風が強くなって、そろそろ雨も降りだしそうだ。
携帯で一応確認。台風順調に上陸コース。
部活中止令も出た。さっきからひっきりなしに、はやく下校してくださいのアナウンスも流れている。
よし!
台風一家の系譜
「ねえねえ達樹、帰りコンビニ寄って、食い物買いだめよう!」
「…」
携帯をしまって声をかけた俺を、鞄の中に教科書とノートを詰め込んでいた達樹が、胡乱そうに見る。
「食べ物って言っても、どうせおまえのことだから菓子だろ?」
「達樹さん、お菓子莫迦にしたらだめだよ。マリー・アントワネットも言ってんじゃん、パンがないときはお菓子を食べればいいのよって。お菓子ってパンの代わりになっちゃうんだよ?すごくね?」
まさに名言だと思うね!そうなんだよ、お菓子ってカロリーも高いし、非常食としてこれ以上ないナイスアイテムだもんね。
達樹の口から、大きなため息がこぼれた。
「それを言った結果、マリー・アントワネットがどうなったかについて覚えているか?」
「どうなったか?」
なんかなったっけ?
「…マリー・アントワネットって、そもそもなにか覚えているか?」
「フランス人」
「それから?」
「え、それ以上あんの?」
首を傾げていると、達樹が裏拳を飛ばしてきた。とはいえ今日は微妙に手加減モードだったので、いつもよりは痛くない。あくまで当社比。
思うに俺は日々達樹さんに馴れ親しんでいっているから、なんか痛みにも鈍感になってるかもしれないと思うんだよね。そのうち痛いんじゃなくて気持ちよくなったらどうしようか。
まあそうなったらやっぱり、達樹さんに人体改造の責任を取ってもらって、およめさんに貰ってもらうしかないよね!
よし、将来設計万全。
「それでテストで軽く点取るって、おまえの頭の引き出しはどうなってるんだ」
「引き出し?」
慨嘆する達樹に、俺はちょっとだけ考える。
引き出し、引き出しっしょ?
「そもそも俺、引き出しなんかない気がするわ。整理整頓苦手なのに、頭ん中だけきれいに引き出しあったらびっくりじゃね?」
「もっともな自己分析で珍しくも感心するが、理不尽過ぎてそれはそれで腹が立つ」
「えー」
そんな、腹が立たれても。
憤然とつぶやいて、達樹は鞄を持つとさっさと教室から出る。俺も自分の鞄を引っ掴むと、達樹の後を追った。
「そもそもなんで菓子の買いだめなんかするんだ」
隣に並んで歩く俺に、達樹が呆れたように訊く。
「え、達樹さん、天気予報見てないの?これから台風上陸すんだよ。非常食買いだめなきゃ」
「天気予報は見ている。けど、今夜一晩で抜けるだろう。買いだめするほど閉じこめられないだろうが」
「達樹ってどうしてそう冷静かなあ」
そんなのは俺だってわかってるけどさー。
でも、台風の真ん中にいるんだぞいるんだぞっていう、あの、なんともいえない閉塞感を盛り上げるのに、非常食の存在って欠かせないじゃん。
外で台風が大荒れしている最中に食べるお菓子の味は格別なんだよ。
「まあいい。おまえの好きにしろ」
「んじゃさ、ポテチ三つくらいと、アニマルビスケットと、いちごチョコでいい?」
「ちょっと待て」
ん?少ないか?
まあ、買いだめるって言う量じゃないけど、一晩だし、おこづかいに限りのある高校生としてはこれくらいが精いっぱいかなーって。
「あ、じゃあ、チョコフレークも」
「そこじゃない」
そこじゃない?
奮発してみたのに否定されて、歩きながら首を傾げる。じゃあどこよ?
