夢を見た。
それが夢だということは、夢の中でもわかっていた。
Dream's a Dream
おぼろな感触。
揺らぐ意識。
これは夢だと。
だけど、たとえ夢だとしても、従兄弟が泣いていたから。
とても苦しい、悲しい、恐ろしいと。
狂うほどに、泣いていたから。
手を伸ばした。
(わたしはおまえのかたよく)
(おまえはわたしのはんみ)
(おまえがなくなら、わたしもなこう)
抱きしめようとした、その手が。
受け止めようとした、その手が。
届かなかった。
どうやっても、どうしても、届かなかった。
従兄弟はひとり、泣き伏せて。
――夢だと、わかっていた。
他愛ない夢。
脳が見せる、幻。
十分に、わかっていたけれど。
従兄弟が、泣いていたから。
***
「…」
目が覚めて、オラトリオは眉をひそめた。
いくら早朝だとしても、あまりに暗い。結論、朝ですらない。
思いながら枕元の時計を確認すれば、案の定、夜中の二時だ。起きる時間ではないどころの話ではない。
「…」
渋面で、オラトリオは時計を睨む。
恐ろしく目が冴えている。早く寝たわけではないのに、今の時間にすっきりと目覚めるとか。
明日の朝も早いのだから、こんなところで睡眠時間を削るわけにはいかない。
早くもう一度、眠りの国へ。
思いはしても、どうにもなにか――胸騒ぎ?
「仕方ねえな」
つぶやくと、布団を蹴飛ばして起きた。机の上を探ると、静かに明滅する携帯電話があった。
着信があったのだ。
夜寝る前にはなにもなかったから、寝付いてからの。
予感というより確信があって、オラトリオは画面を開く。
不在着信、一件。
コールは、わずか数秒で、ついさっき。
――オラクルからだ。
フリーライターとしての仕事の傍ら、普段は一家の主夫として働いているオラトリオが、朝早く起きるために、この時間には熟睡していることはわかっているはずだ。
それなのに、着信。
それも、ほんの数秒――ワンコールだけ。
「…仕方ねえな」
つぶやくと、オラトリオは手早く、身支度を整えた。
ごくご近所さんへ、それもこんな深夜に行くのだ。だれに見られるわけでもないから、適当なシャツとジーンズの軽装。
寝癖のついている髪だけは一応、それなりに櫛を通して、けれどごく身軽に、家を出た。
さすがにこの時間ともなると、静かになるものだ。まるで音が死んだような心地すらする。
道が永遠に巡り回り、抜け出せなくなるような、そんな錯覚。
錯覚は錯覚で、オラトリオは普通にオラクルの住むアパートへと辿りついた。
合鍵は持っているから、特に断ることもなく、真っ暗な部屋へと鍵を開けて入る。
「オラクル」
真っ暗であってもやはり確信があって、オラトリオはそっと声を掛けながら、寝室にしている奥の部屋へと行った。
枕元の小さな明かりだけをつけて、薄暗い中にオラクルがいる。
「………オラトリオ」
ベッドの上で膝を抱えて座りこむオラクルが、驚いたように顔を上げた。
その片手に、携帯電話が握られている。
「お呼びにより、参上、ってな」
自分の手に持った携帯電話を振ると、さらに驚いたように目を見張り、それから困惑に歪んだ。
「………起こしたのか?」
「聞こえてねえよ。おまえ、俺のケータイがいっつもマナーモードなの知ってるだろ。ワン切りくらいじゃぴくりともしねえ」
「そうだけど」
だが、実際にオラトリオはやって来た。
こんな時間に。
揺らぐオラクルの前に膝をつき、握りしめられた携帯電話を取る。自分のと揃えて枕元に放り出すと、薄明りの中、ますます浮世離れして見えるオラクルの頬に手を伸べた。
「目が覚めたんだ。おまえが呼んでる気がして。そしたら、やっぱりだったから、こうやって来たんだ。――呼んでただろ?」
笑うオラトリオをじっと見つめ、ややしてオラクルは深いため息をついた。
膝をつく姿勢から、傍らへ寄り添うように座る姿勢へと変わったオラトリオへと、身をもたせかける。
