授業中にほんのちょっぴり居眠りしちゃっただけで説教室呼び出しのうえ、原稿用紙十枚に反省文書いて今日中に提出しろとか言い出すのが五時限目も終わってからって、教師はあんまりにも繊細にして神経質かつ変態加虐趣味過ぎないか?

もしかしてあれか、更年期と反抗期と思春期が同時に襲ってきてたりするのか。

そりゃ同情するわ。

大変だね!

三次元性文字

「ほんのちょっぴり?」

ごく疑わしそうな声音で、隣に座って、こちらは自主勉強に励む達樹が俺を睨んだ。

「それは、一時限目から四時限目まで爆睡したことを言っているのか?」

「まさにそのことを言ってるけどね!」

放課後の学習室でせっせと原稿用紙のマス目を埋めながら、俺はきりきりと奥歯を鳴らす。

「しょうがないじゃん?昨日寝てないんだから寝てなけりゃ眠くなるのは正常な人間の生理ってもんでしょ?俺がなに悪いことしたっていうの!」

「寝てないって、どうせゲームだろ」

見てもいないのに、達樹はいやに自信たっぷりに言い切る。

なんていうか、達樹さんは俺のことをいやなふうに曲解してないかな!

「ゲームじゃないよさすがに俺だって、それが原因の寝不足だったら素直に反省するっての。そうじゃなくて、昨日、幽霊見ちゃったから怖くって眠れなかったんだよ!」

うわあ、思い出しただけで涙目チキン肌。

目から鼻水を垂らしそうになる俺を、達樹は冷徹なほどに落ち着き払って見た。

「そうか。足が透けてて三角のハチマキをしていたか?」

って、達樹さん!

「ジョークじゃないんだよ本気なんだってば本気の本気で幽霊見ちゃったんだっていうの本気も本気、マジと書いて本気と読むあの本気!」

「言っていることがおかしいぞ。あと静かにしろ、騒音公害」

いきり立つ俺にも達樹は冷静さを失わない。腹立つくらいに落ち着いた態度だ。

なんでそんな態度かなコイビトの俺がこんなに怯えてるっていうのに、その態度はないでしょうが。

ってもしかして、達樹!

「達樹、幽霊なんて非科学的なものは信じてないとか言う?!」

言いそうだ!

四角四面にかっちんこっちんの脳みそを持つ達樹さんなら、大○教授みたいな感じで言い出しそうだひとのこと小馬鹿にしそうだ!

引きつって泣きそうになった俺に、達樹は首を傾げた。

「幽霊が非科学的かどうかは知らないが…」

「ほえ?」

「いてもいいし、いなくても別に構わない。信じるも信じないもひとの自由だしな。おまえが見たっていうなら、見たんだろうと思うだけだ」

「…」

あれ、俺、達樹さんのこと誤解してた?

宥めるために言われた方便という感じでもない。達樹の素直な心情という感じ。

ていうか、俺のことは端から全否定がスタンスの達樹さんが、俺の言ったこと素直に受け入れちゃうってどうなの。

これはなんのフラグなの。

回収中なのもしかして?

それにしても、達樹、態度が妙におとなじゃないなんか、物馴れたっていうか。

「達樹さん、見えるひと?」

「…」

訊いた俺に、達樹は静かに視線を巡らせた。

ええええいやあっ、なにその沈黙?!

「たたた達樹さんっっ!!!」

「静かにしろ、爆音公害。見たことなんかない。俺はな」

俺はな俺は『俺は』ってなに?まさかものすごく身近に見えるひとがいるとかそういう恐怖の暴露話を始める気なの?身を入れて聞いちゃうよ?!

「いいから落ち着け。なんでそこまで怖いんだ。なにかいやなことでもされたことがあるのか」

「ないけど」

ないけど、そういう問題じゃないでしょ?

なんか、そこに存在するだけで怖気が走るっていうか、世界に存在しているんだって思うだけで世を儚みたくなるっていうか、そういうものってあるじゃない。

問答無用で怖いものって、どうしてもこうしてもあるもんでしょ?