「なんで俺にお伺いを立てる?」
「なんで?なにがなんで?だって達樹も食べるんだから、そりゃ訊くでしょう」
俺がいくら自分勝手なジャ○アンだって言っても、それくらいの気配りはある。
郷田聡、気を遣うことのできるちょっとオトナなジャ○アンです。
つか、高校生くらいになったらジャ○アンはかえってすっごくおとなしいやつになっていそうな感じがする。背が伸び悩んだりしてね。あ、俺は順調に伸びてるけど。
「だからなんで、俺まで食べるんだ」
「食べないの?」
きょとんとして訊き返す。
お菓子があったら食べるよね。少なくともこれまで、そうだった。食べる?って訊くと、食べるって。
「そうじゃない!」
階段にさしかかったとこだったのに、達樹は遠慮なく拳を飛ばしてきた。
ちょっともう、階段でふざけちゃいけないっていうのは小学生で習うことでしょうが!
額を叩き割ろうとするそれをぎりぎりで避けて、俺は達樹から距離を取る。
階段を背にして仁王立ちした達樹は、きりきりと俺を睨んだ。
「俺は今日、おまえの家に泊まりこむ予定はないぞ!」
「なにそれ?!」
「なにがなにそれだ!」
なにがなにそれって、なにがなにそれがなにそれだけど!
「台風だよ?!いっしょに篭もるでしょ?!今日わくわくどきどきのお泊りしないで、いつするの?!」
主に二重三重の意味でわくわくどきどきです。
台風。閉じこめられた一室。それだけでも興奮ものだけど、隣にいるのがコイビトだったりしたら、もう盛り上がっちゃうしかないよね。むしろ盛り上がれ興奮!ベタ展開がなんだ。ベタ展開で俺はまったく構わないね!
先へ進むためなら、なんであろうと試す所存です。
達樹が目を眇めた。
「あのな。親がいるとこでなにするつもりだおまえ?」
ああ、そこか!
まあ、繊細な達樹はそこが気になるよね。うん、俺としてもハジメテはのびのびやりたいし。
「でも大丈夫」
「なにが」
「今日、おかん夜勤」
「おまえのうちは父親も母親も揃っていたと思うが」
まあそうだけど。
「無問題」
「おじさんもどこか出かける予定があんのか?」
予定っていうか。
「台風って、夜じゃん?」
「ああ。…だからなんだ。おじさんは別に、台風の対策に走り回る仕事じゃないだろう」
「どっちかっていうと対策取られるほうだよね」
「は?」
俺が生まれてこのかた、ずっとなんだけど。ついでにおばあに訊くと、親父が物心ついたころからずっとらしいけど。
「親父が、台風上陸中に家にいた試しがない」
「は?」
「テンション上がって外出てっちゃうんだよ。少なくとも、家周辺通過中に帰ってきたことはない」
下手すると半日くらい帰って来ない。どこでなにしてんのか知らないけど、台風が過ぎ去って、今度こそ死んだかなって思ったころに、びしょ濡れっていう言葉がかわいく思えるような風体でふらっと帰ってくる。
「……よく今まで生きてたな」
「まあそう思うよね……」
どうしてくたばらないかな、とは俺も常々思うね。くたばるくたばらない以前に、まったく怪我もしてないとか。
「とりあえずそういうわけだから、今日うち、俺ひとり」
「…」
言ってから、しまったと思う。
これってあんまり見え見えな誘い方じゃね?そうじゃなくても潔癖症っぽい達樹に、これはあんまりあけすけ過ぎた。
きりっと俺を睨んでから、達樹は表情を和らげた。
あれ?
「つまり、おまえは心細いんだな。だったら仕方ない。付き合ってやる」
「え?」
肩を竦めて言って、くるりと振り返ると達樹はさっさと階段を降りだした。
って、え?なんでその結論。
いやまあ、俺にとってわりと好都合ですが、なんでその結論!
