見せなければ仕様がない。見せなければ見えないわけだし、見てもらわなければ反応してもらいようもないということで、もう諦めて見せるしかない。
が、見せる場所が場所で、ものがものだ。
恋ひ織花
「ど、ど、どーですかっ、がくぽさま……っ!いくらがくぽさまでも、これは、さすがに………っっ」
「………」
顔から火が出るというのは、こういうことだろう。
頭の片隅で考えて気を散らしつつ、カイトは着物の袷をまくり、裾をたくし上げ、がくぽへ下半身を見せつけながら訊いた。
顔どころか、全身が炙られるように熱く赤い。それは、がくぽへ今まさに見せつけている下半身もそうで、いつもはぬめるように白い太腿もうっすらと染まって、煽情的だ。
こんなはしたない格好を好色な夫にしてみせれば、結果は推して知るべし――
だが。
「が、がくぽ、さま………っ」
「いや……」
明るい日中でありながら、襖も障子も閉ざしてがくぽとカイト、二人きりで篭もった座敷だ。
そこでカイトは胡坐を掻くがくぽの前に膝立ちし、自分から着物をたくし上げて下半身を見せつけたわけだが――
いつもなら、速攻で嬲る言葉なり弄ぶ手なりを伸ばして来るがくぽは、ただ阿呆のようにぽかんと目を丸くし、カイトを見つめているだけだった。
否。
正確には、見せつけられた下半身――カイトが身に着けている、下着だ。
『なえなえ変柄おぱんつ大作戦』とかいう、今ひとつ理解に苦しむ意図と言葉のもとに渡された下着を、カイトは身に着けていた。そう、まるで聞き慣れない『おぱんつ』というのは、どうやら下着のことらしいのだが――
形は、いつもと違うわけではない。ゆえにカイトもひとりで身に着けるに困ることはなかったが、問題は柄だ。
そう。
柄だ。
変柄だと言われた。
が、非常に深遠にして深刻な疑問がある。
つまりこれは、『変』なのだろうかという。
『変』という、そんな簡潔にして単純な言葉ひとつで終わらせていい程度の、『変』一文字で表せるような、かわいらしい柄だろうか。
そう。むしろ『変』という一字を『かわいらしい』と言いたくなるような、そんな柄物――
「否………」
相変わらずぽかんとした、非常に無防備な驚愕の表情まま、がくぽはもう一度つぶやいた。珍しいことだ。珍しい以上に、一族であればいっそ、恐怖を感じそうだ。
因業一族として名高い印胤家の、さらにその中であってすら『鬼子』と呼ばれ忌避されているのが、がくぽだ。あまりに明晰な頭脳は世のほとんどを見越しているがため、ここまで純粋な驚きに支配されることもないし、無防備を晒し続けることなど、もっとない。必ずその裏には良からぬ考えがあると、油断したところに陥れられる罠があるに違いないと――
しかしひとつ言うなら、今、がくぽを驚かせたのはカイトだった。
『鬼子』がその生涯の中で初めて心底から愛し求めた、ただひとりの『妻』だ。これ以上もなく、並ぶものなき愛を注ぐおよめさまだ。
これになら寝首を掻かれたところで致し方ないと、寝首を掻かれるほどの憎悪を抱かれる己なら、そもそも要らぬとまで思う、最愛の相手だ。
無防備も晒すし、素直にもなる。
が。
「あの、がくぽ、さま……その、なにか………!あの、やっぱり、だめ………っ?!」
「あ……」
懸命に着物をたくし上げつつもぷるぷると震え、そろそろ羞恥や諸々が限界に達しそうなカイトに、がくぽはようやく我に返った。ぶるりと頭を振って、それでも切れ長の瞳はいつもより見開かれ、カイトが見せつける件の下着から離れない。
いや、むしろ我に返った途端、ずいと身を乗り出して食いついた。
しかも『食いついた』といっても、いつものような淫らがましい意味を含まず――
「というか、なんだこれ?よくもまあ、このような………なんだこれは?いったいどこでどのようにして手に入れた?これでも俺は江戸のみならず、京のほうまでも生地問屋をあらかた押さえておるはずだが……見たことないぞ。なんだこれ」
「三回いった!さ、三回いった?!がくぽさまが三回も、『ナニコレ』って……!」
目を皿のようにしてという表現があるが、今のがくぽがまさにそれだった。
『金持ち』の常として、美麗であったり秀麗であるものだけでなく、珍奇なものを多く収集するがくぽだ。いや、収集品にはどちらかといえば、珍奇なもののほうが多い。