「達樹、幽霊怖くないの?」

「少なくとも、なにかしら悪さをされたことがないからな。関わりのないものにまで怯えるほど暇じゃない」

「うっわ」

ドライ。

達樹さんはアレだね。きっと、犯罪に巻き込まれるまでは犯罪者なんて存在してないも同じだとか言い出しちゃうタイプの人間なんだね。

納得した俺から顔を逸らし、達樹は教科書ガイドをめくった。なにかしらメモを書きこむ。

「まあ、あれだ。いるところはわかったんだから、今度からそこを通らないようにすればいいだろ」

「無理」

「…」

即答した俺に、達樹は眉をひそめて顔を上げた。

「無理ってなんでだ。そんなに頻繁に通らないといけない場所か迂回路はないのか?」

「無理だって。見たのテレビだもん」

「…」

テレビに迂回路はないよね。番組表いくら確認しても、点けた瞬間にそのチャンネルだったりしたら一巻の終わりじゃん。

しかも番組表なんてちょくちょく見忘れて適当にチャンネル回しちゃうし。

「…テレビ?」

「そうだよ。昨日、心霊現象特集してたじゃん。あれでばっちり幽霊が映ってる監視カメラの映像が流れてさ!」

胡乱げに訊いた達樹に、俺は頷く。

あああ、いやだ、話すだけで思い出す。今晩も眠れなかったらどうしたらいいんだ。

「…テレビだと?」

もう一度つぶやき、次の瞬間、教科書ガイドを掴んだ達樹の手が飛んできた。

「のわっ!」

危うく避ける。

ちょ、今、かどっこ当たるとこだった痛さ半端ないよそこ?下手したら流血沙汰!

青褪める俺に、達樹はきりきりと眦を吊り上げた。

「ゲームと変わらねえ自業自得じゃねえかそこまで怖がるんだったら観ないでチャンネル替えろ替えないで観るなら愚痴るんじゃねえ!」

「ちょ、達樹さん!」

誤解してるなんか激しく物凄く途轍もなく誤解されてるよ!

「俺が自分からチャンネル回すわけないでしょ?言っとくけど、保育園開催のお化け屋敷だって絶対入れない俺なんだよ?林間学校の怪談も修学旅行の百物語も全部企画の段階でぶち壊した俺だよ?テレビの心霊特集なんか、自分からチャンネル合わせるわけないでしょ不可抗力だよ、違う、悪意ある第三者に嵌められたんだよ!」

そうだよ、あああもう、思い出すだに腹立たしいぃいいい!

『聡や聡、よくと聞きなさい。父はおまえの将来が心配なんだ。もしこの先カノジョが出来たとしても、おまえのそんな怖がりなところを見たらゲンメツされてフラれてしまうかもしれない。父はそんなおまえを千尋の谷に突き落としたい☆』

ってあのクソ親父が!

いいんだよ、俺にはもう素敵カレシがいるんだからちょっと怖がりなくらいじゃゲンメツもしないくらいに俺のこと溺愛しちゃってる極上カレシが!

あのクソ野郎は単に俺が怖がって泣き喚くとこが見たいだけだからな。畜生、丸木土家(旧姓)の末裔が。

ぐすぐすと洟を啜りながら訴えた俺に、達樹はため息を吐いた。

「おじさんを見ているとおまえの将来が見えるな」

「どういう意味よ?」

「良くも悪くも親子ってそういうもんだろ」

「だからどういう意味よ?」

俺が将来ああなるっていうのあれに俺も所詮は丸木土家の人間だといやだ、俺は郷田姓で押し通すよ!

