うねうね。
うねうねうねうねうねうねうねうねうねうね。
「どーして今日に限って………………っ」
ぼやいて、オラトリオは力なく、カウンターに突っ伏した。
翼あるケルブ
人類の叡智の結晶と言われる、電脳図書館<ORACLE>。
その管理人には、二つの姿があった。
ひとつはまったく人間と同じ、頭から足のつま先まで揃った姿。
そしてもうひとつは、上半身は人間と同じでも、下半身は<ORACLE>に繋がれた幾条ものコードと化した、異形の。
どちらもオラクルで、もうひとつ言うと、オラトリオはどちらのオラクルも愛している。
コードがうねうねしていても気にしないし、今のコードの動きはちょっとエロティックだよな、などとマニアックな悦びを見出していたりもする。
だから基本的に、オラクルがどちらの姿でいようとも、構わない。
構わない、のだが――
「なんで今日………………」
「オラトリオ、あのさ…………オラトリオ?オラトリオったら……」
<ORACLE>の執務室は、いつも通りだった。特にハッカーの気配を感じるでもなく、平穏そのもの。
仕事も驚くほど立て込んでいないし、新規にやって来る仕事も、大して難しくはなく。
珍しいほどに平穏無事な、今日。
管理者が揃って、ちょっと一休み、と決め込んだところで、多少は大丈夫そうな――
だというのに、うねうね。
うねうねうねうねうねうねうねうねうねうねうねうね……………………
「あー…………ったっっ?!!」
さらに慨嘆しようとしたところで、オラトリオはぱしんと頭を叩かれた。
慌てて体を起こすと、カウンター越しに立つオラクルは怖い顔で、その手にはスリッパ――
「なんでスリッパだよ?!」
思わず叫ぶと、オラクルは憤然と胸を張った。
「ツッコミを入れるならスリッパだって、テレビで言ってた」
「テレビ禁止!!」
まったくもって、弊害しか感じない。
叫んでから、オラトリオは叩かれた後頭部を擦りつつ、椅子に座り直した。
「そもそも俺のなにに、ツッコミを入れる要素があった」
「呼んでも返事しないから」
「そもそも俺のなにに、ツッコミを入れる要素があった!!」
ツッコミを入れる、という意味を完全にはき違えている可能性が出てきた。
そんなことばっかりだと思いつつも、こと細かに説明しだすとキリがないので、オラトリオはため息ひとつで諦める。
頭から手を離すと、未だにスリッパを持ったままのオラクルを困ったように見た。
「んで?ご用はなんですかね?」
「さっきからずっとため息ついてるから、なにか言いたいことがあるんだろうと思って」
「……………」
「オラトリオ?」
再びカウンターにうずくまってしまったオラトリオに、オラクルはきょとんとした声を上げる。
もう足はうねうねだし、ボケてもいないのにツッコミは入れられるし、ツッコミも出来ないボケはかまされるし――
「こういうのを、厄日ってんだな………」
うずくまったまま慨嘆するオラトリオに、カウンターへと身を屈めたオラクルは憤然と叫んだ。
「なにか、悪口言ってるだろう?!」
「珍しくも察しが良くて助かる!!」
自棄になって叫び返し、オラトリオはわずかに体を硬くした。
ファイルの滝雨を警戒してだ。オラクルは癇癪を起こすとすぐに降らせるから、油断がならない。
避ければいいかもしれないが、自分も悪かったと思ったときには避けないことにしている。打たれたあとに、『俺を大事に!』と文句は言うけれど。
しかし今日に関しては痛い雨に打たれることはなく、身を起こしたオラクルは困ったようにオラトリオを見ただけだった。
「オラトリオ、ほんとに………言いたいことがあるなら、言え」
「………」
嘆願されているのか命令されているのか、判然としない。
それがオラクルの話し方で、今さらどうこう言うつもりはない。嘆願口調なのに言葉は命令しているという、そのギャップがいちいち好きだし。
とはいえ。
「オラトリオ」
「………………なんでもねー………」
好きであることと、請われるまま、命じられるままに振る舞うのは、また別。
ぼそっと吐き出してそっぽを向いたオラトリオに、オラクルはカウンターへと身を乗り出した。
