がくぽはぴしりと、こめかみを引きつらせた。眉間に深い溝を刻み、じっくりとっくり、眼前のカイトを眺める。
ゆっくりと、くちびるが開いた。
「で、カイト?――誰の入れ知恵で差し金だ、これは」
ファタール・ファティマ
「ぅっ、ぜ、ぜんぶ、バレバレ……っ!」
ひたひたと滴るように問われ、カイトは涙目で横を向いた。本当は仰け反るなり逃げを打つなりしたいところだが、カイトは現在、がくぽに絶賛押し倒され中だった。これより逃げ場はない。
せめても、横を向いて視線を逃がす程度しか、やりようはない。
カイトにしても、元よりがくぽ相手に隠しごとが出来るなどとは思っていなかったが、それにしても見透かされるのが早かった。衝撃即露見の勢いだ。
今日も今日とて仕事から帰って来たがくぽが、疲れたと喚いてカイトを自分の部屋に連れこみ、べたべたに甘える延長で押し倒す――
ここまでは、いつも通りだった。
カイトがいくら、ちょっと待ってのなんだのと抵抗しても、がくぽは聞かない。なんだかんだで丸めこみ、押し切って、カイトの肌を晒す。
今日もそうだ。逆に煽っているのではないかと疑うようなカイトの抵抗を、がくぽはいつものように丸めこんで押し切った。器用に、かつ手早くカイトの服を脱がして行って、スラックスまで勢いよく抜き――
出てきた下着だ。
キ○ラ○柄のトランクスだった。
――別に、キャラクタものの下着が悪いとは言わない。言わないし、キ○ラ○が悪いとも言わない。
言わないが、カイトの年齢を考えよう。そしてこのキャラクタが、どちらかといえば男女どちら向けかということを、考えよう。
確かにカイトは『かわいい系』(*註:がくぽ分類)だし、稚気もあって、たまにどう考えても子供向けのものに熱中していたりする。
しかしだ。
さすがにこれはない。
そもそもどこの店で売っているのかと掠めた好奇心はとりあえず置き、がくぽはカイトの企みを瞬時に見抜いた。
そう、これは企み、罠だ。
大体にして普段からカイトがこういった系の下着を愛用しているというならまだしも、こんなものは初めて見た。
実のところがくぽはカイトのタンスの奥まですべて把握しているので、死蔵品としてすらこういったものを持っていなかったと、きっぱり断言できる。それも、今朝までは確かにと、時間を指定することも可能だ。
このすてきピンクできらきらファンシーなトランクスの登場は、あまりに唐突だ。
今朝まではこんなものがなかった。
がくぽは仕事から帰って来るやカイトを部屋に連れ込んで押し倒したが、カイトは未だ朝に別れたときと同じ服――普段着だった。着替えていない。
つまりカイトは未だ、風呂に入っていない。シャワーも浴びていないだろう。
のに、下着だけは見覚えのないものに着替えている。
それもこれまでの趣味嗜好と、まったく合わないものを。
今日のカイトの一日のスケジュールを思い返しても、新しい下着を買いに行くはずもなく、下着を急遽変えなければいけないような仕事も入っておらず――
「カイト」
「ぅっ、ぇう………ぅと、その、………トモダチの、KAITO………」
「またかっ!!」
「ひぃいんっ!」
もそもそと白状したカイトに、がくぽは思わず叫んだ。組み敷いたままのカイトが、自分が怒鳴られたと思ってべそ掻き声を上げる。
カイトの友達のKAITOといえば、重大な『前科もち』だ。
最前、がくぽと親睦を深めたいと相談したカイトに、『カレシャツもとい、がくぽの浴衣着ておねだりしたら』とか、『えっちしよって言えば一瞬だよ!』とかとかとか――
カイトはいわば兄弟として、単純な意味での親睦を深めたいと相談したのだ。だというのに、この回答。
一歩間違えば誤解の泥沼に陥って、カイトとがくぽの間には埋めようもなく深い溝が出来ていただろう。
そうとはならず、むしろそのおかげで『親睦が深まり』、結果として今があるといえばそうだが、それはそれのこれはこれだ。
がくぽにとって『カイトの友達のKAITO』は、立派な『前科もち』なのだ。
「なにを相談したんだ。なにを相談して、どういう意図でこれに辿りついた?」
「えと、えぇと………っ」
問い詰められて、カイトは口をもごもごと曖昧に蠢かせた。下半身も落ち着きなくもそもそ揺らぐが、未だがくぽに押し倒されている。意図するほどに自由に動けず、カイトは情けない顔で視線を下にやった。
上は肌蹴られてほとんど着ていないも同然だし、下は下でスラックスは脱がされ、下着一枚の姿だ。
そう、下着一枚なのだ。
「ぅ……っ」
