幸福な話
まるで双子のようだと言われる。せめても、両親の同じ兄弟かと。
オラクルとオラトリオの話だ。
大体、二人が従兄弟同士なのだとわかると――両親がまるで違うのだとわかると、目を丸くされる。ないことではないが、それにしてもよく似たものだねと。
見た目だけの話だ。
背の高さや肉付き、容貌、そういった、『外』から見える部分だけの類似性であり、近似性。
中身がまるで違うことを、オラトリオは知っている。
たとえばオラトリオは『オラクルの通訳』などと喩えられることがあるが、うわべだけの話だと、オラトリオは知っている。
オラトリオだけが、よく理解している。
その明晰にして繊細な頭脳で、常日頃から深くふかく観察しているから、オラクルの言動にある程度の類推が成り立つだけなのだ。
そしてその類推の正答率が他より多少、高いというだけのこと。
本当には彼の思考など読めないし、わからない。
オラクルの目に映るもの、耳が聞く音、嗅ぐ香り――
なにがそうも従兄弟の注意を奪い、こころここに在らずとしてしまうのかなど、本当にはまるで追えない。
たとえば、今だ。
「あーあー………」
オラトリオは小さく、ぼやき声を上げた。
次の仕事の打ち合わせに二人で出かけ、帰りに少々遅めのランチと決め込んだ。入ったのはよくある型のファミリーレストランで、そういった意味で物珍しいことなど、なにもない。
言うなら、街中であったため、客はそこそこ多かった。平日で、昼時間からも多少ずれているのだが、それなりに席は埋まっている。埋まって出て、また埋まって――
しかしきっと、この留まることなく移り変わるひとの流れが従兄弟の意識を奪ってしまったのではないだろうなと、オラトリオは長年の経験から推測していた。
客の中に、なにか目を引くようなタイプがいて、ということではない。これは、断言できる。確率を言えば八割で、完全にとはいかないが。
――ではなにが、ランチ中の従兄弟の目を引き、意識を奪って、食べかけのグラタンを冷めるに任せる原因になったのかという話だ。
わからない。
ああ、オラクルの意識が取られたと。
気がついた瞬間に、オラトリオもまた、店内をさっと見回してみた。客層に配置、店員の動きや店内BGM、それこそ、壁紙の種類に模様や、天井の仕様まで全体をだ。
そしてやはり、わからなかった。
よくあるフランチャイズ型のファミリーレストランで、店内配置も内装も珍奇なところはなく、騒がしいとはいえ、ことに目立って大騒ぎをくり広げる客もなし、もしくは『目に騒がしい』奇抜な装束の客がいるでもない。
平和だ。
日常で、どこに異常が――目を引き、耳を取られ、意識を奪われきって、ランチを冷めるに任せないといけないほどのものがあるのか、まるで理解できない。
だから表層だけの、うわべだけの理解でしかないのだと、オラトリオはよくわかっていた。
こうして頻繁になにかに意識を取られるオラクルなど、それこそほんの小さいころから馴染みのものだ。
いったいなにに意識を取られたのか、逐一聞いてもきた。
けれどこうして成人するまでの年月を重ねても、彼がなにに気を取られたのかがわからない。
そしておそらく、あとになって原因を聞いたところで結局、わからないのだ――どうしてそんなものに、それほどに意識を取られたのか。
「………やれやれ」
つぶやき、オラトリオは自分のランチであるパスタをフォークに絡め、ばくりとひと口含んだ。
咀嚼と、嚥下。その間に意識が戻ればいい――
が、こういう類推、経験から来るうわべだけのそれは、よく当たる。
戻らない。
「だよな。だったら苦労なんざ、しねえっての」
口の中のものを飲みこんでぼやき、オラトリオは手慰みにパスタを絡めていたフォークを皿に置いた。空いた手を向かいに伸ばす。
こんこんと、扉でもノックするようにオラクルの頬を軽く叩いた。
「オラクル」
「……ん」
頬を叩いて、呼びかけて――
返るのが生返事と、茫洋と意識の戻らない瞳だからもう、泣くのも通り越す。
単なる従兄弟、単なる幼馴染み、単なる親友、そういったものをすべて過去に経て、今やオラクルとオラトリオとは、仕事上のパートナーであり恋人、生涯的な伴侶でもある。
いわば人生のすべてが懸かる相手なのだが、こうだ。
――そういう相手だからこそ、逆に気が緩んでこうなのではないかとも言われるが、違うということをオラトリオは知っている。
だめなとき、だめなものはだめだ。
それだけの話だと。
というわけで、頬を叩いて名前を呼び、注意を取り戻そうとしたが、だめだった。