「なんでもないわけないだろう。仕事も手につかないふうで、ずっとため息こぼして。………疲れているなら、休んだらどうだ?今ならそんなに忙しくもないから、ちょっとくらい横になっても………」
「………………」
多少、疲れてはいる。
疲れてはいるから、横になってもいいというなら、歓んで。
歓んで――だが。
「…………………」
「オーラートーリーオー」
拗ねた瞳になってカウンターに懐いたオラトリオに、オラクルが恨みがましい声を上げる。
暇なときなら、休めと言われる前から休むと言い出す相手だ。
仕事嫌いという自称ゆえではなく、ストレスに異常に弱い己を自覚していればこそ、こまめな休息を取ることで、倒れる機会を極力減らしているのだ。
それが、今日に限って。
「言いたいことがあるなら、言え!!」
「あぃだだだだだっ!!」
頬をつねり上げて叫んだオラクルに、オラトリオは悲鳴を上げて体を起こす。
自分が悪いとわかっていてもとりあえず文句はつけておこうとオラクルを見て、しかしオラトリオは気まずく口を噤んだ。
瞬く、オラクルの色。
常にないオラトリオの様子に不安を煽られて、心配が募るあまりにパニックを起こしかけている。
追いこみたいわけではない。
こちらの抱える問題などは、口に出すのも憚られるほどに些細なもので、だからこそ頑固に口を噤んでもいたのに――
「あーのなっ!!ひざまくらっっ!!」
「ひ………っざ、まく……ら?」
がしがしと頭を掻きながら叫んだオラトリオに、オラクルは言葉の意味が掴めぬげにつぶやいた。
その表情と纏う色が、共に不可解を宿す。
「え?」
「だからっ、膝枕っ!!休みたいけど、俺の今日の気分は、おまえの膝枕でリラックスだったの!!おまえの膝枕で、のんびりしたい気分だったから………っ」
言いながら、いくらなんでも自分が情けなくなってきたオラトリオだ。
そこまでこだわるようなことかというと、おそらく違う。
添い寝を頼むのでも構わないし、ひとりでプライヴェート・エリアに篭もったところで構わないはずだ。
けれど、膝枕を楽しみにしていたら、まず相棒の足が消え失せていた。
そこからなにか、気分が捻じくれて――
「…………あ、『ひざまくら』。膝枕、か」
情けなさのあまりにオラトリオが黙りこんでしばらくして、ようやくオラクルは腑に落ちたようにその単語をくり返した。
「膝枕がしてほし――…………………ああ……」
オラトリオの望みをそのまま復唱しようとして、オラクルはようやく気がついたように、自分の下半身を見下ろした。
長いローブは健在だ。
一見すると変哲ないそこだが、今日は――
「……………確かに、『膝』はないな………」
「あー………っ」
そんな願いに固執する自分は、ひたすらに情けなくて恥ずかしい。
呻いてカウンターに突っ伏し、頭を抱えたオラトリオを、オラクルは微妙な表情で見た。
この『足』になるには、それなりに理由がある。
簡単には元に戻せないことも、相棒だからよく知っている。
だから、『足を元に戻して膝枕しろよ』とは、請えずに――けれど、諦めもつかず。
「……………ふ…っ」
オラクルは小さく笑い、呻きながらカウンターで頭をごろごろ転がしているオラトリオに瞳を細めた。
こんなことを言えば、きっともっと収拾がつかなくなるけれど。
かわいい。
――かわいいけれど、さて。
「えーっと………『膝』はないんだ」
「わかってるっ」
「でも、おまえのこと、抱きしめることは出来る」
「…………」
「胸に、ぎゅうって抱きしめて、添い寝することは出来るよ?」
「……………」
妥協案を出してみたオラクルを、オラトリオは気まずさを隠せない顔で見た。
ぼりぼりと頭を掻き、次いで深くふかくため息をつく。
健気でやさしい、相棒。
「………頭、撫でてくれるか」
気まずいながらも吐き出したオラトリオに、オラクルはにっこりと笑った。
「もちろん。おまえが望むなら、望むだけ」
ばかにすることもなく、嘲笑うこともなく、その口調も笑顔もひたすらやさしい。
オラトリオは再びため息をこぼし、カウンター越しに立つ相棒に弱々しく笑いかけた。
「頼む」
つぶやくと、オラクルは表情と纏う色を華やかに咲かせた。