「キスしていいか」

「………」

訊かれて、オラクルは身にまとう色を瞬かせた。

I want...

いつものように、執務室で、書類に向かっていた。相対して座るオラトリオは、やはりいつものように渋面。

いやだきらいだ面倒だ、とぶつくさこぼしながら、案件を片づけていっていた。

ところに、なにを思ったのか突然に。

「だめか」

「いや……」

重ねて訊かれて、オラクルは戸惑いに色を瞬かせつつ、首を横に振る。

「だめじゃないが」

そもそもしたいと思うと、こちらの要望を訊くこともなく、勝手に触れて離れるのがオラトリオだ。

もちろんオラクルとて他人のことなど言えず、したいと思ったらしている。

良くも悪くもそれが二人の流儀であり、常だ。

だからどうして、こんなふうに改まって訊かれるのかわからない。

さらりとキスするのまで拒むほど、忙しさに追われていたわけでもなく――

「………どうぞ?」

拒む理由もないから、そう答えた。

答えたが、だからどうしたらいいのかが、わからない。

瞳を閉じてくちびるを突き出して待つ、というのも違うような気がするし、ここで書類に戻ってしまうのも違うだろう。

唐突に、思いついたときに、したいときにしていた――ツケ回しで、こうやって改めて向き合わなければならなくなると、どうしたらいいのかがさっぱりわからなかった。

結局、戸惑いに色を瞬かせたまま見つめるオラクルに、腰を浮かせたオラトリオが顔を寄せる。

「っっ」

くちびるにくちびるが触れて、オラクルはびくりと竦んで瞳を閉じた。

キスなど今さら――こんなふうに軽く触れられたくらいで、びくつく仲でもない。

はずなのに、ひどく驚いて、電流が走ったようにからだが痺れた。

軽く境界が融けて、ほんのわずかに感覚が揺さぶられる。

それでもいつもと比べればずいぶんと軽く触れただけで、キスは終わった。

するりと境界が解けて離れ、オラトリオの気配がかなり遠のいてから、オラクルは瞳を開く。

「………」

なんだか、感覚がおかしい。

戸惑いながらオラトリオを見つめると、すでに書類に目を戻している。キスをした直後の常で機嫌が上向いたのか、愚痴はこぼしていないが。

だからといって、あからさまに上機嫌というわけでもなく――だからそう、いつもどおり。

予告もなく唐突に触れて離れる、そのときのままに。

「………」

いつものことだ。

思いついたときに思いついたままに触れあって、そこでわずかに息抜きをしてすぐに仕事に戻る。

いつものこと――いつものこと。

なのに。

「………っ」

オラクルは全身を真っ赤に染めて、俯いた。

オラトリオが触れていったくちびるを指先でなぞり、さらに身を縮める。

そんなにものすごいキスをされたわけではない。

軽く触れて離れた。他愛ないキス。

よくあること。

いや、もしかするといつも以上に軽く、他愛ない。

なのに、そんな――してもいいか、と訊かれて、しただけの、そこだけがイレギュラーだったキス。

「……っ…………っっ」

火が出るほど恥ずかしい、という言葉の意味が、ようやく実感できたような気がする。

どういうわけか、ひどく恥ずかしい。

耐え難いほどに、ひたすらに恥ずかしい。

「…………オラクル」

カウンターに突っ伏してしまったオラクルに、書類から顔を上げないまま、オラトリオが声をかける。

「誘うな」

「だれのせいだ!!」

ぽつりとこぼされた言葉に癇癪を起して叫び返し、オラクルはさらに頭を抱えた。

今さらこんな軽いキス程度で恥じ入る関係でもなく、仕事が手につかなくなるような年季でもなく。

それでも泣きそうなほどに恥ずかしくて、仕事が手につかないから、救いがない。

カウンターに突っ伏して恥ずかしさに悶えるオラクルをちらりと見やり、オラトリオは承認した書類をファイルに放りこんだ。

「たまにはいいかもな」

あっさり言われ、そのあっさりさ加減に、オラクルは伏せったまま、ぱちりと指を鳴らした。

どっさり降る、ファイルの滝雨。

素直に打たれたオラトリオが立ち直る前に、オラクルは呻いた。

「ちっとも良くない…っ」