「酔ってない」

酔っ払いの常套句を返されて、オラクルは顔をしかめた。

オラトリオが酔ってないと言って、ほんとうに酔っていなかったことなどない。

Parsley,Sage,Rosemary,& Thyme-10-

「それだけアルコール臭させて、酔ってないとか戯言も大概にしろ、このたくらんけ」

「でも酔ってない」

床に寝転がったまま、顔を覆ってオラトリオは言い張る。声が弱い。

もしかして乱暴に振り回したせいで、気分でも悪くなっただろうか。

お人好しにもそんな心配に捉われて、オラクルはオラトリオの傍らに膝をついた。

「酔えない」

オラトリオはますます小さい声でつぶやく。

オラクルはそっと手を伸ばし、セットの崩れた前髪をやわらかく掻き上げた。

「気分悪いのか水飲むか?」

「…」

沈黙されて、オラクルはさらに心配になった。

話せないほど気分が悪くなったのだろうか。

アルコールで熱の上がった額に手を置き、首へと流して脈を診る。早いような気がするが、異常かどうかはわからない。

「オラトリオ」

焦れて呼ぶと、ため息が応えた。顔を覆った手が震えている。隙間から覗く表情は苦しげだ。

「水持ってくるから、っ?!」

慌てて立ち上がろうとした腕を掴まれて、強く引かれた。

寝転んだまま抱きすくめられて、肩口に顔を埋められる。熱い吐息が肌をくすぐり、オラクルは得体の知れない感覚に無意識に震えた。

「ちょ、っと、オラトリオっ」

気分が悪いんじゃないのか、ともがくからだは、もがけばもがくほどますます強く抱かれる。

「痛い!」

とうとう悲鳴を上げたオラクルを、しかしオラトリオは放してくれなかった。

「逃げるな」

「っ」

驚くほど熱いくちびるが肌を撫でて、オラクルは竦み上がる。

もがくことを止めたからだを、オラトリオはそれでも力任せに抱きしめていた。

「おまえに逃げられたら、俺は泣く」

「…酔っ払い…っ」

オラトリオが話すたびに、くちびるが肌を撫でる。

罵りながら、オラクルは懸命にもがいて、オラトリオの顔を押しのけた。

上向かせた顔はぼんやりと潤んでいて、とても正気ではない。ゆらゆらと揺れる瞳は気弱で、縋りつくような光を灯していた。

とんでもなく、傷ついている。

長年の経験でそうと察した。傷ついた末の、自棄酒。それもわかった。

原因といえば、思い当たるのはひとつしかない。

夕方の。

――なんでおまえが傷つく!

