ん?口を拭きながら?
はりはりになった舌を口の中に戻しながら、オラクルは首を傾げる。
ようやく苦くなく…あ、嘘。苦い。濡れたら味が戻ってきた。半端ない。ちっとも改善されてない。
「…いちごでいーか」
苦悶するオラクルを知らず、オラトリオはやれやれとため息。キッチンテーブルに常備してあるキャンディボトルから、ミルクピンクのキャンディを取り出した。
それそれ!頂戴、早く!お口を助けて!
なのにオラトリオは、あろうことかそれを自分の口の中へ。
そして一言。
「…あめぇ…」
飴ですから!
甘いもの嫌いは果てしなくへこみながら、再びオラクルの元へ来て座った。
物凄い渋面。
あんなにおいしいものを食べておいて、なんて勿体ない。
ていうか、嫌いなんだから食べるな、私に寄越せ!
「オラクル」
くちびるが近づいてくる。
反射で開いたくちびる。
当然のように侵入ってくる舌。
苦味、が、また。
「ん…っ」
甘い。
ひたすらに、甘い。
煙草の苦味が混ざらない、やさしいいちごみるく味。
「ふぁ」
強張っていた背が蕩けて、替わってぞくぞくした感覚が走った。
繋がったふたりの口の中を、ころんころんと転がるキャンディ。苦味を舐め取っていくオラトリオの舌。上書きされるいちごみるく味。
飲みこんだ唾液までとろりと甘く、まるでネクターのよう。
「ぁふ」
離れていくくちびるを、繋ぐ唾液。ちゅる、と啜って、オラクルは微笑んだ。
糸の先を追いかけて行って、濡れ濡れ輝くオラトリオのくちびるをぺろりと舐める。
どこもかしこも、甘い。
「…んふ」
満足の吐息が零れた。
そのオラクルを膝に抱いて、オラトリオは苦笑い。
「機嫌直ったか」
「…ん」
小さくなったキャンディをころころ転がしながら、オラクルはご機嫌に笑い返す。
別にご機嫌斜めだったわけでもない。
苦くて苦しかっただけ。
キスが続けられなくて、ちょっと悲しかっただけ。
大好きなオラトリオと、大好きなキス。
苦味はきれいになくなって、今、口の中はとろんとやわらかに甘い。
甘い唾液に流されて、痺れていた咽喉もとろとろと潤った。
「子供舌のおまえにゃぁ、煙草味はきっついよなあ。っても、キスしたくなるたんびに歯ぁ磨きに行くんじゃマヌケだしなぁ」
情けない顔でぼやく。
知っている。
好きなんだ、煙草。
動揺したり、追い込まれたりすると、必ず手が探している。
すごくうれしかったり、ほっと安堵したとき、目が探している。
くゆらせる煙の行く末――見ているの、好き。
チェシャ猫みたいに細められた目が、見つめる虚空が、好き。
からだに悪いっていう煙に撒かれても、愉しいんだ。
だから。
「やっぱ、禁煙…」
「オラトリオ」
膝に乗せられたせいで、同じ高さにある顔。なんてキスし易い。
言葉を遮ってキスしたオラクルに、オラトリオはおとなしく応じてくれた。
てろんと甘くなった舌も、とろりと粘る唾液も、受け入れて飲みこんでくれる、甘いもの嫌い。
「かわりばんこ」
で、いいじゃない?
にっこり笑うと、オラトリオは片手で顔を覆ってしまった。
俯いて、オラクルの胸に埋まる。腰に回された腕に、ぎゅ、と力が入って。
「…甘ぇ」
「ぁはは」
「もう一回」
それはあの伝説の?
半分本気で、半分無理やりつくった渋面で、オラトリオがキスを強請る。
甘いもの嫌いのくせに、今のキスは地獄のような甘さだとわかっていて。
応えながら、オラクルは煙草の位置を確認する。
終わったら、渡してあげよう。それで今度は、からいにがいキスを。
オラトリオも、オラトリオのキスも大好きだもの。
不味いまずい煙草味のキスだって、大好きなんです。