となれば、おそらくもはや、この店内から外に出るほか、オラクルの意識を戻すすべはない。
ランチ中だ。幸いと言うなら、そろそろ食べ終わる頃だったということか。
途中で意識を取られて止まったオラクルの皿には、それでもまだ、半分程度が残っているが、半分は食べたのだ。
これでもういいことにして、オラトリオはがぱりと口を開けた。
「ひと口」
「ん」
「寄越せ」
「……ん」
生返事のオラクルは指示された通り、スプーンにグラタンを載せ、オラトリオの口に運んだ。そこまでの動きを取っても、瞳は茫洋と、意識が戻らない。
構うことはなく、オラトリオはオラクルが差し出したスプーンをがぷりと咥えた。少しだけ、顔をしかめる。
熱かった。
油断した――もとが、熱々の焼き立てグラタンだ。保温性の高い皿でもあるし、まだ半分残っていたのだ。さすがに、無惨なまでに冷めきってとまでではなかった。
とはいえ、火傷をするほどでもない。
なにを言うでもなく咀嚼し呑みこみ、オラトリオはまたもや口を開けた。
「ひと口」
「ん……」
茫洋と、オラクルは指示されたまま、スプーンにグラタンを載せ、オラトリオの口に運ぶ。意識があれば、『まだ熱いぞ』などと言って吹き冷ましてくれるが、現在そういったサービスは休止中だ。
熱いとわかっているそれを、しかしやはりなにも言わず、オラトリオはがぶりと食べた。
次いで自分の皿に置いていたフォークを取り、巻きつけたパスタごと、オラクルの口元に運ぶ。
「オラクル、口」
「ん」
――指示されるまま。
オラクルはこれまた素直に口を開き、オラトリオはそこにフォークに絡めたパスタを突っこんだ。もごもごもごと、オラクルの口が咀嚼に動く。
オラトリオはフォークにパスタを絡めつつ、注意深くその様子を窺った。
こくりと、オラクルの咽喉が動く。同時に、口の動きも止まる。
「オラクル」
「ん…」
呼びながらパスタを口元に運ぶと、オラクルは素直に開き、突っこまれるまま、咀嚼して嚥下する。
フォークに次のパスタを絡めつつ、オラトリオは口を開けた。
「オラクル、ひと口」
促して運ばれるグラタンと、タイミングを見て運ぶパスタと――
そうやって互いの口に給餌をくり返し、オラトリオはグラタンを、オラクルはパスタを食べきった。
念のために言うなら、もともとオラクルが食べきるべきであったのは、自分で注文したグラタンのほうだ。オラトリオが食べきるつもりだったものも、自分が注文したパスタだった。
しかしこうなったオラクルは、自分の口に食事を運べと促しても、生返事だけでまるで反応しない。
ただしオラトリオが口に運んでやれば、それはきちんと食べる。口の中に入れたまま咀嚼が止まることはないし、飲みこみに失敗して咳きこむこともない――実のところ、そうなればさすがに意識が戻るだろうから、いっそそうなれと密かに目論んでいたりもする。
が、これまでのところオラクルは、こればかりは器用にこなしてくれてしまっているので、実現したことはない。
さらにもうひとつ言うなら、自分の口には運べないオラクルだが、オラトリオの口に寄越せと強請れば、そのときだけは動く。
愛だということにしている。
「よし、食ったな。じゃあ行くぞ」
「ん………ぅん?」
伸ばした手で、まるで小さな弟にでもするようにがしがしと頭を撫でてやると、ようやくオラクルの瞳に焦点が戻って来た。それでも完全とは言い難いが、先よりはましな色だ。
頬を叩くのみならず、頭を撫でてやればよかったのかとも思うが、これもこれで時に依る。揺さぶっても担いで運んでも、戻らないときは戻らないのだ。
だから今のこれはおそらく、なにかのタイミングがあった程度のことだろう。
世話の焼ける、手のかかる相手だ。
それもまた、愛おしさを掻き立てる要素にしかならないから、もはやいいのだ。
割れ鍋に綴じ蓋だの、つける薬がないだのと、そんなことはひとに言われるだけでなく、オラトリオもまた、自覚することだ。
それでいい。
こういう相手に付き合えるのは自分だけだし、ならばライバルと成り得る輩も少ないということだ。
生涯を捧げて来た、全身全霊を懸けた想いを注ぐ相手が、ほいほいと他人のものとなってしまう可能性が低いのは、オラトリオにとっては幸いに分類され、そしてそれで終わるだけの話だった。
「……らとり、お?」
「食べ終わったからな。出るぞ」
「………ぅん?」
覚束ない口ぶりだが、名前を呼んでくれた。
それで天にも昇る心地を味わうから、オラトリオは泣くも通り越し、笑う。
これは幸福だ。
確信とともに笑って、オラトリオはレシートを掴むともう片手で従兄弟の手を引き、レジへと向かった。