洗剤な青少年の洗濯式ヲトメ心-01-
「言ってものう……普段のコスプレの延長と考えればの……」
平均的日本家屋の、特筆すべき点もない、よくあるタイプのリビング――そこに、なにかしらの平均値をさらに極めようと置かれたソファに座ってぼやいたがくぽは、今日も『美女』だった。
がく『ぽ』だ。がく『こ』ではない――が、今日も今日とてがくぽは『美女』だった。
ただしいつもとは違って、ゴシック系やヴィクトリアン調の衣装ではない。どちらかといえばカントリーふうで、素朴な感のある木綿素材のワンピースだ。
ワンピースの柄も比較的大人しめで、ラヴェンダー色の素地に白い小花が散っているだけのものだ。その上から生成りのエプロンを掛けているから、さらに素朴な感が強調される。
合わせて、がくぽは長い髪をいつものように頭上高く結い上げることなく、少女のような垂らし髪にしていた。顔の両サイドだけ、ひと房ずつつまんで三つ編みにしたが、特にきらきらしい飾りを入れるでもない。ワンピースとお揃いのリボンで束の下をきゅっと結んで、終わりだ。
がくぽはどうかするとやり過ぎなほどの派手な美貌だが、こんな少女めいた格好でも違和感はなかった。
性格は隠しようもなく出て、カントリー映画の主役のような、『素朴な少女』とはいかない。が、少なくとも脇に出て来る、主人公を虐める気の強い少女には見える。
そう。
がくぽは馴れていた――コスプレに。
現代日本に常態ではあるまじき格好で日常を過ごし、時として街中を闊歩することに。
そもそもがくぽはれきとした『男声』だが、いわゆる『男らしい』格好をしたことがない。
常にスカート。でなければワンピース。さもなければドレスか、女物の着物――
しかもそれも、近所のショッピングモールで売られているような、現代的な日常着ではない。ゴシックやらヴィクトリアンやらアンティークやら、どう考えても舞台衣装かイベント衣装といった、非日常着。
そう。
がくぽは馴れていた――奇異な、もしくは奇抜な、さもなければ奇矯な格好に。
そもそもこれらの格好は、がくぽの趣味嗜好ではない。若くして救いの道を失ったドオタクなマスターであるへきる、さらには現役の超ド級コスプレイヤーである、へきるの母の趣味だ。
ちなみに彼女の夫であるへきるの父もまた、とうに救えない場所にいるオタクであり、さらに遡って夫婦とも、一族的にオタク――
がくぽは馴れていた。
己自身もだが、カイトに関してもだ。性格や反応の違い諸々で、未だ多少の『普段着』を持つカイトだが、だとしてもそろそろ『コスプレ』が日常着と化しつつある。
もちろんマスターであるへきると、衣装製作担当である母親の趣味を反映し、女装が主体ではあるが――
「そもそもマスター、『なえなえ変柄おぱんつ』が己では見つけられず、母御殿に頼んだのぢゃろう?」
「いや、だってさあ……」
暇を持て余す『大草原のいぢめっこ少女』の問いに、床に座りこんでフィギュアを組み立てていたへきるがちらりと視線をやる。至極微妙な、苦々しいものを浮かべた表情だ。
「よく考えてよ、がっくん?『なえなえ変柄おぱんつ』っつーけどさ……そもそも『オトコのぱんつ』って時点で、ナエんだろ。ナエだろ。特にカイトの年齢だとさ。もう、白ブリーフでも十分じゃね?レンとかみたいなショタっこってんならともかく。……ってかーちゃんに言ったら、おまえには任せとけんわこの駄ムスコがって」
「予想を裏切らぬ駄マスターぶりぢゃの!」
罵るがくぽだったが、声にはいつもほど力がなかった。退屈なのだ。
先にも言ったが、現在のがくぽは暇を持て余していた。なぜといって、カイトがいない。
カイトがいる日常に馴れると、離れている時間の退屈さは比喩ではなく、死にそうなほどだ。愛だ。
――という話もあるが、カイトだ。それ以上に『カイト』だ。
その独特かつ強烈なキャラクタは、常に刺激に飢えているがくぽを満たしても飽きさせることがない。馴れる隙もなく、カイトはそこにいるだけで清新であり、斬新で、予想通りと思いはしても呆然としてしまう。
そのカイトがいない。つまり、『お着替え中』なのだ。件の『変柄おぱんつ』に。