傷ついているのも傷ついていいのも、自分のほうなのに。

忌々しさと同時に、莫迦な従兄弟への憐憫の情と、突き上げる愛おしさと。

突き放されて、傷ついてくれた。

自分に突き放されて、傷ついてくれる。

いい加減どうかと思うが、それがひどくうれしい。うれしいことが忌々しい。忌々しいけれど、しあわせだ。

「なんで嘘つくんだ、俺に」

ぐずぐずと泣き声で縋りつかれて、オラクルは首を傾げた。

ついただろうか。

きょとんとするオラクルに、オラトリオが恨めしげな顔になる。

オラクルの手を押し切ってまた胸元に顔を埋めると、パジャマから覗く肌をべろりと舐めた。

「こら?!」

「俺が付けたんだろ関係なくない。関係なくないのに…」

「…あー…」

弱々しい声で縋られると、強く撥ね退けられない。夕方のように上から押さえつけられれば、撥ねつけてもこころが痛まないのだが。

「おまえが俺に嘘つくなんて…」

「ええと」

「殺したい」

「…」

おまえがそれを言うか。

唖然として、オラクルは言葉が継げない。

ほんとうに脆い従兄弟だ。こっちこそ殺してやりたい。

ため息を押し殺すオラクルの胸に埋まったまま、オラトリオは愚図り続ける。

「そんなに嫌かよ、俺に触られるの。嘘つくくらい嫌なら、いつもみたいにはっきり、嫌だって言やいいんだ。そしたら俺だって思い切れるのに」

「…あー…」

酔っ払いの相手めんどくさい。

素面だと余計にめんどくさい。

思いはしたが、オラトリオかわいさが先に立った。そういう自分の態度から、もう少し類推してくれればいいのに、と思う。

その優秀な頭はいつでもなぜか、オラクル相手には働きが鈍い。

「あのな」

「思い切って、殺せるのに」

「…」

嫌じゃないから困るんだ。

言おうとした言葉を聞きもせず、オラトリオの言葉はひたすら物騒で、身勝手だった。

「縛りつけて閉じこめて、俺だけのものにしてやるのに…」

「…」

だから。

そんな言葉をうれしいとか思う自分が、いちばん腹が立つのだ。

所詮は、酔っ払いの戯言なのに。

本気だったらいいな、と考えて期待してしまう自分を、まったく学習しない自分をこそ、埋めたい。

オラクルは殺し切れずにため息を吐いた。からだに回されたオラトリオの腕に力が篭もる。

「なんで嘘ついたんだ」

駄々っ子の声。困り顔のオラクルを見上げる眼光が、虚ろなのに鋭い。

「おまえがショック受けるから」

オラクルが紡ぐ声は甘い。

こんなことをしても明日になればオラトリオはすっかり忘れていて、一からやり直しだ。

違うことがあるとしたら、そのときにはほんとうのことなど言えないということ。

ほんとうのことは、今しか言えない。

「酔っ払って私になにかしたなんて、おまえ、ショック受けるだろう」

頭を撫でながら、ちびにでも言い聞かせるように囁く。

すっかりセットが崩れているが、整髪料がついたままの髪は、触り心地がいいとは言えない。だが、気に入っている。

オラトリオだからだ。どんなでも、オラトリオだから。

「傷つくだろう。そんなの嫌だから」

「じゃあ、認めるんだな」

「ん?」

さっきまでの泣きべそはどこへやら、しっかりした声に念を押されて、オラクルは首を傾げた。

「これ、俺が付けたって、認めるんだな」

「…うん?」

これ、と言われて、首筋をつつかれる。そこにはまだ、鮮やかな色でオラトリオの独占欲が咲いている。

それにしても、どういうことだろう。オラトリオの瞳にかかっていた靄が晴れている。

なんとなく背筋にぞわぞわしたものを感じながら、オラクルは頷いた。

「おまえが付けたよ、確かに」

「…」

オラトリオの瞳に、動揺の影が走ったように見えた。だがすぐに消えて、眼光が鋭さを増していく。

「俺が酔っ払うたびに、おまえにプロポーズしてるってのも、認めるな」

「認めるもなにも…」

覚えてないのはおまえだけだよ。

わずかに腹立たしさを覚えつつ答えて、違和感に口を噤んだ。

おかしい。

なにかがおかしい。

いつもと違う。

「おまえ、いつもなんて返事してる」

「…」

なにを訊きたいのだろう。意図が不明だ。不明だが、これ以上進まないほうがいいような気がひしひしとする。

黙りこんで答えないオラクルに、オラトリオの腕に力が篭もった。痛い。苦しい。

「イエスかノーか。なんて返事してる」

「…イエス」

押されて答えた瞬間、オラトリオが腕から力を抜いた。

ほっとする間もなく、肩を掴まれてひっくり返され、床に押しつけられる。

押し倒された形になって慌てるオラクルに、オラトリオが吼えた。

「なんで言わないんだよ、それをなんでずっと黙ってたんだ!」

「…っ」

だから、オラトリオがショックを受けるから。

答えはあっても言えずに、オラクルは身を竦ませた。

「オラトリオ。…酔ってるよな?」

確認したオラクルに、オラトリオは自信満々、酒臭い息を吐き出した。

「酔ってるとも!」