なぜといって、美しいものは『わかりやすい』。
ために手掛けるものも多く、また、価値判断もしやすいので多少の『小金持ち』でも収集が可能だ。が、珍奇なものとなれば伝手が特殊となり、そう易々とは手に入り難い。そのうえ、価値判断も難しい。
つまり、己の財力だけでなく、伝手や縁故の多さ、特殊さを誇示するにうってつけということで、がくぽはことに珍奇な品を収集している。
そしてそこには単なる対外的理由だけではなく、もちろん己の趣味嗜好といったものも、まあ、反映される。
「ぁぅわ……っ!なんだか別のツボを押しちゃった予感が……っ」
夫がこれまでに集めたものを記憶に蘇らせたカイトは、さっと青くなった。だけでなく、たくし上げていた着物を慌てて下ろす。羞恥からではなく、淫靡なところでもなく、非常に明後日方向の危機感に駆られてだ。
しかし遅かった。
「カイト」
「ぴぎゃあっ!!」
カイトが逃げるより早くがくぽの手が伸び、足首を掴むと馴れたしぐさで畳に引き転がす。
伸し掛かって袷を開くが、いつもと雰囲気が違う。最愛にして耽溺するおよめさま相手に、興奮はしているのだが、している方向性が。
まさにカイトが危惧した、非常に明後日な。
「とりあえず脱げ。解け。広げろ。全体像が見たい。あと入手の経路と伝手だ。吐け」
「うっ、ぅわぁああんっ、やっぱりぃい……っ!」
真顔で口早に求められ、カイトはべそ掻き声を上げた。
色気も素っ気もなく己に伸し掛かる夫こそ、素直に驚愕の表情を晒すことよりカイトにとっては珍しいが、めでたくはない。まったくめでたくはない。
もうひとつ言うなら、目的も微妙に果たしていない気がする。
確かこの下着は、夫を萎えさせる目的だったはずだ。
カイトとしては、体の負担や諸々があったとしても、そもそも率先して夫を萎えさせたかったわけではない。これで素直に萎えられたら、おそらく身も世もなく号泣してしまう。
矛盾してはいるが、それであっても断れない依頼が、受けざるを得ない用事というものが、どうしても存在する。
それでもたぶんきっと大丈夫と、縋るように夫を信頼して――信頼したのだが。
なにか別方向で、夫はおよめさまの健気な信頼に応えて来た。こちらもあまりめでたくない。いや、あまりではない。
まったくめでたくはない。
そして現状、カイトはとても切羽詰まっていた。なにと言って、その夫だ。がくぽだ。
萎えるどころか正反対の興奮るつぼうつぼ状態に陥った相手だ。
しかも興奮の方向性だ。
「カイト」
「ふぇえんっ、ぬぎますっ!脱ぎます広げます見せますからっ!!ちょっと待ってぇええっ!!」
「良し」
偉そうだ。
まあ実際、がくぽは偉い――因業一族として名高い印胤家の長であり、将軍に仕えている体裁を取りつつ、実態は江戸を裏で牛耳る悪家老だ。こんなに偉い夫も、そうそういない。
じたじたともがいて、カイトはそんな、とても偉いがくぽの下からどうにか抜け出した。ぐすぐすと洟を啜りつつ、色気も素っ気もない理由で、色気も素っ気もなく、わたわたと下着を外す。
そして色気も素っ気も以下同文に、ふんぞり返って待つがくぽの前へ外した下着を延べた。
「ど、どうぞ………」
「うむ」
ご覧くださいませと示しつつ、カイトはなんなんだろうこれと、軽く目線だけで天を仰いだ。
これまでも『博識』な夫が提案する様々な『遊戯』に泣かされ、困惑のどつぼに嵌まったカイトだが、今回はその最たるもののような気がする。しかも呆れたことに、がくぽはむしろ真面目だ。真剣で、遊戯の欠片もない。
遊戯の欠片もなく、『変柄』の下着を鑑賞中。
「ぁうぅ……」
乱された着物をそっと整えつつ、カイトは小さくため息をこぼす。
がくぽといえば構うことなく、眼前に広げられ、全景を晒された下着の、その柄に見入っていた。
形は、よくあるものだ。そこにはむしろ不思議なほど、珍奇さはない。しかし身に着けたときにも失われぬ、ひと目で魂を奪われる――
「否、違うな……凄まじいまでの計算だ。広げて見てもとんと興が醒めんのは勿論のこと、これは身に着けたときに出る柄までも、緻密に計算されておる……凡才の仕事ではないな。天才か、――むしろ狂才か」
