Snack Tricker
電脳図書館<ORACLE>執務室のカウンター越しに向き合い、互いに黙々と仕事を片付けること、どれほどか――
「ん」
ふとオラトリオが顔を上げ、なにもない空間を見た。手袋に包まれた手を軽く振ると、そこには時計を模したウィンドウが起ち上がる。
日付と時刻を確認。
「オラクル」
「ん?」
顔の横に時計ウィンドウを移動させたオラトリオは、仕事に没頭している相方へと片手を差し出した。
「菓子を寄越せ。さもなければ、悪戯されろ」
「は?」
唐突かつ、咄嗟には意味不明だ。
おやつ休憩の要求にしても、脅しまがいな――
きょとんとした顔を上げたオラクルは、オラトリオの顔と、その傍らに並んで展開された時計を見た。
差し出したのとは反対の手で示される、そこに表示された日付と時刻。
オラクル――<ORACLE>本体が鎮座するシンガポールは十月三十一日、その午前零時になったところだった。
「………」
「………」
無言のまま、さらにきょとんとするオラクルに、オラトリオは急かすように差し出した手を振った。
その行事なら、オラクルも知っている。悪戯していい日なんだぜ♪と、微妙に歪んだ理解のもと、オラトリオが真っ先に教えたイベントだからだ。
ある意味においては確かに、オラトリオ向きのイベントだと言えるが――
「………なにも、日付が変わった途端………」
「カウントダウン開始でーす、オラクルくん♪」
「カウントダウン?!」
呆れてつぶやくオラクルの前で、オラトリオの顔の横に置かれた時計の表示が変わった。
宣告通り、現在時刻を正確に計測する『時計』から、設定された時限を表示するものに。
ぴ、と軽い音とともに表示されたのは、一分。
「時間内に菓子を寄越せ♪さもなければ、悪戯するぜ♪」
「んなっ!!」
「はいスタート!」
「っっ!!」
――ひとの話など、聞く耳を持ちやしない。
オラトリオの勝手な宣言とともに、タイマーは気持ちを焦らせる電磁音を響かせてカウントダウンを開始した。
オラトリオが聞く耳を持たない以上、オラクルも無視していい。
が、そうとは考えないのがオラクルだ。
つい、促されるまま急かされるまま、オラトリオへ渡す菓子を考え出した。
これが実は、非常に難しい。なんでもいいわけではないからだ。
なぜなら、要求してはきたがこの男、甘いもの嫌いだ――菓子といえば、オラクルが咄嗟に思い浮かぶのは甘いものだ。
そっちが要求してきたんだからいいだろうという話でもなく、下手に甘いものを渡すと、ご機嫌を麗しくしてしまう。
つまり、思うつぼというやつだ。
俺が甘いもの嫌いだって知ってて寄越すとは、嫌がらせかオラクルから始まり、おまえがそのつもりなら俺にも考えがあるぜと、淀みなく繋がる『悪戯』への道。
要するに、オラトリオがしたいのは悪戯だ。元から菓子などいらない。
だったら素直に悪戯させろと言えというものだが、それではイベントの趣旨に沿っていないので、だめなのだという。
屁理屈を捏ねて曲げることが確定している時点で、イベントの趣旨もへったくれもない。
しかしまったく悪びれることのないオラトリオは、文句をつけるオラクルを真顔で見据えて諄々と説く。
「様式美というやつだ、オラクル。もしくは伝統美。いくら世界の先端、最新を走る<ORACLE>とはいえ、いいや<ORACLE>だからこそ、そういった古式ゆかしいお約束というものを、守れる限りは守る必要がある!」
――おそらくなにかしらとても騙りが行われていると思うが、どこがどうと指摘出来ないオラクルだ。
そのためにこうして、『甘くない』お菓子を必死で探す羽目に陥る。
「キャンディ、クッキー、タルトにプディング………あ、そうだ!確かカボチャのベジスナックは甘くない!」
「のーこーりー、じゅーうーびょーぉっ」
「ああもう、おまえってやつは!!」
焦るオラクルをさらに焦らせるように残り時間を告げたオラトリオは、椅子の背に寄りかかって足をぶらつかせ、非常に愉しげだ。
