ふわりと、降る。
冷たい、やわらかいその感触に、オラトリオは軽く瞳を開いた。
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意識が覚醒したと同時に、検索される現在時刻。――およそ、二時間ばかりも寝ていたらしい。
「………オラクル?」
「うん」
鈍い覚醒に、オラトリオは小さなため息をつく。
電脳図書館<ORACLE>内部にひっそりとある、管理人たちのためのプライヴェート・エリア。
そこに置いてあるキングサイズのベッドの真ん中に、オラトリオはからだを伸ばしていた。
面倒な仕事の合間の、わずかな休憩だ。
現実空間からダイブしてくるや、執務室にいたオラクルとろくに話すこともなく、ここに直行して寝てしまった。
存在の根幹にすら関わるような酷い疲労感は、軽度の疲労感程度に癒えたようだ。
そうなると去来するのは、放り出してしまった形になる、オラクルへの罪悪感。
広いベッドの端に腰かけたオラクルは、やさしく微笑んでオラトリオを見下ろしている。
相手をしてもらえなかったことへの不満もなく、ひたすらに穏やかな色が瞬いているのがまた、やりきれない。
気を遣わせたのだと、わかってしまう。
「あのな……」
「うん」
「…」
なにか言い訳をするか、それとも正面切って謝るか、迷いながら口を開いたオラトリオに、オラクルは身を屈める。
降る、キス。
軽く触れるだけのそれは、冷たくやわらかく、春の雨のように降り注ぐ。
「オラクル」
「うん」
呼べば、応える。
けれど、雨は降り続ける。
どこまでも穏やかに、やわらかく、やさしく。
深く感覚を繋げることもなく、揺さぶられることもなく、どこまでも緩やかに。
「…」
「……ん?」
思わず笑ってしまって、雨が止んだ。
不審げに見下ろしてくるオラクルに言い訳もできないまま、笑いの発作に襲われて身を折る。
「………オラトリオ?」
わずかに気分を害したかのような声音。
ああ、言い訳をしないと。
きっと、誤解しているから。
懸命に笑いを堪え、オラトリオはオラクルへと手を伸ばした。
案の定、拗ねた顔をしているその白い頬を撫でる。首へと辿り、からだを撫でて、腰を抱き寄せた。
「考え得る限り、最高だよな」
「なにが?」
おとなしく引き寄せられてくれるオラクルをさらに抱き寄せて、自分のからだの上に横にならせる。
あまり荷重というものを計算しないオラクルは、そうやったところで重くはない。
こういうときにはむしろ、重さを感じたいものだが。
「疲れて帰って来てよ。ちょっと休んだらまた、すぐに出掛けなけりゃならんってときに――その、全然嬉しくない目覚めのときに」
わずかに緊張したからだを、宥めるように軽く叩く。
責めたいのではないのだ。
そうではなくて――
「起こされ方が――おまえからの、キスの雨って。考え得る限り、最高の目覚め方だって」
「…」
オラクルが微動だにしなくなる。
考えこんでいる間があって、それから、恐る恐るといった感じで上半身を起こした。
「………つまり、気分がいい、――ってこと?」
感情の機微に疎い自覚がある管理人は、とても疑わしげに訊いた。
オラトリオは笑って、どこか幼くすらある表情のオラクルの頭を撫でる。
「あのなあ、俺、本っ気のマジで、へっとへとのくったくただったんだぜ。もう一生、起きるのなんかいやだってくらい」
「オラトリオ」
翳す陰を笑い飛ばし、オラトリオはオラクルの頬をつまんで伸ばした。
「なのに、起きたと思ったらおまえからキスの雨だろう?――もう、我ながら、現金過ぎて笑いが止まらねえんだけどよ………疲れが吹っ飛んだ」
「………」
「今、すげえ元気。ばかみてえだぜ」
オラクルが微妙な表情で考えこんでいる。
しばらく首を捻ってから、再びオラトリオの胸に倒れ込んだ。
「うん、つまり………気分がいいってことだな」
「そゆこと」
実際は、気分がいいレベルを軽く超えてしまっている。我がことながらあまりに現金で、もはや笑うしかない。
やさしく、やわらかく、降り注いだキスの雨。
目覚めの瞬間に感じた、からだの奥に澱のように溜まっていた疲れが、解きほぐされて、融かされて、静かに流されて。
「………なあ、もう一回、するか?」
胸の上で訊いたオラクルに、オラトリオは時間を確かめた。
現実空間に戻ると決めた時間まで、あと少し、猶予がある。
「そうだな」
頷いて、軽いからだをひっくり返した。体勢を変えて、自分の下に敷く。
「オラトリオ?」
きょとんと見上げる瞳に、ウインクを返した。
「せっかく起きたんだから、もう少し」
「…」
いつもいつも現実味がないまでに白い肌が、さっと朱を刷いた。珍しくも、オラトリオの言いたいことをきちんと察してくれたらしい。
「いいだろ?」
確信を持って訊いたオラトリオに、オラクルは纏う色を明滅させた。
それから、手が伸ばされる。
「キスだけか?」
訊き返されて、オラトリオは笑った。
「雨あられと」
首に回った手が、オラトリオを引き寄せる。素直に引き寄せられて、オラトリオはオラクルのからだに埋まった。