玄関に立ったオラトリオは、迎えたオラクルにお土産の入ったバスケットを突きつけ、ぼそっと吐き出した。
「あつい」
眇めた目で見据えてくる汗だくの従兄弟からそっと顔を逸らし、オラクルは気まずく頷いた。
「ああ……………うん。そう、だ……な」
シンプリィ・スタイル
夏だ。
晴天、そして真っ昼間。
テレビをつければワイドショーの話題は、現在の暑さの話題で持ち切り。
のみならず、町内放送でまで高温注意報が流れ、役所だかどこだかは、車を出して町内を走り回り、ひっきりなしに適切な冷房使用による熱中症対策を取るようにとマイクで叫んでいる。
そうまでして、人々が懸命に暑さ対策に駆けずりまわる、現在。
かたかたかた、と。
古いアパートのオラクルの部屋の中に響き渡るのは、ちょっとばかり年代物の扇風機が回る音だ。
最新式と違って、風力の調節やタイマー設定などは一切出来ない。首振りをする気すらない。一律に回るだけが取り柄だ。
そして修理はしたものの、がたつきがあって、回るたびにかたかたと音が鳴る。
そこが愛しい。
――のだと、目の前で汗みずくになっている従兄弟に説明して、理解が得られるものだろうか。
おそらく、それはそれでこれはこれだと言われるだろう。
どうしても回したいのならば、冷房を入れたうえで、効率を上げるためにいっしょに使え、と。
違うのだ。
暑い最中に、これがかたかたと鳴って熱風を送ってくれるところが、愛しい。
ちっとも涼しくないけれど、懸命に羽を回している姿が、これ以上なく健気で和む。
――のが、自分だけだということは、もちろん理解している。
得てして、道具に対する愛着や思い入れというものは、そういうものだ。
他人の理解を得ることは、難しい。
「オラクル、現在時刻と現在気温と現在救急稼働率と……」
「あーあーあー!わかったわかった!クーラーつける!つけるから!!」
暑い最中、暑い外を歩いてやってきたオラトリオは、汗を拭くこともないままにお説教態勢に入っている。この場合、オラトリオが汗を拭かないのはわざとだ。
だらりと歩いても、たかが五分程度の距離。
それでもここまで汗みずくになる暑さだというのに、おまえはいったいどうしてクーラーをつけていないのかという。
「ああもう……っ」
オラクルはバスケットをテーブルに置くと、慌ててクーラーのスイッチを入れた。それからあちこちを走り回って、全開にしていた窓をすべて閉める。
つけたところで、まず出て来るのは熱風だ。
次いで生温い風に替わり、冷たい風が出て来るのはさらに先――扇風機だけがレトロなのではない。もともとアパートに備え付けだったクーラーも、いい感じにお古だ。
まったく年代物ではないが、最新式の稼働効率は望めない。
それでも、つけたことで後の涼しさは保証される。
「オラトリオ、とりあえずお茶飲んで――」
汗を拭けと洗面所からタオルを持って出て、オラクルは一瞬、オラトリオの姿を探した。
オラクルがすべての作業を終えるまでは玄関に仁王立ちしていると思った従兄弟は、すでに部屋の中だった。クーラーをつけられてもかたかた懸命に回る、かわい愛しい年代物扇風機の前に座りこんでいる。
こちらに向けられたシャツの背中は、べっちゃりと濡れていた。
「………」
自分が手に持ったタオルとオラトリオの背中とを見比べ、オラクルは一度、首を回した。
もう一度洗面所に戻ると、バスタオルを出す。それから、頻繁に泊まっていくために置いてある、オラトリオの下着と、夏場のパジャマである甚平。
一式用意してから、オラクルはようやくオラトリオの傍らに行った。
「オラトリオ、シャワー浴びて来い。用意したから」
「あ~~~~~~~~~」
「………………好きだなあ………………」
おざなりな返事をされたことよりも、その声の響きに、オラクルは呆れてつぶやいた。
