アプリコットケーキ抹茶ムースとビターチョコ添え
「………いったいどうした、かいちょ」
衝撃に、がくぽの声は掠れた。
託児室へお迎えに行ったがくぽを待っていたのは、愛らしい口元を大きな白いマスクで覆ったかいちょだった。
いや、ただマスクをしているだけなら、問題はない。
問題だったのは、そのマスクの表面に、大きな『×』印があったことだ。おそらくは市販の風邪用マスクに、赤色のテープを二本、貼りつけただけの手作り品だろう。
しかして言うなら、バッテン付きマスクの製作方法や入手方法が問題なのではない。いったいどうしてかいちょが、そんなもので口元を覆っているのかだ。
いや、口元を覆うだけではない。幼児の顔にはマスクが大き過ぎて、愛らしい顔のほとんどが隠れてしまっている。目だけがきょろんと、覗いているような状態だ。
戸惑いながら周囲を窺ったがくぽに、保育士たちは少しばかり困った顔で会釈したり、肩を竦めたりした。
つまり保育士たちが、望んでかいちょの顔におかしなマスクを嵌めさせたわけではなく――
「かいちょ………」
「ぁいちょ、きょぉはしゃべんないの」
動揺とともに抱き上げたがくぽに、かいちょはマスク越しにしてももそもそとした声で、しかし強情に吐き出した。抱き上げた体もいつものように解けてがくぽに甘えることなく、緊張して硬いままだ。
よくよく見れば、唯一覗く目元が赤い。マスクで息が篭もり、のぼせているわけではなく――泣いた、ような。
「どうした。咽喉が痛いか。それとも………」
「ぁってかいちょ、しゃべっちゃっちゃったや、ぁくぽに『しゅき』っていっちゃうも!」
努めて穏やかに訊いたがくぽだが、効果はなかった。かいちょは大きな瞳をうるりと潤ませ、癇癪を起こしたようにきんきんと叫ぶ。
「きょぉ、えぃぷいゆーぷなの!」
「えぃぷっ、?………ああ、『エイプリルフール』か?それがどうした?」
そうでなくとも、あまり滑舌がよくないのがかいちょだ。愚図ると尚更で、いくら敏いがくぽでも反応するまでに多少の時間を要する。
状況によってはマヌケにも過ぎる間だ。しかし小さな胸いっぱいに重大な問題を抱え、思考が狭くなっているかいちょは気にしない。
つまり、エイプリルフールだ。嘘や謀りを言っても赦されるという、奇妙奇天烈な風習の――
かいちょは苦悩に大きな瞳をきゅっと閉じると、マスク越しにもきんきんと響く声で喚いた。
「かいちょ、ウソでもぁくぽにきぁいなんて、いえないも!れも、いちゅもみたいに『だいしゅき』っていっちゃっちゃったら、ぁくぽに『きぁい』っていっちゃっちゃになゆんでしょ?!『きぁい』っていわないと、きょぉ、『しゅき』ってなんないんれしょ……!れも、きぁいはきぁいで、しゅきじゃないも!!かいちょいいたくないも!れもかいちょ、ぁくぽとしゃべったや、『しゅき』っていっちゃうから………かいちょ、きょぉは『しゃべっちゃめーよ』ましゅくして、あしたになゆまで、しゃべんないのっ!!」
「いや、かいちょ……なにか殊更に複雑かつ厳密な法則が、新たに創作されているような気がしてならないのだが……」
がくぽは興奮に熱を持つかいちょの背を軽く叩いてあやしつつ、記憶を漁った。
今日のこれは、そこまで厳粛な祭事だっただろうか。いや、むしろ思い出せば思い出すほど、非常に軽々しい感じの――
しかし幼子は真剣に悩み、苦しみ、懸命にもがいている。
かいちょは幼子で、がくぽは大人だ。
理を説いて聞かせることもあれば、譲って合わせてやることもある。時に応じてそれが出来るのが大人であり、がくぽだった。
「………まあ、良かろう」
思い切ると、がくぽは穏やかに微笑んだ。マスクの下でぐずぐずと洟を啜るかいちょと、こつんと額を合わせる。
「がくぽも迂闊なことを言わぬよう……今日はかいちょといっしょに、だんまり行の日としようか。かいちょと話せぬなら、『好き』だと言えぬのなら――がくぽがしゃべる理由も、殊にないしな」
「ぁくぽ………っ!」
がくぽの提案に、ずっと曇っていた幼子の表情がようやく晴れた。未だ泣きべその痕はあるものの、憂いがなくなった輝く顔で、がくぽの頬にちゅっちゅっと感謝のキスを贈る。
「よしよし……」
「ん、ん、ぁくぽ……」
照れながらも抱きしめてくれるがくぽの首元に、こねこのように擦りついたかいちょはほっとして、つぶやいた。
「ぁくぽ、ぁくぽ………ぁくぽ、らいしゅき……っ」