ぶるーにゅーでいず
今回、判明したことがある。つまり、『カイトの下着は弟妹の管轄下にある』ということだ。
大事なことなので、もう一度言おう。
カイトの下着は、カイトの管轄下にない。
カイトの下着を管轄しているのは、弟妹だ。弟妹――『姉妹』ではなく、『弟妹』。
「ぅえっ、えっ、ぇふっ!ぅぇえ………っ!み、ミクと、リンちゃと、レン……んっが、よ、よってたか……っびぇええっ!!」
「ああ、うむ………よしよし………酷かったな………よしよし、カイト………」
リビングの三人掛けソファに座ったうえでカイトを膝に抱えたがくぽは、非常に微妙な顔で、傷心の恋人を慰めていた。
反応に困る。
いや、もちろん、愛する家族、ことに情愛を注ぐ弟妹に狼藉を働かれたカイトのことは、憐れだ。日常的といえば日常的なことではあれ、しかしカイトだけでなく、がくぽも多少なりとも怒っていいと思う。
ことに今回は、行き過ぎの感は否めない。
なにしろ、
「よってたかって、ぱんつっ……おれのぱんつ……っ!こ、こんなのはくの、しごとでもゆるしませんって……っ!!む、むしりとらいたぁあ……っっ!!」
「………うむ、………だ、なあ………」
弟妹たちはよりによって、がくぽのコイビトが今まさに履いていたぱんつ、下着を剥ぎ取っていったのだ。いわば生ぱんつだ。いくら弟妹とはいえ――
いや、はっきり言おう。
『妹』たちの狼藉はこの際、どうでも良い。彼女たちは悪魔で、むしろ狼藉は呼吸のように自然なことだからだ(*註:がくぽの主観)。
対して弟だ。レンだ。
どちらかといえばがくぽと同様、『男きょうだい』というところで、普段は姉妹たちに虐げられている彼が、それであっても男の矜持としてただ耐え忍んでいたレンが、とうとう妹たちと手を組んだ。屈服し、それどころか率先して、誰より敬愛する兄のカイトに手を出した。
がくぽにならともかく、カイトにだ。
いくら『弟』とはいえ男同士、がくぽには言いたいことも言うべきことも、なんだか山ほどあるような気がする。
気がするのだが、今回、反応に困るのだ。微妙なのだ。
なにしろ弟妹が、普段は贔屓の引き倒しで愛でる兄のカイトから、強引に剥ぎ取っていったぱんつ――下着の、その柄だ。
持ち込まれた企画は、『なえなえ変柄おぱんつ大作戦』――つまり、カイトがあまりにおかしな柄物の下着を履いていることで、見た恋人のがくぽを萎えさせることが目的という。
笑止だ。むしろ笑死だ。
企画のアイディアや諸々、すべてにおいて文句のつけようしかない。
が、最たるものをひとつだけ上げるなら、がくぽのカイトへの愛情度合いをあまりにも低く、甘く見られたということだ。舐められているにも程がある。
たかがぱんつの、その柄のごときで、がくぽの勇猛闊達なご子息が簡単に折れて、カイト相手にごめんなさいなどするものか。
――と、今でもとりあえず、口先だけではそう言う。
本音はというと、まあ、あれだ。アレだ――マスターの本気ヤだ。もうほんとあのひと才能ムダ。どこからああいう伝手を探してくるのか理解不能過ぎてむしろこわい。
という。
ところで、弟妹から思わぬ狼藉を受け、すっかり傷心のカイトだ。
「ぇええうっ!ぇうぇうっ!!し、しごと……っ!しごとだって、しごとなんからって、いったのに……っ、いったのに、きいて………きぃてく………っびやあああ………!」
「ああ、そうだな………仕事だな、仕事だ………仕事ゆえ、なあ………」
カイトはがくぽにしがみつき、肩に顔を埋めて泣いている。ほとんど号泣だ。ために、がくぽの表情が見えず、その微妙さに気がつかない。
カイトの仕事に対するプロフェッショナルぶりは、がくぽもよくよく身に染みている。
否、もはや鬼だ。『プロフェッショナル』などという、聞こえのいい横文字に直すと違和感があり過ぎて、気持ち悪い。
とにかくカイトの仕事に対する姿勢は、徹底している。
仕事を『選べない』のではない。『選ばない』のとも、微妙に違う。『選択』という選択肢が、すでに存在していないという――
マスターのしつけの賜物ではあるが、多少、弊害は否めない。
特に、今回だ。