レトロ扇風機の愉しみといったら、回る羽に向かって無意味に声を上げ、ぶれる音を聞くことだ。回っていたら、一度はこれをやらないわけにはいくまい。
ひとのことをなんだかんだと言うオラトリオだが、意外にこういう遊びが好きだ。むしろオラクルよりも。
今日のノルマを無事に果たしたオラトリオは、風に当たってわずかに汗の引いた顔を、呆れるオラクルに向けた。
発汗と風とによって、いつもきれいにセットされている髪もさすがに崩れている。その崩れた前髪は、未だ乾ききらない汗で、ぺったりと額に張りついていた。
妙に幼くなるその顔で、オラトリオはにんまり笑ってみせる。
「おまえもいっしょに浴びろ。汗みずくなのは、おまえもだろ」
「まあ、そうだけど………。うちの風呂が、そんなに広くないのは知ってるだろ。二人一度じゃあ……」
そんなに広くないのに加えて、二人の体格だ。成人男子ということもあるが、共にどうしてこうも発育したかと頭を抱える、ガタイの良さ。
身動きが取れない。
ついでに、蒸す。
「水シャワー浴びるからいいだろ。それに一人一人が個別に入るより、ずっと光熱費がお得だ」
「……思いやりをありがとう」
オラトリオは、フリーライターとして働く傍ら、一家の主夫として弟三人+姉一人の面倒を見ている。きょうだいの紅一点である姉は弁護士で稼ぎ頭だが、家庭的要素はすっぱり抜け落ちている女性だ。
一か月のやりくり云々ももちろん、オラトリオの仕事で、だから他人の家に関してすら、こうして光熱費の心配がさらりと出来る。
天を仰いだオラクルの腰を、立ち上がったオラトリオはうきうきと抱いた。
「まあなんだ。二人でシャワー浴びて出てきたころには、部屋もきっちり冷えてるだろ。火照った体を冷やすおやつも、冷蔵庫で程よく冷える頃合いだし」
「ん?火照った?」
「冷え過ぎたらまた、適当に調節すればいいしなー」
「いや待て、オラトリオ!なにか聞き捨てならない………」
さらさらと言い立てつつ、腰を抱いたまま洗面所へと向かうオラトリオに、オラクルは小さくもがく。
どうして水シャワーを浴びて汗を流して、出てきたら火照っているのだ。
確かに、水で冷やすと反発して体は火照るものだが、どうもそういう意味合いではない気がする。
そして冷え過ぎた場合の調節というのは――
「オラトリオ?!昼間だからな?!」
もがいて叫んだオラクルに、オラトリオはさっぱり悪びれない笑顔を向けた。
「昼間だとも!なら訊くが、夜に会える仲か、俺たちが?デートはもっぱら昼間、逢瀬ももっぱら昼間、だったらもちろん、昼間にするしかないだろう!」
「そう、だが、っ」
――悪びれないにも、程がある。
脱力しかけるオラクルの首筋に、オラトリオはぺちょんと鼻をつけた。辿って顔を上げ、がぶりと耳朶を咬む。
「っいっ!」
「大丈夫、昼間はお隣さんも不在だ。ちょっとくらい俺たちがはしゃいだって、むしろ夜よりまずくねえよ」
「………不健全極まりない健全な意見で、有り難い……」
やる気漲る従兄弟の淀みない説得の流れに、オラクルは諦めた。
なにがどうしてこうまで従兄弟のやる気を漲らせたのかわからないが、仕方ない。
オラクルは顔を上げると、せめてもの意趣返しとばかりに、ご機嫌なオラトリオの首筋に咬みついた。
ふ、と――汗が香る。
「あ……」
「ん?」
「………………いや」
べたつく体。
香る汗。
――たぶん、不快だ。これが、従兄弟でなければ。
その相手が従兄弟だというだけで、意味のすべてが反転する。
いい加減、単純にも単純過ぎる、思考と体の構造。
「………ケダモノちっくだなあ」
「なんだ?オラクルくんはどんな、イヤラシイことを考えているんだ?んがっ!」
オラクルのつぶやきを拾ったオラトリオが、これ以上なくだらしない顔をご披露くださる。
その鼻を力いっぱいつまみ上げて反省を促しつつ、オラクルはそっとため息をついた。
べたつく体も香る汗も、馴染みのものだ。
常に、心地よい疲労と末端まで痺れた、幸福を伴って――