ふわりと、カイトの肌が朱に染まった。隠しようもなく晒された肌が染まっていくさまは、押し倒すがくぽにはつぶさに見える。
「カイト?」
「あ、その、ぇと……っ。えと、ね?がく、がくぽが……ちょっと待ってっていっても、待ってくれない、から……ちょっと待ってもらうの、どうしたら、いい、かなって………」
「………」
カイトの答えに、がくぽはきゅっと眉をひそめた。
あぶおぶと動揺しているカイトはがくぽの顔を見ておらず、もごつきながらも言葉を続ける。
「そしたら、『ヘン柄ぱんつ穿いてたら、そんなんイッパツだし!』って……。『がくぽってセンサイだしウルサイから、すぐになえなえしおしおだもん!やってみ、なえなえヘン柄おぱんつ大作戦!』っていって……これ、リンちゃんに頼まれたレンくん用だったけど、くれるって」
「くっ……っ」
本当のこと過ぎて、がくぽは素直にダメージを受けた。
しかもカイトは実にさりげなく流しているが、本来は他家を襲うはずだった災厄が、タイミング悪しくがくぽに降りかかってきてしまった予感。
どこの家のどの『リン』で、どの『レン』か知らないが、あとで見つけたならこの帳尻は合わさせようと、がくぽは八つ当たり気味に考えた。
それにしてもやはりカイトの友達のKAITO、赦すまじ。いやさ、油断ならぬ敵――
「というか、そいつの『がくぽ』っ!ナニやってるんだ、畜生。しっかりしろ……っ!!」
「がくぽ?」
諸々極まって、がくぽは少々涙目だった。あちこちに八つ当たりが飛ぶ。
汎用型の弱みといえば弱みが、ここだ。
ある程度、『マスター』による個性の差はあれ、基幹部分はやはり同じだ。変わらない。
『がくぽ』シリーズはどうしても繊細な傾向にあるし、美的感覚も『ウルサイ』。旺盛な傾向もそうだが、挫くのも意外に簡単だ。この弱みを押さえられていれば。
「ぁ、あの、がくぽ………その、ぇと。………えと、あの、ね?」
「なに」
「ぅ……っ」
冷たく応えたがくぽに、カイトは瞳を潤ませた。潤ませながらも肌は染め、やたらと落ち着かずにもぞもぞもじもじと身じろぐ。
がくぽは眉をひそめ、カイトの様子を窺った。
下着一枚の姿のカイトだ。その一枚だけ身に着けた下着は、とてもではないがまともな感性であれば穿かないような、奇抜な柄。
カイトの友達のKAITOが示唆したような『ヘン柄』と言ってしまってはキ○ラ○に悪いが、しかし通常の成人した男であれば、決して選ばないだろう柄であることは間違いない。それくらい、とにかく、つまり、――ファンシーで、きらきらで、ショッキングなすてきピンクだ。
これを穿く場面といえば、たとえば罰ゲームであるとか、歪んだ嗜好でもって逆に興奮するとか、なににしてもなにかしら、辱めの意図があると推測される。
そう、辱めの――恥ずかしいのだ。
思いついたことに、がくぽは小さく首を傾げた。
「カイト。もしかしてだけど。――もしかして、恥ずかしいのか?」
「っっ!」
落とされた問いに、カイトはびくりと大きく震えた。それだけで、言葉にされずともがくぽには、答えがわかった。
わかったが、カイトは潤んだ瞳にきゅっと力を入れてがくぽを見ると、自棄になったように吐き出した。
「は、はづかしいよっ!!」
「ああ、うん」
はっきり言葉にしたことで、さらに羞恥が募ったのだろう。カイトの肌はほんのりした色味から、爆発するように朱に染まり上がっていく。
潤んだ瞳に、羞恥に歪んだ表情。
そしてなにより、色づく肌――
がくぽの咽喉が、こくりと鳴った。
なんたる、おばかかわいいイキモノか。
なんだか勢いにノって穿いたものの、やはり変柄ぱんつ恥ずかしいと羞恥に悶えるとは――
これをおばかかわいいイキモノと言わずして、なんと言うのか。
がくぽの思考が高速で空転した挙句、ひとつの結論に達した。いつものと言ってしまうことも出来るが、まったく揺るがずぶれない結論だ。ある意味、一途と言うことも出来る。
「かわいいは正義だ、カイト」
「え?」
ぽつんと落とされた声は小さく、さらなる羞恥にじたじたしていたカイトには聞き取れなかった。
いったいなにを言ったのかと、慌てて顔を向けたカイトは、はっと瞳を見開いて止まる。
そのカイトから、がくぽは微妙に気まずく目を逸らした。
「と、りあえ、ず………まずは、ええと、………ごめん。なさい」
「が、がく……」
しどもどとはしていたがきちんと謝ったがくぽに、カイトはさらに瞳を瞠る。
がくぽはプライドが高い。正しく高い。『正しく』だ。
ゆえに己の非を認め、謝ることが出来る。己を利するため、事実を曲げたままにはしない。
だが――
「がくぽ」