そうでなくとも未だにコスプレに抵抗のあるカイトだが、今回は『おぱんつ』――下着だ。羞恥心もひと並だし、こんなところを、家の中でがくぽ相手とはいえ、見せびらかすような真似はいやだとさんざん抵抗していた。
しかもカイトは、がくぽを溺愛している。なんでがくぽさんをナえさせなきゃいけないんですかと、泣き虫さんの気弱さんが珍しくも、へきると母親に食ってかかっていた。
概ね無駄というもので、我ながら美事なぱんつを手に入れてしまったと、鼻息を荒くした母親に連行されたが。
しかし、未だ戻って来ないところを見ると、ずいぶんに抵抗しているのか――
「オタクでありながら、想像力の欠如も甚だしいというものぢゃ」
力はないが、罵倒語はすらすらなめらかに、留まることなく吐き出される。
ある意味こちらも馴れきったへきるは、今さらこの程度でへこむことも、憤りに駆られることもなかった。むしろ偉そうに、ふっふんと鼻を鳴らしてふんぞり返る。
さらには手に持っていたフィギュアをくるりと返すと、がくぽにその下半身が見えるようにした。ちなみにフィギュアは予想に違わぬ美少女で、巨乳で、そしてぱんつは水玉だ。
「俺はね、がっくん!いっつも言ってるけど、オトコはノーサンキュー!オトコは論外、オトコは……」
「ほう、そうかそうか!これでもか?『カイトの脱ぎたてパンティー』」
「か……っ!」
気のない声で放たれたひと言に、へきるの体があからさまに傾いだ。ぐらついている。どうにかこうにか美少女フィギュアを取り落とすことはなかったものの、動揺は著しい。
ぎゅっとフィギュアを握り締め、へきるは縋るように『彼女』を見た。しかし後ろめたさに、すぐ視線を逸らす。
逸らした視線を、へきるはきっと尖らせてがくぽに向けた。ずぶぶっと、洟を啜る。
「ぱ、ぱんてぃー言うなっ、がっくん!オトコの下着はぱんてぃー言わねえっ!それにそもそも、カイトのぱっ、ぱんてぃー、とかっ!!か、カイト、カイトは、カイトはそんなの履かねえもんんーーーーっっ!!」
――最終的にはじたじたと、幼児のように身悶えての抗議となった。
「いくつぢゃ、この駄マスターが!」
退屈に死んでいたがくぽの目がようやく光を取り戻し、とはいえ呆れを隠すこともなくへきるを見る。大草原のいぢめっこ少女はどうやら、ようやく本領と獲物を思い出したらしい。
がくぽは心持ち撓んでいた背を伸ばしてソファに預けると、細めた瞳でへきるを睥睨した。今日は大人しい色味で塗られたくちびるが、ふわりと解ける。
「まったくもって仕様のない……これでも我は気を遣うてやったというに」
「どこになんの気を遣ったってんだよ、がっくん?!」
べそを掻きながらのへきるの抗議に、がくぽは軽く肩を竦めた。くちびるがますます、綻ぶ。爽やかと評せる笑みだった。いぢめっこ少女だが、カントリーふう衣装の素朴さを失わない、非常に清々しい。
本当に年頃の少女に見えるような笑みで、がくぽは無邪気そのものにことりと首を傾げてみせた。
「ならば言うがの、マスター?『カイトの脱ぎたておぱんつ』」
「か……っ!!」
にこやかに放たれたひと言に、へきるは固まった。その手から、フィギュアを取り落とす。
かたんと小さく響いた落下音で、へきるははっと我に返った。床に転がる巨乳水玉ぱんつの美少女フィギュアを戦慄して見つめ、震える瞳がソファに座るがくぽに向く。
「ほれ見ぃ。まだしも『パンティー』の響きで動揺したというほうが、言い訳も立つというものぢゃ、童貞が」
「んぎゃわぁああああああっっ!!」
いくつにも衝撃が重なり、へきるは絶叫した。表情は絶望に彩られ、力を失った体が床に伏せる。
ばんばんべしべしと板間を叩き、へきるは泣き喚いた。
「オトコ同士はイヤだ!オトコ同士は不毛だっ!オトコ同士はノーサン……」
BLマンガや小説もごく日常的に嗜むへきるだが、幼時からの周辺環境というか、友人関係というかにより、己に関する同性愛偏向には非常な拒否感と拒絶感があった。
あったが、ごく頻繁にカイトによろめく。
未だ女装回数も少なく、ほとんど『男』の格好ばかりのカイト相手に、とても日常的によろめく。
