Episode00-鳥啼く声す-07
「花見をするぞ。用意しろ」
「…花見?」
期せずして、オラトリオとオラクルの声が揃った。
突然やって来た(しかしこれはいつものことだ)電脳マスターことコードの言葉に、おとなしく執務机に向かっていた<ORACLE>のふたりはきょとんとした顔を見交わす。
そんな鈍い反応のふたりに、コードはどこまでも偉そうに鼻を鳴らした。
「春なのだ。花見をしないでどうする」
「いや、春って、師匠」
ふんぞり返って主張する師匠に、オラトリオが恐る恐る手を上げる。
「俺が今いるとこ、超真冬なんすけど。冷却コートも凍るすてき零下の世界」
「<ORACLE>の本体がいるところが私のいるところでいいのか?だとしたら、私はシンガポールにいることになるよな?それなら、ふつうに夏だけど…」
オラクルも首を傾げながら続ける。
弟子と弟の反撃に、しかし、つむじ曲がりのへそ曲がりのご老体はへこたれたりしなかった。
ふたりが向かう執務机の上に、臙脂に桜模様の入った華やかな風呂敷包みをでんと置く。
「俺が春だと言ったら春だ。おまえらの在所など知るか。せっかくの桜餅だぞ。花見をしないでどうする」
「うわ、すごい超理論。自然すら捻じ曲げるとか」
「黙れ、へなちょこガーディアン」
コードの蹴りが飛ぶ。予想して軽口を叩いたオラトリオはさっと避け、師匠との間に距離を取った。
師弟の攻防をあさってに置いて、何事か検索を掛けていたオラクルが、ぱたんとウィンドウを畳んだ。
「うん。あのね、今、春の地域は…」
「いや、いいから、そんな地域限定しなくて!」
まじめに列挙しようとしたオラクルの耳たぶを軽くつまんで止めて、オラトリオは困ったように笑う。
「師匠が『桜餅』っつったろ?つまり今ここで春でなけりゃいけねえのは、日本。ジャポン。ヤポネなの」
「…え、でも今日本は…」
「いいから!師匠が春っつったら春なんだって」
「よし、わかったようだな、ひよっこ」
「…」
半分以上揶揄で言ったのに、コードにあっさりと乗られて、オラトリオはますます苦笑した。
オラクルの耳たぶを放し、仕掛かり中の仕事を簡単に片づける。
「そういうわけで、お茶にしようぜ。ちょっと空間シフトするぞ」
「それは、…まあ、いいけど。なんでわざわざシフト?」
オラクルが軽く浮かんでカウンターから出る。
「ま、雰囲気だ、雰囲気。っつっても師匠、俺だってまだ、正式に『花見』なんてしたことないんすから、ちょっとくらいおかしくても許してくださいよ」
「問題ない。俺とて『外』でなどやったことないわ」
どこまでも偉そうな師匠の主張に、オラトリオは肩を竦めた。
この師匠が悪びれたり、恥じ入ったりするところが、たまにだが、無性に見てみたくなる。
その反面、そういった衒いというものがないからこそ、師匠として憧れもするのであり。
ごく自然に、オラトリオの手を取ったオラクルから演算を引き出し、オラトリオは空間をシフトした。
構成するのは、知識として持っている「花見」。
「…わあ…っ」
新しい空間に降りたオラクルのくちびるから、感嘆の声がこぼれる。そのまま、次の句を継げずに呆然と固まった。
「ま、こんなもんだろう」
ドライな師匠は、ごく冷たく及第点を渡し、オラトリオが作り上げた空間を見渡した。
一面の桜。
広所恐怖症のオラクルのために、青空の下ではなく、大きめの四阿をつくり、三人がいるのはその中だ。
その周りが一面、桜の木で覆い尽くされている。
オラトリオには、「散りかけの桜がいちばん美しい」とどこかで聞いた記憶があり、桜はこれでもかと花びらを散らしている。
四阿の床は一面、ふんわりとした薄紅色だ。
「ほら、座れ。あんま口開けてるとばかみたいに見えるぞ」
「うん…」
繋いだままだった手を引き、オラトリオはオラクルを四阿の三辺に据えられた長椅子に座らせた。
呆然としたままのオラクルは、ばか発言があったにも関わらず反撃もしないで素直に座り、枝を差し入れる桜を丹念に観察しだした。
「あんま見るなよ。急拵えだから、つくり込みが甘いんだ」
「そんなことない。すごくきれいだ」
声が儚い。
そこまでよろこんでもらえると、つくったほうのオラトリオとしても悪い気はしない。
根が捻くれものなので素直にうれしいとは言えないが、頬が緩んだ。
「そこで桜餅だ」
「…っ師匠ぉっ」
油断している尻を蹴り上げられ、オラトリオは飛び上がって呻いた。
今の攻防こそ気づかないものの、はっと我に返ったオラクルが、言葉とともにコードが卓子に置いた風呂敷包みを見る。
「茶を立てられると万全だったのだが…。いまいちそういう感じではないな。まあいい、とりあえず抹茶を立てろ、ひよっこ」
「立てろって、俺、茶の湯の作法なんて知りませんぜ」
ぶつくさ言いながら、オラトリオがいくつかウィンドウを展開する。