「あ、ちょっと待ってよ、達樹!」
「走れ」
達樹は軽く言う。
けど知らないかな、達樹さん!校則で、校内は走ってはいけませんって決まってるんだよ。今思い出しただけだけどね。
俺は小走りで達樹に追いつき、顔を覗きこむ。
特にいつもと変わらない。ということは、本気でまじめにあの結論。
「俺にどうしろと」
「ほかに買うものはないのか」
「え?ああ、えっと」
さらっと会話を戻されて、俺は頭を逆回し。
そもそもなに買うって言ってたっけ。まあ、思い出そうが思い出すまいが関係ないんだけど。店に行って、目に入って気になったもんを結局は買うから。
「ポテチとビスケットといちごチョコか。あ、そだ、忘れてた、コーラも買わないと。確か切れてたから」
「ぬるいコーラはまずいぞ」
「え?ああ、うん。まずいね」
おっしゃるとおり、ぬるいコーラはまずい。まずいけど。
「冷蔵庫にスペースあるから入るし」
「非常食だろう?電気が切れて冷蔵庫が使えなくなった場合を考えろ」
「ええ?」
いや、そこまでまじめに考えなくても。ああでも、食べ物はともかく飲み物はまじめに考えたほうがいいか。人間、食べなくても一か月は生きられるらしいけど、水分摂らないと一週間持たないっていうし。
とはいえ冷蔵庫が使えないと想定すると。
「スポーツ飲料系は全滅だよね」
メーカに関わらず、ぬるいスポーツ飲料もまずい。炭酸系もまずいし、ジュース系もだめ。要するに、甘味料系は全部だめってことか。
「茶じゃだめなのか」
「ぬるい茶はまずいよ!季節にもよるけど、あっついときのぬるい茶ほど殺意を掻き立てるものはないね!」
これがあっつい茶になると、それはそれでなんかありかなって感じになるけど。
「じゃあ、水か」
「ぬるい水もまずい」
「贅沢な!」
ったって、まずいもんはまずいし。
吐き捨てた達樹は、とんとんと眉間を叩いた。
「つまり、冷たいはずのものがぬるいのが許せないんだよな?だったら、最初っから熱いものを考えればいいんだろう」
「最初から熱いものでコンビニで売ってるっていうと…………インスタント味噌汁?」
「ぬるい味噌汁は悪だ」
「悪?!」
まずい以上出たよ?!
「ぬるい味噌汁は悪だが……カップ麺はぬるくないと食えないよな」
「なに言ってんの、達樹!ぬるいカップ麺なんて、麺はのびのびでぐだぐだで、それこそ悪でしょうが!」
驚き発言連発するな、達樹さん。
でも心にメモっておこう。
達樹はぬるい味噌汁だめって。
将来およめさんになったときに絶対要る情報だもんね!
首を捻って考えている間に、下駄箱についた。靴を交換しながら、外の様子を窺う。
風がずいぶん強くなって、そろそろ本格的に雨がやばそう。これで雨降っても傘差せないだろうし。
いや、壊れてもいいなら差せるけど、それって壊すために差すってことで、試す価値があるかどうかっていう。
靴を履きかえた達樹が、はたと顔を上げる。
「辛い系のスープはどうだ?」
「あ、うんうん!それはぬるくないと無理!」
辛いと熱いが組み合わさると、まさに悲劇だもんね。
「それでさらに春雨とかフォーとか入ってんの」
「啜る系が辛いのは致命的だな」
「だよねー。つか、ということは、そっち系のインスタントスープ買えばいいってこと?」
「だな」
よし、決着ついた!
俺は達樹と並んで外に出る。これだけ風が吹いてるっていうのに、空気の湿り感が半端ない。
「あー、台風だなー」
そろそろ親父が出奔してるころかなー。せめて服は着ててくれるといいなー。
遠い目をした俺の頬を、達樹がつねりあげた。
「いひゃひゃひゃ?!」
「いっしょにいてやるんだから、そういう顔をするな」
「ひゃひゃい?!」
そういう顔って?!
涙目で見つめる俺のつねりあげた頬を、今度はやさしく撫でて、達樹は笑った。
「俺が傍にいるだろう?」
「っ?!」
笑った達樹は、さっさと歩きだしてしまう。
って、ちょ!そっちこそ、そういう顔って反則でしょう?!そういう顔でそういう台詞吐くって、俺が萌え死んだりしたらどうすんの?!つか天然過ぎてツッコミも追いつかないし!
「あーもう」
大荒れを予感させる空を見上げ、俺はため息。のち、にんまり。
よし、フラグは立った。あとは回収だけですよ!