それは愉しいだろう。どちらに転んでも、悪戯する気満々なのだから。
微妙に癇癪を起して叫んだオラクルは、ぴしっと指を鳴らした。オラトリオへ定番のお仕置き:ファイルの滝雨を呼ぶサインだ。
しかし今日、オラトリオの上に降り注いだのは、当たると痛い角があるファイルではなかった。
カボチャのベジタブルスナックだ。
ざっと、非常に軽い音とともにオレンジ色の雨が降り注ぎ、オラトリオの頭からつま先までを華やかに彩った。
「……………わーあ。………………オラクルさん、ざんしーん………………」
「ふんっ!」
さすがに呆然としたオラトリオに、オラクルは傲然と胸を張って鼻を鳴らす。
そうそういつもいつも、負け負けでいるわけではないのだ。
「ついでに言うと、カボチャのベジスナックは微妙にあまい………」
「なんだ?!」
「わあ、おいしーな、オラクルの作るスナックは☆」
「ふんっ!」
興奮状態のオラクルに、オラトリオは珍しくも素直に媚びへつらった。肩に積もったスナックをつまむと、口の中に入れる。
怒りに任せて降らされたものだが、味も質感も申し分ない。かりぱりとした歯ごたえに、ほんのりまぶされた塩と、それによって増幅されるカボチャ本来の甘み。
――以前、オラトリオが教えてやったままに、極上のベジタブルスナックだ。
「まあ、悪くねえ選択だよな。ハロウィンにカボチャだし」
「そうだろう」
未だ胸を張ったままなものの、褒められたオラクルはあっさりとご機嫌を上向かせた。
勢いが衰え、カボチャスナック塗れとなっているオラトリオに手を伸ばす。コートの襞に引っかかるスナックをつまむと、自分の口の中に放り込んだ。
「そういえば、最近は甘いものばかり食べてたな……たまには、しょっぱいのもいいな。このままお茶にするか」
「このまま」
帽子から肩からコートの襞にと、オラトリオは全身スナックまみれだ。ついでに積もりきれないスナックは、足元に散っている。
所詮プログラムとはいえ、食べ物を粗末にしてはいけません、だ。
ついでに確認したいが、このままというのは、オラトリオが菓子請けと化しているこの状態まで含めてのことなのか。まさかと言いたいが、なにしろ相手がオラクルだ。笑い飛ばせない。
微妙な危惧に固まるオラトリオを至極不思議そうに見てから、オラクルは体を浮かせた。
「そういえば、そうだな………このままだと」
「気がついた………ん?オラクル?」
安堵するのは、早かった。
浮いてカウンターを越えたオラクルは、極力スナックを散らかさぬよう、動けずにいるオラトリオに肉薄した。
すでに半ばプログラムを解いて透けるオラクルは、にっこり笑ってオラトリオと額を合わせる。
「おまえが要求するなら、私にも権利はある」
「オラ………」
「Trick or Treat?」
「………っっ!!」
甘く囁く言葉は、くちびるに飲みこまれて直にプログラムを揺るがせた。
触れ合ったくちびるからオラクルの体は完全に解けてオラトリオと混ざり合い、どちらとも知れぬ上機嫌な笑い声を響かせた。
***
「思うにおまえはな、Trick or Treatじゃねえぞ」
「んー?そうなのか………?」
執務室の来客用ソファに横たわるオラトリオは、事後の気怠さから体の上でべろんと伸びるオラクルの髪をわしゃわしゃと掻き混ぜた。
「Trick & Treatで、いいとこどりだ、つまり」
「んー………」
オラクルは<オラトリオ>と、プログラムを融合させただけではない。オラトリオが塗れていたカボチャスナック――床に落ちた分まで含めて、すべてと融合した。
元に戻れば、スナックはオラクルの『腹の中』だ。
まさにお菓子も悪戯もの、いいとこどり。
精神的な疲労と、オラクルを補充したことでそれを上回るすっきりした体と。
複雑な心境で腐すオラトリオに抱かれ、やわらかに髪を梳かれたオラクルは生返事とともに瞼を落とした。