合わせた両手のひら。
開いたそこから、ふわふわひらりと、降る花の雨。
"追憶の日々"
「…………」
叡智の結晶をうたわれる、電脳図書館<ORACLE>。
その執務室にある来客用ソファに横たわったオラトリオは、自分の頭上に降り積もるそれを眺め、そっとため息をついた。
ときどき、考えていることがわからなくなるのが、自分の相棒だ。
そんなことはないだろう、とは、他人にも言われるし、自分でも思う。
オラクルとオラトリオ――<ORACLE>=<ORATORIO>、もしくは、<ORACLE>⇔<ORATORIO>という、システム。
電脳を共有しているから、どこにいても繋がっているし、相手の考えていることなど筒抜け――
の、はず。
が、そうもいっていない気がする。
少なくとも、自分がなにをしてなにを感じているかはオラクルに筒抜けだが、オラトリオは――
とはいえ、違う解釈もある。
繋がって、共有しているだけの「脳みそ」に意味などないのだと。
伝わって来た思いが、感情が、考えが、理解できなければ、それは結局伝わったことにはならない。
オラクルが、結局そうだ。
オラトリオが感じること、見聞きすることをどれほど伝えて共有しても、本当には理解に至らない。
なによりも、架せられた思考統制があり、それゆえの世間知らずがある。
そう。
個々別々であるということ――
結論するなら、それゆえに、いくら電脳を共有していても、伝わる情報がすべて、自分にとって意味を成すとは限らない。
というわけで。
「あー……………キランソウ…?」
降り注ぐ花を取り、軽くプログラムを解きほどいて、オラトリオは花の名前を確認した。
ソファの傍に立って、なにやら無心の表情で花を降らせる相棒、オラクルを見上げる。
「うん」
手のひらからプログラムが生成され、茎を取られた花がオラトリオへと降り注ぐ。
たまに、よくわからないお遊びを気に入るのが、オラクルだ。
それは主に、あまりに度を越した世間知らずゆえであったり、果てを知らない箱入りゆえであったり。
「…………まさか俺に、オフィーリアをやれとか言わないよな?」
降り積もる花。
オラトリオの上に乗った分にはそのまま積もるが、床に落ちたりソファに落ちたりした分は、プログラムが解けて消える。
無駄に細かな設定だ。
しかしそういう無駄に細かい設定をやすやす行えてしまうのが、この<ORACLE>管理人でもあり。
とはいえ、本当に無駄だ。
花に塗れるのがオラクルならばオラトリオの眼福だが、自分が花に塗れても、ちっとも楽しくない。
楽しくない以前に、ちょっと気持ち悪い。
プレゼント用の花束を持っているなら、おにーさんは花の似合うオトコなのよ♪とでも言うが、そうではなく、全身が埋められている状態。
いわば、花布団。
そんなものは、自分には似合わない。やはり、やるならオラクルのほうだ。
――同じような体格で、同じような顔だ。
正確に言えば、身長差はわずかに10センチ、そして髪型が違うだけの、まったく同じ顔。
それでオラクルが花に塗れていて眼福になるから、オラトリオの視覚機能はちょっとバグっていると、姉になどは思われている。
「『オフィーリア』?」
オラトリオの言葉に、花を降らせ続けながらオラクルは首を傾げ、わずかに宙を睨んだ。
検索が動く気配がして、次いでその表情が歪む。
「……………どこからそういう発想が出て来るんだ?おまえってたまに、ちょっとおかしいぞ」
「………」
それを、この相棒にだけは、言われたくない!
果てしなく脱力して、オラトリオは目を閉じた。
ひんやりとした感触の花は手触りもよく作られ、埋まっているのは正直、気持ちがいい。
香りもしつこくないし、体に触れているとすっとして、疲れが取れるような――
「………?」
オラトリオは瞬間的に瞼を痙攣させたものの、どうにか寸前で瞳を開くことは堪えた。
息を潜め、自分の動揺が伝わらないように気配を誤魔化しながら、もう一度、体に積もる花びらを手に取る。
名前はわかった。
キランソウ――金瘡小草。
洗い出す、その情報。
情報から得られる、オラクルの行為の意味――
「…………………」
結局のところ、オラトリオは脱力して、ますますソファへと身を沈めた。
「オラトリオ?楽にならない?」
「いーやぁ……………」
楽だ。
体に溜まる疲労を、溜まった疲労から悪循環で生まれる熱を、花が心地よく吸い取り、吸い取った花は解けて消えて、新しい花が触れ、――くり返される、慰撫の循環。
どこかで、この花の情報に触れる機会があったのだろう。
それで、なにかしらのアイディアを思いつき、こうして実行した――
としても、ひとつ。
「おまえってほんと、いい感じにいい加減で、そんでもって容赦なく世間知らずだな………」
「なんだ、突然に?!」
驚いたところで、オラクルの手から降る花が止まった。
それはそれで、惜しいと思う。
花に埋もれるオラクルも眼福だが、花を降らせるオラクルも、ひどく神々しく美しくて、やはり眼福というものだった。
埋もれている自分とセットでなければ、どちらにしろ心愉しい光景ではあったのだ。
少しばかり勝手な感想は口に出さず、オラトリオは体に積もった花のひとつをつまんで、目の前にかざした。
紫のグラデーションが美しい、花びら。
なにか高貴で逆らい難い。
そんな印象のこの花が持つ、効能。
「オラトリオ?!」
「いや………」
電脳空間では必要もないというのに、軽食だおやつだと、いろいろ作ってはオラトリオに供するオラクルだ。
だったらその一環で、「今、生薬に凝っている」とでも言って、煎じたこれを出せばいいものを。
なにに嵌まってるんだ、この暇人が、とツッコミはしても、細かいことを考えることもなく、オラトリオは出されたものを飲み干しただろう。
そのプログラムに細工がされていたとしても、深くは気にしない。
所詮、やるのがオラクルだからだ。
たかが知れている、と侮っているというより、自分に対して悪しざまなことをするわけがないと、純粋に信じている。
金瘡小草――痛みを取り、熱を下げる、その効能。
けれどそれは現実空間であれば、きちんと手順を守って煎じた結果だ。
オラクルは花のプログラムそれ自体に、効能を持たせた。
場合によっては、「生薬」というものの意味を理解していなかった可能性も否定できない。
そうやって、オラトリオに溜まる疲労を、少しずつ。
「…………こんなものぁ、おまえがちょっと甘えてくれて、キスのひとつでもしてくれりゃあ、すぐに良くなるんだ」
「………」
つまんだ花を眼前に掲げてつぶやいたオラトリオに、オラクルはなんとも答えなかった。
ウソツキ、と。
こころの奥底ででも、つぶやいてくれればいいと思う。
なのにどう探っても、そんなふうに責める言葉が見当たらないから――
「抱きしめさせてくれ、オラクル」
つまんだ花は、触れたところからオラトリオの過剰な熱を吸い取り、消える。
花の消えた手をそのまま瞼の上に乗せて、オラトリオはオラクルを求めた。
「――抱きたい」
苦しく吐き出すと、躊躇っていたオラクルは、そっと体の上に乗って来た。
体重の演算を忘れているせいで、たかが10センチの身長差だというのに、羽のように軽い体。
抱きしめて縋り、オラトリオはオラクルを解いて、その中に自分を埋めた。