ぷらてぃなむ・らばー
「天の川を見に行ってくる」
「どこに?!」
「どこにって…………」
オラトリオの間髪入れぬ鋭い問い返しに、玄関に立ったまま靴も脱がない従兄弟は、困惑したように首を傾げた。
そのまま、沈黙。
沈黙。
沈……………
「さあ?」
「ここまで時間をかけて考えて、答えがそれかよっ!!」
よくあることだが馴れることもなく、オラトリオは悲鳴を上げた。
七夕だ。
天の川を見に行きたいという発想は、わかる。
しかし問題は、本日の天気だ。雨だ。
晴れ雨ではない、雲が一面に空を覆ったうえでの、雨降りだ。
この近所では、どんなに見晴らしのいいところへ行こうとも、天の川鑑賞など出来るわけがない。
ということは、遠出。
日本全国津々浦々、隈なく梅雨のこの時期に、空が晴れ渡っているところを探して――
もうひとつ言うと、現在時刻だ。
夕方だ――
「もうすっげえデジャブ。何度おんなじことくり返すのかっつー勢いで、デジャブ。この展開」
「なんだかわからないが、苦労してそうだな、オラトリオ………」
「わあ慰めてもらっちゃったーオラクルさんやさしーいー畜生っ!!」
「ああ、グレた…………」
句読点も息継ぎもなしで一気にグレに走ったオラトリオにも、オラクルは落ち着いていた。ここ最近見ることもなくなった、古式ゆかしいヤンキー座りを開帳する従兄弟の頭を、よしよしと撫でてやる。
元凶だ。
残念なことに、オラクルにその意識はない。自分の従兄弟は本当に、繊細で繊弱で困ったものだと思っている。
ここの意思疎通が一切図られないために、オラクルの行動が改められることはない。
ただオラトリオ曰く、意思疎通を図ることは徒労でしかないから、あえてやっていないのだとか。
意思疎通を図った程度で、改まる従兄弟ではない。
そこのところ、オラトリオの信念は盲目的に堅固だった。
「そもそもなんで、もっと早い時間に言わねえんだよ?!」
座り込んだまま、下から微妙な涙目で叫ぶオールドスタイル・ヤンキーに、オラクルはあっさり答えた。
「思い立ったのが今だから」
「そうですよねっ!」
敬語になった。
――というような、大変日常的なやり取りを交わした二人だったが、今日のオラトリオには確かな勝算があった。
勝算というとおかしいが、すでにオラトリオにとって、この従兄弟の無茶ぶりに応えることは、一種の勝負になっている。
なので応えられる宛てがあるとなれば、勝算と言うしかない。
七夕なのだ。
全国的な星空イベント。
星空イベントといえば――
「どうだ?天の川だっただろ」
ご要望どおりに『天の川』を見せてやったオラトリオは、得意満面で胸を張る。
オラクルのほうはどこか夢見がちな表情で、ふわふわと空を仰いだ。雨は止んだが、未だに曇り空だ。星どころか月も見えない、街灯だけが頼りの暗闇。
けれど確かに、『天の川』を見た。
「懐かしかったな…………小学校の体育館なんて、何年ぶりだ?」
「それを数えると、一気に老け込むぞ」
「あはは」
茶化しつつも本気の混ざったオラトリオの返答に、オラクルは明るく笑った。
どちらにしろ、夜になって暗くならなければ、天の川など見えない。
いいから暗くなるまではうちにいて、夕飯を食っていけ、と――
オラトリオに引き止められ、一応納得したオラクルは、あのまま上がりこんだ。
きちんと夕飯もご相伴し、夜も七時過ぎ。
パルスにシグナルとちび、そして途中からは信彦とも合流して向かったのが、信彦の通う小学校――の、体育館だ。
いつもは部外者立ち入り禁止、夜間ともなれば厳重に封鎖されている小学校だが、今夜は違った。
PTA主催の星空鑑賞会、ならぬ、移動プラネタリウムが開かれたのだ。
信彦の証言によれば、昼休みからすでに体育館は封鎖されていたという。分厚いカーテンで厳重に隠したうえで、この準備をしていたらしい。
PTAの皆さんの、力の入りようがわかるというものだ。
