ぐるぐる@ぐるんぱ
「えっと………これ、かな?」
一冊のファイルを引っ張り出し、オラクルは軽く手をかざす。
一瞬で中身のサーチを終えると、そのくちびるは微苦笑を刻んだ。
「これっぽいな」
頷くと、ファイルを持って本棚から離れる。
執務室に戻ったオラクルはすぐさまウィンドウを起ち上げ、文章を書き込んだ。
「よしっと」
書き上がった中身を軽くチェックすると、ぱたんと手を合わせる。動きに応じてウィンドウが畳まれ、くるりと回転して変形し、それは封書の形を取った。
「『オラトリオ』」
「んにょっ!!」
オラクルが小さく呼ぶと、応じてすぐさま、ねこだかたぬきだか判別のつき難いキャラクタ――『オラトリオ』が現れた。
いつもはよたよたほてほてと走ってきてオラクルに抱きつくのだが、ここ最近はなにかしらのブームが来ているらしい。
空間から吐き出されてカウンタの上に着地した『オラトリオ』は、そのままぽっこりおなかを突き出して背を仰け反らせ、びしいっと敬礼した。
「手紙を頼むね」
「にょにょっ!!」
書き上げたばかりの手紙を渡すと、『オラトリオ』は再び、びしいっと敬礼する。
そして、受け取った手紙を口の中に放り込んでもしゃもしゃ食べると、ぴょんと跳ね上がった。ポストペットよろしくメール機能と同化し、執務室からシフト――
しようとしたところで、にゅっと現れた手に、首根っこを掴まれた。
「にょにょぉっ?!」
「あ、…………」
不測の事態に驚愕し、『オラトリオ』はじたばたもがく。しかし首根っこを掴んだ手は力強く、小揺るぎもしない。
オラクルのほうは、わずかに顔をしかめた。ちょっとだけ顔を逸らしてから、小さくちいさくため息をつく。
「けんえつー」
「にょぉおおっっ!!」
「…………オラトリオ………」
のっぺらと地を這う声で時代錯誤な言葉を吐いたのは、電脳図書館<ORACLE>――オラクルの無敵の守護者である、オラトリオだ。
感情を失くして吐き出された声と同様に空白の表情を晒し、オラトリオはつまみ上げた『オラトリオ』の表面を、もう片手で軽く撫でる。
浮かび上がるのはプログラムで、高速で流れてまた、元の画像状態へと戻った。
そのうえで、オラトリオの手には新たに、手紙がつままれていた。
カウンタへと『オラトリオ』を放り出したオラトリオは、あくまでも空白の表情のまま、手紙を開く。
中身をさらっと確認すると、軽く手を振った。
「さくじょー」
「待て、オラトリオ!」
「にょぉにょぉにょぉっ!!」
慌ててカウンタの中から身を乗り出したオラクルに、預かりものを取られた『オラトリオ』が、泣きながらしがみつく。
抱きしめてあやしてやりつつ、オラクルはナナメ方向に行ってしまっている相棒を困ったように見た。
「………私のメールを、勝手に削除するな」
――中身を見られることは、構わないらしい。
怒っているというよりはひたすらに困っているようなオラクルに、手紙をつまんだままのオラトリオは拗ねきった目を向けた。
「浮気メールを、そのまんま見逃して送るを良しとしろってのか」
「うわ…………っ…………」
オラトリオの選んだ言葉に、オラクルは本気で頭を抱えた。
これがいつもの言葉遊びならばまだいいが、本気だ。おそらく。
<ORACLE>の安全と機密を絶対的に守る守護者、もしくは監察官としての発言ではなく、オラトリオ個人としての、文句。
「浮気じゃないだろう?!」
叫んだオラクルを、オラトリオは眇めた目でナナメに見る。ぴらぴらと手紙を振って、あて先を示した。
「これが浮気でなくて、なんだ。<ORACLE>ユーザでもない相手と、親しくメールのやり取りなんて。しかも探し物までしてやって、利益度外視。完全好意」
「友達だってば!!」
ねちねちと言うオラトリオに、オラクルは憤然と叫んだ。胸の中で未だにむにゅむにゅと泣いている『オラトリオ』をぎゅっと抱きしめ、完全に目が眩んでいるコイビトを睨む。
「信彦とのことなら、おまえにだってちゃんと説明して、了解を取っただろう?!なんで今さら!!」
そう、メールの相手は、信彦だ。
なんだかんだと日課になりつつあるメール交換の中で、信彦がぽつりとこぼした。
昔読んだのだけど、タイトルを覚えていなくて、見つけられない絵本がある、と。
探してくれと頼まれたわけではないけれど、中身や特徴を訊いて、こちらで勝手に探した。そのうえで、これ?と。
――送ろうとしたら、嫉妬に駆られた守護者が、ちょうどよく来た、と。
抗議するオラクルに、むしろオラトリオは堂々と胸を張った。
「俺に見えないとこでやってんのにまで、手は出さねえ。しかし見つけたら、全力で邪魔する!!」
「んな…………っ!」
そんな偉そうに、宣言することだろうか。もう少し悪びれるとか、気まずそうにするとか。
完全に絶句したオラクルにも、オラトリオがめげて反省したり、気後れしたりすることはなかった。自分の正当性を完全に信じている顔で、胸を張っている。
「というわけでー、けんえつしたうえでー、さくじょー」
「待てったらっ!!」
「にょぉおおっ!!」
なにかの声真似だろうと思うが、オラクルは知らないなにかだ。
その、微妙に過ぎる声で時代遅れな言葉を吐いたオラトリオは、手紙をくるくると手の中に畳む。
ユニゾンでの抗議にも小揺るぎもせず、んべっと舌を出した。
「全力ったら、全力だ。目の前で浮気されんのを、黙って見過ごして堪るか」
「だから………!」
「にょぉにょぉ!!」
「そんでもっておまえもだ!!いつまでもオラクルに抱かれてんじゃねえ!」
「にょぉおおおっ!!!」
「ぁあああ…………っっ」
現在、守護者は悋気の鬼と化しているらしい。
いつもは存在を無視することで辛うじて保っている矜持をかなぐり捨て、『オラトリオ』とも喧嘩を始めた。
腕から飛び出していった『オラトリオ』は義心から、強硬なコイビトとしてオラクルを困らせるオラトリオに果敢に戦いを挑んでいく。
対するオラトリオも、いつもと違って微妙に本気が垣間見える。
そう、確かこの状態をして。
収拾のつけようが見つけられない状態の執務室に、古式ゆかしい電話のベルが鳴り響いた。ある意味、空気を読まないのんびりさ加減だ。
反射で受話器を取ったオラクルの耳に、ベル音に相応しい、のんびりとした声が届いた。
『ああ、オラクル。わしじゃ、音井じゃが………今いいかね?』
「今ですか?」
問い返し、オラクルはため息をついた。
オラトリオと『オラトリオ』は未だ、仁義なきオラクル争奪戦の真っ最中だ。
天を仰ぎながら、オラクルは吐き出した。
「修羅場の真っ最中ですが、それでもよろしければ、どうぞ」