「呼んでた」
素直に認めるのは、いつものことだ。そういうところで無意味な意地を張らないのは、オラクルのなによりの美点であり、得難い気質だ。
オラトリオは瞳を細めて、そんなオラクルを見つめた。力を失って悄然としている肩を抱く。
「夢を見て。夢だって、わかってたんだけど――堪らなくて。どうしても、どうしても我慢できなかった」
「別に構わねえよ」
苦しげに吐き出される声に、オラトリオは軽く応えた。
「おまえが呼んでるのが俺なら、それでいい」
ほかのだれでもない、自分を求めているというのなら、それで。
空恐ろしいほどに甘く、オラトリオは囁いた。
オラクルはその言葉を吟味するように沈黙し、ますますオラトリオへとからだを預けた。
「どんな夢を見たんだ?」
「…」
答えはほとんど予想がついて、それでも訊いたオラトリオに、オラクルはくちびるを噛んだ。
それが答えだ。
オラトリオの夢を見たのだろう。
オラトリオに関する、なにかいやな夢を。
夢は夢でも、その実際の感触を確かめたくなるような、そんな後味の悪い夢を。
小さいころから間々あったことで、それでも小さいころにはオラトリオは夜中に出歩けはしなかったし、オラクルの実家に入ることもできなかった。
翌朝になって目を赤くしたオラクルに会って、慰めるのが精いっぱいで。
今はしみじみと恵まれていると思う。
会いたいときに、会うことができるのだから。
こうしてすぐにも抱きしめて、慰めてやることができるのだから。
「手が」
「ああ」
「手が、届かなくて――伸ばしてるのに、ぜんぜん………呼んでいるのに、声も、――」
話しながら掠れ声になるオラクルの肩を、オラトリオは強く抱いた。
なんであれかであれ、それは夢だ。
こうして今、自分は傍にいて。
「伸ばせよ」
「え?」
夢の悲しみに沈みこみそうになるオラクルに、オラトリオは夜中であることを配慮した小さな声で、しかし力強く言った。
「伸ばせよ、今、その手を。まだ届かないか?」
「…」
揺らぐ瞳を見張ったオラクルが、そろそろと手を伸ばす。オラトリオへと。
その手はオラトリオの胸元を掴んで、縋りつくように爪を立てた。
「…っ」
息を呑み、オラクルはさらに手を伸ばす。
オラトリオの背へと回って、引き寄せた。
大きなからだが、招かれるままにオラクルへと傾き、抱き合ってベッドへと倒れる。
「…」
重さを加減してくれるからだを抱きしめて、オラクルは小さく息をついた。
「やっと、とどいた」
つぶやき、背中に爪を立ててしがみつく。
夢だとわかっていた。
おぼろな感触。
揺らぐ意識。
夢だとは、十分にわかっていて――
それでも。
従兄弟が、オラトリオが、泣いていたから。
抱きしめてやりたかった。
悲しいと、苦しいと、恐ろしいと、狂うほどに泣く彼を。
ともに悲しみ、ともに苦しみ、ともに恐れ――そして、きっと、ふたりなら越えられるから。
「…」
安堵の中で、オラクルはオラトリオを抱きしめ、顔を擦りつける。
そうやって、いやな夢の感触が拭い去られて。
「………オラトリオ」
「ああ」
呼ばれた名が、困惑とともに熱を含んでいて、オラトリオは笑った。
「明日、早いよな…」
「今さらだろ」
真夜中に起き出して、お散歩して、ここにいる。
そして、腕の中にオラクル。
からだをもぞつかせるオラクルの考えていることはわかって、その機会を逃すオラトリオでもない。
「幸いにも、徹夜には慣れてんだ」
どんなに余裕を持ってスケジュールを立てても、どういうわけか毎回、締切り前には徹夜をする羽目になる、不思議仕事だ。
吹きこんだオラトリオを、オラクルは甘える顔で見上げた。
「明日、おまえんちに行って、家事手伝うから」
せめてものお詫びの宣誓を、オラトリオは笑い飛ばした。
「起きられるようなからだにしねえよ」
「それは」
さすがに困る。
くちびるが言葉を吐き出す前に、オラトリオはキスで塞いだ。