轟いた絶叫に、オラクルは顔を上げた。
「…………シグナル?」
はろはろ2D
眉をひそめて、考えこむ。
どうも、玄関ホール付近で絶叫が上がったと思しいが、なにゆえそんなところで絶叫。
検索を掛けてみても、玄関ホールに異常はない。
「???」
「オラクル様ぁ、オラクル様ぁあ!いやんもう、これもかわいいですわぁあああ!!!」
首を傾げるオラクルが検索をやり直す前に、テンションの上がった電脳の淑女が悲鳴を上げる。
こちらは玄関ホールで、彼女の「息子」が上げた悲鳴とは違う。うれしい悲鳴というやつだ。
「このジャック、ふわんふわんでほわんほわんですのぉおおお!!」
「ああ。気持ちいいだろう?」
とりあえず微笑んで応え、オラクルはカウンターにすっ飛んできたエモーションが胸に抱く「ジャック」――こと、かぼちゃのお化け、ジャック・オー・ランターンを見た。
『きょきょきょきょきょーっっ』
奇怪な声を上げるジャックは、淑女の胸の中で喜んでいるのか怒っているのか、よくわからない。
見た感じはビニール風船のような、ミニマムサイズのジャックだ。エモーションの言う通り、感触はふわんふわんで、ほわんほわん。
「ジャックがふわふわでどうすんだよ」
カウンターを挟んで向かいに座っていたオラトリオが、呆れたように腐す。
オラクルは瞳を瞬かせて、そんなオラトリオを見た。
「だめなのか?」
「かぼちゃだっての。ふわふわだったら、腐ってんじゃねえか」
「え?」
わからない顔で首を傾げるオラクルに、オラトリオは軽く天を仰ぐ。カウンターの上を手が彷徨い、小さなかぼちゃをつくり出した。
「『かぼちゃ』」
「うん」
「『かぼちゃの硬さは主婦泣かせ』」
「え?」
きょとんとするオラクルに、オラトリオはかぼちゃを投げる。
受け取ったオラクルは、小ささに見合わないずっしりした感触に、瞳を見張った。
「まあ、ハロウィン用のかぼちゃは結構やわらかいけどな。それでも、お面に出来るくらいだぜ。それなりに硬い」
「ほんとだ、しかもざらざらしてる………」
「きゃぁああああああああ!!おおかみおとこぉおおおおおおおお!!!」
オラクルが新しい学習をしている傍らで、淑女が淑女らしからぬ悲鳴を上げる。
「いやぁん、しっぽもおみみも、ふっわふわでもっこもこですわぁあああああ!!ああん、お手!お手!!きゃぁああああああああっっ!!!かしこぃいいいいいいっっ!!!」
強請られて素直にお手をする「おおかみおとこ」を見て、オラトリオは頭を掻いた。
狼男がそんなにすんなり、「お手」をしてどうする。
しかし現在、<ORACLE>内に溢れかえっているお化けたちは、みんなそんなふうに、愛らしくミニマムキャラクタ化されたものばかりだ。
製作者はもちろん、オラクル。
オラトリオ曰く、持て余した暇をろくなことに回さない、電脳図書館の管理人だ。
久しぶりに帰って来たら、<ORACLE>の中はすっかり、ハロウィン仕様に変わっていた。
執務室と言わず、<ORACLE>内部のそこかしこすべてに、この愛らしいお化けたちが飛び回っている。
まだ行っていないが、もしかするとプライヴェート・エリアにも。
「…………さすがにそこは、勘弁してほしいよなあ………」
ただ寝るだけでも邪魔だが、オラクルを連れ込んだときは、もっと邪魔だ。
ぼやきながら、オラトリオは執務室を見渡す。
「ぁあああん、ばんしぃいいいいい!!!なんってかわいいコーラスですのぉおおおおお!!!」
「…………まあいいけどよ」
最近は兄を現実空間に取られて、微妙に退屈を持て余しているエモーションだ。
彼女の兄を「取った」のは自分の弟で、特にそこに思うところはないが、はしゃいでいる姿を見ると、それなりに安心する。
オラクル以外には大して感情を動かされないオラトリオだが、それでも付き合いの年数も長い。
世話になったことは数知れないし、自分が不在の間に、オラクルの無聊を慰めて貰ってもいる。
多少は寛容にもなっていいかとは、思う。
『けけけっ?』
「俺は遊ばねえよ。お嬢さんに遊んでもらえ」
箒に乗って飛んで来た「魔女」の鼻を軽く弾き、オラトリオはやれやれと肩を竦める。
ハロウィンが終わるまで、くつろげないのは仕方ない。なにより、お嬢さんもそうだが、オラクル自身が、楽しんでいるのだから。
「あ、そういえば……」
「ん?」
お茶に手を伸ばしたところで、オラクルが声を上げた。視線を投げたオラトリオに、戸惑う瞳を向ける。
「さっきから、シグナルが悲鳴を上げているんだけど………」
「………あー………」
館内図を出して、迷走する光を追うオラクルに、オラトリオは頭を掻く。
思ったとおり、館内各所にお化けが散らされているようだ。お化け恐怖症のシグナルに、現在の<ORACLE>は鬼門以外のなんでもないだろう。
「私には異常が感知できないんだが……」
「いやいや、オラクル…」
すっ呆けた心配をしている管理人に、守護者は手を振った。