ぶつぶつと、がくぽは評する。高評価だ。最高評価と言ってもいい。
カイトはこれでいて賢明だったため、表情筋を全力動員し、適当かつ曖昧な笑みを保って口を噤んでいた。
確かにカイトとしても、面白い柄だとは思う。初めて見た瞬間に、ちょっとばかり気持ちが弾んだことも認める。
認めるが、それはそれでこれはこれだ。
がくぽが別の意味で興奮し、挙句カイトを放り置くような柄物など――
「ぅーっ……」
「カイト。どこの職人の作だ?そなたの知り合いか。里者か?」
「あ、ええとっ……」
矯めつ眇めつとして様々な角度から柄を確かめつつ、がくぽは訊く。カイトにちらりと視線をやることもしないため、いつもはまるんで愛らしいおよめさまの目が、少しばかり据わってしまっていることにも気がつかない。
カイトはやたらな自由感を訴える下半身をもぞつかせつつ、上目になって記憶を漁った。
「俺のというか、その、妹の……ミクが………」
「ん?」
もごもごと口の中で転がすような曖昧な言いぶりに、がくぽはようやく顔を上げた。少し離れたところに座るばかりでなく、にじにじとにじって距離を開けていくカイトに気がつき、不審に目を眇める。
「………挙動不審だな、なにか。隠し立てするなら、いくらそなたであっても、ためにならんぞ」
「いえっ!」
わずかに声を低めて脅しつけたがくぽに、カイトはぷるぷると首を横に振った。
「ちっ、違いますっ!ただちょっと、その……っ!!」
目を据わらせるがくぽに、カイトは落ち着かずに腰を浮かせて落としてとした。一度は冷めたが、またも頬に熱が集まり、朱に染まる。
結局、うなじまで染まったところで、カイトは防御するように太腿あたりの着物をきゅっと掴み、吐き出した。
「ちょっと、……すーすーするし落ち着かないしっ……」
「すー………」
不思議そうにくり返されて、カイトは情けない気持ちが募った。
目の前に広げられたものを、がくぽはなんだと思っているのだろう。経緯を忘れたのだろうか。それともまさか、カイトが普通のものとこれと、二枚履きしているとでもいうのか。
「ぅーっ!」
「ん?かい……」
一向に察してくれないがくぽにぐすっと洟を啜ると、カイトはすくっと立ち上がった。ぺこりと頭を下げる。
「えと、がくぽさまはそれ、――心ゆくまでご鑑賞くださいっ!俺は少々、中座……ぷぎゃっ?!」
言い置いてとっとと座敷から飛び出し、新しい下着を身に着けて来ようとしたカイトだった。
が、遅かった。
カイトが逃げるより早くがくぽの手が伸び、足首を掴むと馴れたしぐさで畳に引き転がす。着物を緩められ解かれ、袷を開かれて手を突っこまれ、――
ここまではいわば、先のくり返しだ。
違うのは、爛々と輝くがくぽの目と、とてもとても愉しそうな表情だった。その、『方向性』だ。
「がっ、がくぽさまっ……!」
「おや、カイト……どうしたことだ、そなた?下着を身に着けておらぬではないか」
獲物を捕らえた肉食獣がごとく爛々としながら、がくぽはあくまでもしらしらと言う。
すっとぼけもいいところだが、立ち昇る体臭があり、くゆる香気があり、座敷を満たしてカイトを圧する雄の気配がある。
「ぁ……っ」
くらりと眩んだカイトに、がくぽはずるりと舌なめずりした。欲を隠す気が、まるでない。
それでもあくまでも、言葉だけはしらしらと続ける。
「このように日も高く明るいうちから夫を煽り立てようとは、淫らがましい嫁だな、カイト?これは少しばかり、躾が必要だ。そうであろう?」
「がく、さ………」
強くなり、滴り侵す雄の気配に眩みつつ、カイトは懸命にがくぽを見上げた。
いつもの夫だ。
ある意味でもって、非常によく見慣れた夫の姿だ。
見慣れているが、馴れることはない。いや、馴らされた挙句、見ただけで体が芯から疼く。
芯から疼いて、くちびるから漏れる吐息が熱く、湿る。
すっかり発情したおよめさまを見て取り、がくぽのくちびるが笑みに裂ける。これ以上なく上機嫌で、これ以上なく危険で、そしてこれ以上なく淫靡な。
「一寸ばかり、仕置いてやろう。なあ、カイト?」
「ふぇ……っ!やっぱり、こぉなったぁあ………っ!」
愚図るように吐き出しながらも安堵に染まり、カイトは伸し掛かるがくぽにきゅうっとしがみついた。