「そんな、カイトが、友達に相談しないといけないくらい、……悩んでいたと、気がつかなかった。好きでも、限度はあるな。確かにちょっと、俺はがっつき過ぎて、急ぎ過ぎて、カイトのこととか、カイトに無理がないスピードとか、考えて上げられていなかった。ので。ごめん。なさい」
謝ることは出来るが、問題が問題だ。非常に繊細で微妙なものを含んでいる。
どうしてもつっかえつっかえのどもりどもりとなったが、がくぽはそれでもきちんと最後まで言い切った。
言い切ったがくぽに、カイトはおろおろと視線を彷徨わせる。一度は止まった体が、もじもじもぞもぞと落ち着きなく身じろいだ。
どうしようと躊躇い、戸惑う間があって、カイトはがくぽに視線を戻す。未だ、カイトを絶賛押し倒し中で、退く気配のない恋人へ。
「あ、あの、あのっ、ねっ?!がく、ぽ……ぎんぎん。ぎんぎん……なんか、むしろ、ゲンキ……っ?!」
「うん」
指摘され、がくぽは神妙な顔で頷いた。
「それも、ごめん」
もう一度謝って、がくぽはカイトとこつりと額を合わせた。きゅっと、目を閉じる。それでも止めきれない想いが、勢いよく溢れてこぼれた。
「だってかわいい。すっごくかわいい、カイト。かわいいは正義だ。そうだろう?言っても、いくらなんでも連日したらかわいそうだとは思ってたし、今日は最後までヤらないでおこうと思ってたけど、無理。我慢できないから、する。いいよね、カイト?だってカイトがかわいいからだし、反省は明日から活かすから。明日からはちゃんと、カイトのいうこと聞くから、今日は……ね?いいよね?カイト?ね?」
「え、………っぇえええっ?!」
立て板に水とまくし立てたがくぽに、思考が追いつけないカイトはただ、目を瞠るのがせいぜいだ。急転した雰囲気にぎょっとしている間に、常に全力で甘やかしたい恋人が、熱っぽい目を向けて、おねだりを重ねてくる。
「カイト。いいっていって。ね?カイト………」
「ぇえええと、ぇと、えとっ………あの、うん。いい?うん。いい、よ?」
「ありがとう、カイト!」
許諾を得た瞬間にがくぽが閃かせた笑みはこれ以上なくきらきらしく、カイトはうっかりぼやっと見惚れた。見惚れて、すべての問題を棚上げした。
なんだかよくわからないがまあいいやと身を任せたカイトに触れながら、がくぽはわずかに苦笑する。
「でも、本当に……明日から、な?明日からは、もう少し………カイトの言うこと、聞く。本当に、ぜったい……」
***
「しかして『明日も押し切る』に、今月のネギ予算ベット」
「そんなわかりきった賭け、ノっても損しかないじゃないの」
ぴらりと札を閃かせたミクに、メイコは呆れた視線を向けた。
鼻を鳴らしながら自分の胸の谷間に手を突っこむと、数枚の札を取り出し、びらりと開く。
「ちなみにカイトの『はづかしい』の内訳は、『変柄下着恥ずかしい』じゃなくて、『下着一枚の姿が恥ずかしい』に、今月の酒代ベット」
「……………」
ミクは眼前に広げられた諭吉の肖像画数枚と、己の手が持つ英世の肖像画、そして諭吉が隠れていたメイコの胸の谷間と、見るまでもない己の胸部とに、じっとりした視線を流した。
言いたいこと、主張したいこと、むしろ叫びたいことが、山のようにある。気がする。
が、結局ミクは肩を落として諦め、メイコが差し出す数枚の札をぴしりと指で弾いた。
「そんな勝敗の明らかな賭け……がっくんとならともかく、めーこちゃんとなんて、絶対にノらないし」
きっぱり言うと、ミクは立ち上がった。
カイトの企みの結果もわかったし、これ以上、盗み聞きしている必要もない。いや、これ以上の盗み聞きは精神衛生にまったくよろしくない。
立ち上がるとミクは、ぅうんと伸びをしてぴったり閉まった扉を見た。
ぴったり閉まってはいるが、防音完備でもなし、目の前の廊下という位置ではアレコレな物音がわりととてもよく、聞こえる。
「とりあえずさ、めーこちゃん。コレも『敗者なし』なんだけど、どうする?」
「なに言ってるの。カイトが負けたでしょう」
同じく立ち上がり、とんとんと腰を叩いていたメイコは、ミクの問いにぴんと眉を跳ね上げて答えた。
「あの子、一応はコレでがくぽを止められる、がくぽに勝てるって前提で、ヤったわけでしょう?で、結局『ああ』なんだから……。あの子が負けてるわ」
「あー……!」
そうかと、ミクは納得の声を上げた。メイコは軽く肩を竦め、続ける。
「それで今、賭け代をがくぽに払っているところだわ。で、あたしたち分の『戻り』だけど。………どうしてもって言うならあんた、ここで最後まで聞いていくのね?」