コイビトを萎えさせることが目的だというのに、嬉々として変柄ぱんつを選んだり、あまつさえ喜び勇んで履いてみたり――
仕事だ。
もちろん仕事だ――が。
「………まあ、な………『KAITOの芸術センスはバクハツしている』と、もっぱら評判だし、な………」
べえべえと泣くカイトをあやしつつ、がくぽは軽く、天を仰ぐ。
薄情なコイビトだと、もやつく腹はある。もしくは、たかがぱんつごときでコイビトが萎えるわけがないという、がくぽ以上にがくぽに対して盤石の信頼があるうえでのことかもしれないと、淡い期待も抱く。
しかし思うのだ。
おそらくカイトは、マスターが用意した数枚のおぱんつを見た瞬間に、すべてすっ飛んだのだろうと。
がくぽにとっては、目を疑うような柄だった。疑い過ぎて途中から、うっかり存在が見えなくなった。知覚することすらできなくなるような、そういう柄だったのだ。
だが一般に、バクハツしていると評されるカイト、KAITOシリーズの芸術センスからすると、もしかして。いや、非常に高い確率で、きっと――
がくぽがうっかり存在を全否定したように、カイトはカイトでうっかりと、企画の目的もなにもかもすべてがすっぽんと、お空の彼方にすっ飛ぶようなダイバクハツが起きたに違いない。
そして判明する、新たな事実だ。
カイトの下着は、カイトの管轄下にない。
カイトの下着を管轄していたのは、弟妹だった。
ちなみに『姉』はどうかというと、弟の下着がどうであっても、ことに気にしないらしい。曰く、『オトコっていうか、カイトの下着なんて、そんなもんじゃないの?あら違うの?あらそう……』
年上の余裕という。年長者の――これ以上言うと別の意味でがくぽが危機なので口にはしないが、思考にすら上らせないが、そういうことだ、きっと。
もちろん、カイトに対する理解度というものもあるだろうが、いやだから、危機的なのでこれ以上は考えもしないが。
そして弟だ。レンだ。
逆に言ってコドモというか、年少者ゆえの、もしくは敬愛する兄であるからこその、決して譲れない一線。どれほど愛していても、愛していれば愛しているほどに許容できない、尊敬し、リスペクトするがゆえの、大事。
→によって、至る今。
よってたかって弟妹にぱんつを剥ぎ取られたカイトは、コート一枚を羽織っただけの姿だ。スラックスを履いていないことまでは許容だが――なぜならカイトはぱんつを履いていて、剥ぎ取られたのはぱんつだからだ。スラックスはぱんつの上に履くもので、履いたままではぱんつを履けないし、履いたぱんつを剥ぎ取れもしない――ゆえに下半身が露出されているのは許容するとして、上半身だ。
コート一枚だ。その下にシャツを着ているわけではない。本当に、コート一枚だけなのだ。
シャツはどこに行ったという話だが、それはそれとしてますます乱暴された感が煽られて、もやつくのが胸だけでなく下半身にまで及ぶ。のだが。
「ぇっえっぇ……っ!しごと、しごとえらぶ、なんて………っ!おれ、おれ、だめな……」
「カイト!」
愚図りが自己否定に変わったことで、がくぽはだれていた表情を引き締めた。
いくらなんでも、聞き流せることと聞き流せないことがある。たとえば下半身までもやつかせていたとしてもだ。
がくぽはわずかに身を起こし、肩に埋まるカイトに可能な限り顔を寄せた。
「『仕事を選んだ』のは、お主ではあるまい?お主はいわば、被害者であろう?履き違えてはいかん」
「ぇえう………っ」
ぐずぐずぐっすんと洟を啜りながら、カイトはほんのわずか、肩から顔を上げる。ちらりと横目にがくぽを窺い、ずびびびっと大きく洟を啜った。
大泣きした。しかも縋りついていただけでなく擦りつけていたから、目の周辺に腫れ感もあり、ますます哀れだ。
そして同時に、これ以上なく背徳的な魅力に満ち溢れてもいる。
そんなことを考えている場合かと、己を叱咤しつつも、がくぽの咽喉がこくりと鳴った。
見入って動けなくなったがくぽに、カイトはすぴすぴと鼻を鳴らす。やはりこちらも視線は逸らさないまま、ことりと肩に頭を凭せ掛けた。
まるで甘えるねこのようにすりりと擦りつくカイトを見つめ、がくぽは腰を抱えていた手を緩やかに移動させた。