「あの腰抜けはな、お化けが駄目なのだ、オラクル」
しかしオラトリオが答えるより先に、妹とともに来訪し、いつものようにソファにふんぞり返っていたコードが、冷たく吐き捨てた。
その頭には、ミニマムサイズのトロルが乗っている。邪魔だが、跳ね除けない。跳ね除けると、別のお化けに乗られるだけだからだ。
何度か攻防をくり返し、トロルで諦めた老師だ。
細雪を抜くと、もれなく弟にも怒られるが、妹にも責められる。
下手をすると泣かれる。
「お化けがだめって………そういえば、そんなこと聞いたけど……」
聞いたところでわからない顔で、オラクルはカウンターの上をふよふよと飛び回るジャック・オー・ランターンをつついた。
「これだぞ?」
「関係ねえって」
確かに、愛らしくデフォルメ化はされている。
されているが、お化けだ。そこに理屈はない。
「お化け」だと認識した瞬間に、シグナルはパニックに陥るのだ。
「まったく、情けない」
鼻を鳴らす師匠の髪の毛を、トロルが甘噛みしている。懐かれた以上に、愛されているのかもしれない。
そんな師匠を眺め、オラトリオはお茶を啜った。
「………そうは言いますけどね、師匠。確かあいつがお化け嫌いになったのって、『小さいころ』に、『外』でウイルスに追っかけられたせいじゃ、あーりませんでしたかねー」
「っっ」
空っとぼけた口調のオラトリオの指摘に、コードはぐ、と黙った。
そこは弱いところだ。
勝手にほいほい出たやつが悪いんじゃい、とは言うが、まだ理性も正気も確立しきっていないプログラムに、「中」と「外」の区別をつけろ、というのが土台無茶だ。
「ウイルス?」
コードが反論するより先に、オラクルが眉をひそめた。
オラトリオは膝にかじりつくお子ちゃまミイラ男をつまんで持ち上げると座らせてやり、ぽんぽんと頭を叩いた。
「そ。ウイルスってのは視覚化するとちょうど、映画とかのお化けみたいな感じだろ。おまえだってダメじゃねえか」
「でもこれは、ウイルスじゃない」
「ん?」
軽く言うオラトリオに、オラクルは眉をひそめたままだ。
オラトリオの膝の上のミイラ男をつまんでカウンターに乗せると、さらりと撫でた。瞬間的にグリッドが剥き出しとなり、走るプログラムが浮き上がる。
「正規プログラムだ。私がつくった、きちんとした」
「あー。なるほど」
MIRAとSIRIUSという得難い素材でつくられた新型のシグナルは、情報の解析方法が既存のプログラムたちとあまりに違う。
どちらかといえば人間に近く、視覚で「見た」ものを「見た」ままに肯定する。
それが非正規プログラムで危険なものか、正規プログラムで安全なものか、そういった分析は、いっさいしない。
「見た」ことがすべてだ。
「どうしてこれが怖いんだ?危険なことはしないのに」
「まあな。おまえがつくったしな」
ウイルス嫌いという点で、オラクルの右に出るものはいない。常々脅かされ、対していればこそ、その嫌悪感は時に想像を絶する。
見た目が重要なんだ、と言っても、ウイルスを引き合いに出された時点で、もうオラクルには納得できないだろう。
「だから、アレは未熟だと言うておる」
ふん、と鼻を鳴らしたコードが、立ち上がった。トロルを頭に乗せたまま、すたすたと扉へ向かう。
「オラクル、アレを閉じこめておけ。迎えに行きついでに、ちょいと性根を叩き直してくれる」
迷走しているシグナルを指して言い、コードは執務室から出る。
なんだかんだと腐していても、基本的に面倒見のいいコードだ。いつまで経っても悲鳴を上げて逃げ回るだけの弟子を、放っておけないのだろう。
なにしろ、いつもならなにもかも放り出して駆けつける「電脳の母」が、かわいいお化けたちに夢中で、息子の悲鳴が聞こえていない。
「んー………」
コードに言われたとおりに回廊をループさせたオラクルが、ミイラ男に飛びつく狼男を眺めて、納得のいかない顔で首を傾げる。
「まあ、いいだろ。そのうちシグナルも、正規プログラムと非正規プログラムを見分けられるようになるって」
「………そうだな」
不承不承納得したオラクルから顔を逸らし、オラトリオは飛び回る火の玉たちを眺めた。
おそらく、無理だ。
いや、見分けられるようにはなるだろうが、対応は変わらないだろう。
それが弟に与えられた感覚であり、性能だ。
オラトリオは飛んできた火の玉を弾き飛ばし、ミイラ男と狼男の登り競争の舞台となっているオラクルを見た。
「そんでさ。こいつらって、プライヴェート・エリアにもいんの?」
「もちろん?」
「あー……………」
当然と頷かれ、オラトリオは頭を抱える。
しばらくの間、逢瀬がこぶつきだ。大量の。
「だってかわいいから、和むだろう?」
疑問もなく言うオラクルは、かわいいキャラクタが好きだ。
オラトリオはカウンターに伏せて頭を掻き、ミイラ男と狼男に登られる管理人を見上げた。
「俺はおまえだけ見てりゃ、十分和む」