オラクルのからだにわずかにノイズが走った。かすかな動揺を示すそれは、幸いにもだれにも気づかれることなく消える。
「…ま、こんなもんすかね」
なんだかんだ言いつつも凝り性のオラトリオは、三島唐津の茶器を取り出し、そこに抹茶を注いだ。
三島唐津を選んだのは、単純にオラクルがよろこびそうな柄物と、師匠の厳しい審美眼の双方に応えるためだ。
だがこの師匠は、どこまでも細かく煩かった。
「茶の注ぎ方に風情が足らん」
「…次回までに茶の湯を勉強しときます」
「そうしろ」
俺は芸能ロボットじゃねえんだけどなあ、とぼやきながら、オラトリオは茶碗をオラクルに渡す。
どこか戸惑ったふうに抹茶を眺めたオラクルは、その視線を未だ封をされたままの風呂敷に流した。
「で、桜餅は?」
「うむ」
重々しく頷いたコードが、風呂敷を解く。中からは漆塗りの二段の重箱が現れた。これにも、小さく桜があしらわれている。
蓋を開くと、中にはぎっしりと桜色が詰まっていた。
「こちらが桜餅。こちらが道明寺だ」
一段一段の中身をあっさりと説明し、コードはオラクルの向かいに腰かけた。オラトリオもオラクルの隣に座る。
「どうみょうじ…?」
食べ物らしくない名前の出現に、オラクルの検索機能が動き出す。
オラクルが「道明寺」を検索している間に、オラトリオは重箱に鼻を近づけてにおいを嗅いだ。
行儀は悪いが、コードは黙認してくれる。オラトリオは単に、電脳空間における再現率を確認しているだけだからだ。
「だれがつくったんすか?」
この中では唯一、現実空間にボディを持つオラトリオの出した答えは、再現率95%。
かなりの数字だ。こんなものをつくれて、なおかつコードに持たせられる主となるとだいたい相手は限られる。
とはいえ一応確認したオラトリオに、コードはどこか自慢げに、意外な名前を告げた。
「エレクトラだ」
「…エモーションお嬢さんですかい」
生まれてから年数こそ経ているものの、エモーションは現実世界を知らない、根っからの電脳ガールだ。再現率95%のプログラムをつくれるほどの体験が不足している。
そのうえ、これだけ緻密なプログラムを組めるほどの演算機能の持ち主でもない。
紫雷の瞳を見張ったものの、嘘でしょう、とまでは言わなかったオラトリオに、コードはちょっとだけ困ったふうに肩を竦め、種明かしをした。
「カルマ監修だ」
「ああ」
納得の答えに、オラトリオが表情を緩める。
現実空間と電脳空間、両方の世界を知り、高い演算能力を誇るカルマなら、再現率95%は軽いだろう。
いやむしろ、これでもパーセンテージが低いほうかもしれない。
「最近、エレクトラはあれに料理を習っていてな。あれやこれやとつくっては試食させてくれるのだ」
「…えーっと。やっこさん、そろそろプロジェクトが大詰めで、忙しいんじゃないんですかい」
カルマといえば、一大研究都市:リュケイオンの市長となるべく、何年もかけて調整され続けている古参ロボットだ。
その市長プロジェクトも、そろそろ山場を越え、最終調整に向けて動き出した…、と、<ORACLE>に送られてくる最新レポートにはある。
オラトリオの遠慮がちな指摘に、コードは軽く肩を竦めた。
「一度プログラムに入れば長いのだがな。そもそも、そのプログラムに入るまでの待ち時間が長いらしい。意外と暇を持て余しているようなのでな。エレクトラが相手をしてやっているのだ」
いつもどおり偉そうに妹を援護するコードだが、それだけではないものをオラトリオは感じた。
あまりに繊細につくられたカルマというロボットの心理プログラムは、常にぎりぎりの綱渡り状態だ。
おそらくは、その「長い待ち時間」にただ茫洋と待たせておくと、余計なことを考えて潰れる程度には。
ロボットプログラムが潰れた先に待つのは、プロジェクトの停止とプログラムの消滅。
そこに呵責も容赦もない。
エモーションが相手してやっている、というのは、つまり言葉通り正しいのだろう。
兄と違って奥ゆかしい彼女は、決して「してやっている」などとは言うまいが。
オラトリオが安定してからというもの、彼ら兄妹の心配はほぼ常にカルマの上にある。
オラトリオ以上の付き合いの馴染みのロボットが、安定することもないままに巨大プロジェクトの渦に呑みこまれているのを、黙って見ていることができないのだ。
「…ん。そっか。わかった、道明寺。おもしろいねえ」
沈みかけた空気に、のんびりした声が割って入る。いろいろな文献を読み漁っていたらしいオラクルが、興味がひと段落ついて戻ってきたのだ。
空気読まない、以上に、空気読めない、性質の彼は、オラトリオとコードの間に流れる微妙な空気も意に介さず、重箱の中の道明寺をつつき、それから不思議そうに保護者と守護者の顔を見た。
「…それで、食べないの?」