どのみちカイトはがくぽ一筋であるし、だけでなく相愛の仲でもあるので、マスター特権を振りかざす以外に割りこむ隙などないが、もちろんそんなことをする気はさっぱりないが――
よろめく。
「認めません勝つまではっ!オトコ同士なんてオトコ同士なんて、カイト相手でもダメったらダメ……」
「やれやれ。武士の情けを無にしようから、そうなるのぢゃ」
武士はいない。大草原のいぢめっこ少女はいるが。
そうやってぼやいたがくぽが、そろそろ飽きたからと、懸命に自己暗示をかけているへきるを突いて黙らせようとした、そのときだった。
「がっ、がっ、がくぽさぁああーーーんっっ!!」
「おや、カイ……」
待望のカイトの声が響き、次いでリビングの扉が壊されるような勢いでどかんと開かれ、肝心のご本人が飛びこんで来た。
ぶらぶらさせて。
珍しくも、がくぽはうっかり絶句した。
「ぉぶっ?!ちょっ、カイト!カイトカイトカイト、なんつーカッコしてんのっ、家ん中とはいえっ!!」
対して、魂を半ば吹き出したへきるが叫ぶ。衝撃の映像に、己の不幸的なものもさっくり忘れたようだ。
だから、カイトはぶらぶらさせていたのだ――なにをと言って、ナニをだ。己の男の象徴というか、比喩的に息子というか、つまり排泄器を。言い換えて、性器を。
カイトは下半身に、なにも身に着けていなかった。スラックスはもとより、だからといってスカートを履くでもなく、そしてもちろん、下着などもなく。
下半身を露出し、しかし上半身にはシャツとコートを羽織ったという、着替え途中のような格好で、カイトはリビングに駆け込んできた。
余程慌てたのだろう――それもわかる。
カイトが両手に持ったぱんつを、併せて見れば。
「がくっ、がっ、がくぽっ、さんっ!!」
わなわなと震えるカイトは、感情が過ぎてうまく言葉にできないらしい。ただ、がくぽの前に立ってぶらぶらさせつつ、真っ赤な顔でぱんつを突き出すのが精いっぱいだ。
「ああ、うむ。………まあ、その気持ちは、わかる…………ようわかるの、カイト……さすがは母御殿ぢゃ……我が駄マスターと違うて、容赦の加減もない………」
突き出されたがくぽといえば、こちらもこちらでうまく言葉に変換できないらしい。口から先に生まれたという言葉そのものの、普段のがくぽからすると、珍しいを通り越して異常事態だ。
異常事態だが、へきるが慌てることはなかった。
ゆえもなく、がくぽが『異常事態』に陥ったわけではないからだ。
ゆえがある。原因、元凶、あからさまにはっきりとした、理由が。
ぱんつだ。
カイトがぶらぶらさせているものではなく、ぶらぶらさせて飛びこんで来るになった経緯の、ぱんつ。
両手に握りしめ、突き出すぱんつ。
の、柄。
変柄と単純に言うが、実際『変』の世界は奥が深い。そもそもがくぽが普段している格好も、『普段着』というカテゴライズから見れば相当、『変』だ。
あれも変でこれも変で、言ってみれば変なもので溢れているのが、世界。
極端な話で極論、曲解というものだが、がくぽはそう割り切っていた。大草原のいぢめっこではあるが、こと『こちら』方面に関して、がくぽは鷹揚で、柔軟だった。世間一般の『がくぽ』シリーズよりもおかしなもの、変なものに対して許容値も高ければ、範囲も広い。
こうしてのんびりと、余裕そのものにカイトの戻りを待っていたのも、普段からの積み重ねあればこそだ。
が、時として現実は理解を超える。
いわばそういうがくぽを『育てた』へきるも、戦慄してぐびりと咽喉を鳴らし、唾液を飲み下した。
「がっくんが青褪めた……あのがっくんが………!わかるけど。気持ちはすんげえわかるけど……!予想してはいたけど、予想以上にかーちゃん、レベルぱねえ……!!まぢどうなってんだ、あの人の衣装流通……っ!」
人生的に何度思い知ったか知れないが、へきるは今また改めて、己の母親のコスチュームに懸ける情熱を見た。
美麗なものだけを追い求めるのは、オタクとしては初級だ。経験年数の話ではない。実レベルの話だ。
もちろんへきるは、己の母親を侮っていたわけではない。が、こうしてはっきり、目に見える形で突きつけられると――
「ぉおお……っ!滾る……っ!!滾るものを感じる………っっ!俺の血潮が、熱いあついオタクの血が……滾って唸るっっ!!」