「……ゆえに、な。つまり、その……そろそろ、下着をつけぬか。なんでもいい、普通の……いつも通りのもので、もう、良かろう?企画は頓挫したのだし、お主が悪いわけでもなし………これ以上試してみてもおそらく、同じことのくり返しよな?俺としては、……だから、お主が傷つくさまも見たくないし、俺以外のものに、こう………いくらきょうだいであれ、恋人が下着を剥ぎ取られている図というものも、そう何度も目の前で見たいとは……」
「コーフンした?」
「カイト………」
無邪気な声音での問いに、がくぽはきゅっと眉をひそめた。無垢な色を宿す瞳を見ていられず、わずかに横を向く。
横を向きつつも緩やかに移動した手が、カイトのコート後ろのスリットから、さりげなく肌へと辿った。
「ん……っ」
びくりと震えたカイトに、がくぽはさらに後ろめたさが募った。後ろめたさはあっても退くことはできず、横を向いたまま、指に伝わるなめらかな肌の質感を愉しむ。
言ってもカイトは、成人した男だ。芸能特化型だけあって肌はきれいだが、女性のようなまろみやまるみ、やわらかさといったものには、欠ける。
しかし今、スリットから潜り込ませた手に伝わるのは、上質な絹に勝るとも劣らないなめらかな手触りだ。加えてもちのような、いつまでもぷにぷにと突いていたくなる、心地よいやわらかさ。なぜそうまでやわらかいのかと言えば、がくぽが手を潜らせた場所が――
触れた瞬間に、なけなしの理性が堕ちる。まったく認めたくないが、陥落せざるを得ない。
己が興奮していると、興奮したのだと。
「な?下着を履こう。企画は頓挫したが、そうなにもかもを諦める必要もあるまい?せめて、萎え萎えに出来ぬまでも、興奮させずにおくとか、な?じぶんをだいじに、だ、カイト。とにかく下着を……」
「やだ」
「カイト」
がくぽの嘆願を、カイトは無碍なほどの声音ですっぱりと拒んだ。
拒みながらすりすりと、がくぽの肩に甘えて懐く。まるきりねこが甘えるしぐさだ。がくぽがコイビトのこのしぐさに弱いと、こうして甘えられるとなんでも聞いてしまうと、わかっていないかもしれないが、わかっていて――
「カイト……」
「やだもん」
情けない声を上げるがくぽに、カイトは強情に吐き出した。悪戯に肌を這い回りくすぐる指に震えてから、がくぽに縋りつく指にきゅっと力を入れる。
「なえなえがダメなら、むしろぎんぎんにしてやるんだも……!ぎんぎらぎんになったがくぽに、ちょっとみんな、反省したらいいんだし!」
愛が見えない。なんたる打算的で、自暴自棄で、八つ当たりちっくな。
――と、少しばかり遠い目になったがくぽを、カイトは縋りつく指できゅいきゅいと引っ張り、己に戻した。
そのうえで、くっとくちびるを尖らせ、瞳を揺らがせながら、じじっとがくぽを見つめる。
「………コーフン、しない?も、だめ?おれ、言ってもぱんつ、いっかい、はいちゃったし………見たよね、がくぽ?見てたよね?ゲンメツ?ゲンナリ?げんげんげん………?」
「否」
殊勝ったらしく訊かれ、がくぽはほとんど反射で答えていた。
「まったく許容の範囲だ。むしろアリだ」
答えてから我に返り、しかし結局頷く。
許容の範囲だ。なぜならがくぽは途中から、カイトが履いたぱんつを知覚できなくなっていたからだ。
知覚できないものを履いていたとしても知覚できていない以上、記憶にも残しようがないのだから思い出すこともなく、よって蘇る記憶によって覚える感情もないため、まったく問題はない。
なによりも、今になって現実に立ち返っておろおろとご機嫌伺いをする、ちょっとばかりおまぬけさんなコイビトの愛らしさたるや――
世界のなにものをも凌駕して、並び立つ感情はない。
「………してよいのか?『萎え萎え』の、まったく反対だぞ?」
それでも訊いたがくぽに、カイトはぷっくりと頬を膨らませた。縋る指を立てて、かりりと恋人の肌を掻く。
走るのは、掻痒感と――
「俺はね………いま、『なえなえ作戦』してないの!『ぎんぎん作戦』真っ最中なんだから………がくぽ。はやく……っ」
本来的にカイトは奥ゆかしく、恥ずかしがりの恋人だ。
それ以上はしたなく強請らせる愚は犯さず、がくぽは笑って、カイトのくちびるに貪りついた。