おかげで、簡易的なプラネタリウムであっても、迫力は十分。
子供たちの上げる歓声に混ざって、大人もまた感嘆のため息をついて、ひと時の星空鑑賞を愉しんだ。
ちなみに、帰り道にパルスとシグナル、ちびの姿はない。
ちびはそのまま、信彦の家にお泊りに行った。なぜかパルスも同伴だ。年の差にも関わらず、信彦に引きずられるようにして連行された。
連行されたといえば、シグナルだ。
シグナルも途中で、なぜか彼の母を自認する少女:エモーションにとっつかまり、そのまま連行されて行方不明となった。
オラトリオが心密かに合掌したことは、弟たちには永遠に内緒だ。
そんなこんなで『うっかり』と、帰り道は二人きりとなったオラトリオとオラクルだった。
珍しいことに、画策も一切なし。
小学生のときには、二人もまた毎日のように歩いた道を、すっかり成人してから――
久しぶりに小学校の中に入ったあとだと、妙な感慨がある。
「で?天の川に、満足はしたのか」
「ん?」
しつこく訊くオラトリオに、オラクルは未だに星空を眺めているような、茫洋とした表情を向けた。
オラトリオがしつこいのには、訳がある。
満足しないとオラクルはこのまま、新しい天の川を探しに行ってしまうのだ。
すでに夕飯も済み、一通り鑑賞会に参加もした。夜もそこそこ遅い。
もちろんそんなことが、オラクルの行動を妨げる要因になどなりはしない。指摘してやったところで、不思議そうな顔で、『だから?』と問い返してくれる。
表情は笑みを浮かべながらも、内心は冷や冷やもののオラトリオを気遣うこともなく、オラクルはゆっくり首を傾げた。
そして、沈黙。
沈黙。
沈………………
「なんか、違うみたい」
「ぅがっ!」
思わず小さく、呻き声が漏れた。
あっさり放たれた断首宣告に、オラトリオは天を仰ぐ――目からビームが出るか、さもなくば交差させた腕から光線が発射されて、今すぐこの雨雲を追い払えないだろうかと、真剣に検討し始めた。追い込まれ具合が知れる。
そんなオラトリオにはまったく構わず、オラクルは来た道を振り返った。傍らを歩く相手へと視線を戻すと、仄かに笑う。
「…………天の川にかこつけて、おまえとデートしたかっただけみたいだ」
「なに?」
死刑宣告一転の答えに追いつけず、オラトリオは瞳を見張って固まる。
立ち止まった相手に合わせて足を止め、オラクルは今度ははっきりと、微笑んだ。
「おまえとデートしたかった。………だって、七夕だぞ?コイビトの日だろう?」
「……………あー………」
笑いながらもきっぱりと言い切られ、オラトリオは軽く天を仰いだ。
言い分はいろいろあれ――確かに、そうだ。
七夕だ。
織姫と彦星、古代世界を揺るがした、天界一のばかっぷる――その、年に一度の逢瀬の日。
これを恋人の日と言わずして、なんと。
「………仕方ねえな。手でも繋いで帰るか?」
「やったっ」
「………ったく」
ひらりと手を閃かせると、オラクルの笑みは無邪気さを伴って輝いた。
月明かりもない暗闇でも、その笑顔は眩しく映る。
ようやく心から笑って、オラトリオは手を伸ばした。すぐさま、オラクルの手が絡む。
「そういえば小学生のころ、登下校っていうと、おまえと手を繋いでたよな」
「おまえが車のことも気にしねえで、ほてほてほてほてほてほてほてほてと歩くから、やむなくだ。やむなく!まったく、今も昔も危なっかしいったらねえ」
「私はうれしかったけどなあ。だってケンカした翌日でも、私がちょっとふらっとすると、オラトリオはすぐに手を繋いでくれて………仲直りのきっかけになったし」
「……………………………敵う気がしねえんだよなあ………」
ぼやくオラトリオに、オラクルは華やかに笑う。
人通りも絶えた、夜の道。
二人は他愛もない話に花を咲かせ、家路へと並んで歩いた。
子供の頃と同じように、繋がれた手。
けれどより以上に、しっかりと指を絡めて、きつく固く――