▼へきるのオタクレベルがなんか、1上がった。
――己らのマスターがまたおかしな段階を上がったことに、がくぽもカイトも気がつくことはなかった。
ぱんつに夢中だったからだ。
カイトはぱんつを握る手に、これ以上なく力をこめる。興奮に顔を真っ赤に染め、ソファで仰け反るがくぽへ、身を乗り出した。
「わ、わかりますかっ?!わかりますよねっ、そぉですよね……っ!こっ、こっ、こっ、この、ぱんつっ……!」
「うむ。よくわかるゆえ……」
「すっっっごくっっ!カッコイいぃいいっっ!!」
わからなかった。
がくぽは光速でへきるを見た。目からビームが出せたなら、へきるは間違いなく瞬間的に塵と化していただろう、凄まじい眼力で眼光だった。
なにかの階段を上がって燃え盛っていたへきるだが、一瞬で鎮火し、あたふたと部屋の隅に逃げる。
「ちょっ、見るな俺をがっくんっ?!なんで俺見るんだよ?!俺じゃねえだろ……つかカイトっ!!カイトカイトカイト、まぢで?!なあそれまぢで?!」
「俺おれおれおれ、こんなカッコイーぱんつ、見たことないですよぅうっvvv」
べそを掻きながら喚くへきるだが、カイトははしゃいで、ぴょんこぴょんこと飛び回っていた。
現状、それをすると目の遣り場に困るものもいっしょに元気よく、ぶるんぶるんしてさらに目のやり場に困るし、自身も非常に違和感があるはずなのだが、――浮かれはしゃぐカイトは、なんとも感じていないらしい。
ぱんつをきゅううっと抱きしめ、うっとりとした表情まで晒す。
「はうぁああ……っ!ヘンなぱんつって聞いて、お母様だしって、どきどきしてましたけど、……ひゃぅうううっっ!!」
――おそらく、カイトがここまで我を忘れて歓喜したのは、この家に買われて以来初めてのことだ。不憫だ。
「そういえば」
はしゃぐカイトを空白の表情で眺めていたがくぽが、ゆっくりと口を開いた。
「一般的にKAITOの芸術センスは、大バクハツしておったの……」
「ああ、そういや………」
へきるもはたと、思い至った顔になった。
カイト、KAITOシリーズは、ボーカロイドだ。名の通り、基本的にはうたうことが主体だ。その他のボーカロイドもまたしかり。
だが、旧型機に類され、ロイド草創期、初期の手探り段階に設計された彼らには、新型からは除かれた、特筆すべきいくつかの項目があった。
そのひとつが、バクハツ的な芸術センスだ。
バクハツだ。常人には理解し難く、如何とも評し難いが、少なくとも幼児とは一線を画しているというところで。
「思い出した……そっか………カイトもKAITOシリーズだわ………今までなんか、うっかりがっくんの濃ゆさに隠れて忘れてたけど、うん……」
「ぱんつーぱんつー♪かこいいすてきぱんつぅーーーっ♪」
きゃわきゃわと、カイトはぱんつを抱いてうたい踊る。
くり返すが、下半身は露出中だ。普段ならあり得ない。カイトは恥ずかしがりで、風呂上りだろうがなんだろうが、ぱんつ一枚で家の中をうろつくといったことすらしないのだ。ねこ耳やねこしっぽを装着したまま、うろつくことはするが。
そんなカイトが、我を忘れて歓喜し、うたい踊る――ぱんつを抱いて。『かこいいすてき』もとい、変柄の。
不憫という以外に、言葉もない。
が。
「まあ、なんぢゃ………」
相変わらず空白の表情まま、がくぽはとんとんと、首の後ろを叩いた。なにかを落ち着かせようとするかのように、とんとんとんとんと叩く。
これはがくぽの癖だった。がくぽ――『杉崎家のがくぽ』の。
つまり。
「下丸出しでぱんつ抱きしめ、きゃわきゃわ浮かれ騒ぐカイトはかわゆいの………己の矜持やなにもかも、うっかりどうでも良うなるほどかわっ、ぐぶふっっ!!」
「がっくーーーーーんっっ?!」
努力虚しく抑えきれず、鼻から大量の血を噴き出したがくぽに、へきるは頭を抱えた。
絶句し、評価の言葉も浮かばないほどの変柄ぱんつを抱きしめ、歓喜に染まってうたい踊るカイトと。
そんなカイトがかわいらしいと萌え上がった挙句、鼻血を吹くがくぽと――
「ほんとなんでそんな、お似合いのふたりなんだよもぉおおぅううっっ!!」