あ、でも、達樹が俺の姓を名乗ってくれっていったら受ける気満々です。

「で、眠れなかったのか」

「そうだよ。電気も消せないのに、あの親父、ブレーカ切りやがった。暗い中動き回るなんてぜったい無理だもん、上げ直しに行けないし」

「そういうときはかえって寝ろよ」

「無理だってば!」

なんでわかんないかな、達樹は寝たりしたら、夢ん中にぜったい出てくるんだから、あの手の輩はしかも暗闇の中はやつらの領域だし。

もう、寝られないし起きてられないし。

明るくなるまで、大変だった。

「だったら休んで家で寝てればいいだろ。もしくは保健室行くとか」

「やだよ。ひとりで静かなとこで寝てたら余計怖いじゃん。教室でひとがいっぱいいて、お日さま燦々と当たってるから、ようやく眠れるんじゃん」

「病気だぞ」

達樹は呆れたように言う。

まあ、ちょっと自分でもアレかなーとは思うけどさ。怖いもんは怖いんだってば。

「それで反省文貰ってるんだから、やっぱり自業自得な気もするが…」

「どこが自業自得なの俺被害者じゃん!」

「なんで原稿用紙にローマ字が並んでいるんだ?」

首を伸ばして俺の書きかけの反省文を覗きこんだ達樹が、静かに訊く。俺はきょとんとした。

「やだな、達樹、ローマ字じゃないよ。アルファベット、英語だよ」

「そうらしいな。それで、どうしてアルファベットが並んでいるんだそれも指定か?」

「違うよ」

俺は自分のとっておきのアイディアに胸を張って原稿用紙を指差した。

「あのさ、日本語で『ごめんなさい』って書いたら六文字しかないでしょでも、英語で書いたら、『Iダッシュmスペースs・o・r・r・y』で九文字、三文字も多くなるんだよ。原稿用紙十枚ってことは四千文字じゃんできるだけ少ない文章でスペース埋めるんだったら、日本語で書くより英語で書いたほうが絶対お得なんだよ!」

「…ほう」

「しかも日本語って賢ぶって漢字なんか使ったら言葉がどんどん短縮されて少なくなっちゃうけど、英語でちょっと複雑な言い回ししたら、大したことも言ってないのに文字数が倍増しなんだよ。日本語で書いて来いって言われてないんだもん、これを使わない手はないでしょ?!」

「…まあな」

頷きながら、達樹はものすごく複雑そうな顔で俺を見た。

「…で、あと何枚だ」

「あと三枚。俺がどんなふうに親父に虐待されて不利益を被ったかは書いたから、あとは俺がどれだけ理不尽な目に遭わされてるかを書き連ねるだけ」

正直、おいしいカレーの作り方でも書いとこうかと思ったけど、俺、おいしいカレーの作り方なんか知らないんだよね!

おいしくないカレーの作り方も知らないっていうか、そもそもカレーの作り方を知らない。

じゃあ、おいしいカレーの食べ方でも書いとこうかと思ったけど、別に腹に入ればなんでもいいんだよ。こだわりなんてないから、そんなもん書けって言われるほうが困る。

「…反省文だよな?」

ごく疑わしそうに、達樹が訊く。

「俺が思うに反省文っていうのは、自分はこれこれこういう悪いことをしました、もういたしません、ってことを書くもんなんじゃないのか?」

「なに言ってんの、達樹さん」

俺は呆れてため息を吐く。とんとん、と原稿用紙を叩いた。

「俺がなに悪いことしたっていうのよ反省するようなことした覚えもないのに反省文書けとか、無茶ぶりもいいとこなんだよ。反省するべきなのはこんなもんを課す側だっての」

「…」

達樹はなんとも言えない顔で俺を見た。

え、だって俺、間違ったこと言ってないよね。俺悪くないじゃん。眠れなかったのは親父のせいだし、それでもがんばってガッコに出てきたいい子じゃん。むしろ褒められてしかるべきじゃね?

達樹が眉間を揉み、教科書ガイドを開く。

「まあいいわ。おまえのことだし。早く終わらせろよ。そろそろ帰りたい」

「…」

なんか引っ掛かる言い方だなー。かわいいコイビトのことじゃん。まあいいわで流すとか。

んむむー、と達樹を見つめていると、うるさそうに視線を投げ。

「今夜も眠れないなら、俺のとこ来い。仕方ないから、いっしょに寝てやる。少しはマシだろ」

「…」

なにそれ。

たなぼたたなぼた!!

すぐに教科書ガイドに戻った達樹さんに、俺は瞳をきらきら輝かせる。俄然やる気になって、原稿用紙に向かい直した。

ペンを取ると、猛然とマス目を埋めていく。

「…おまえって、ほんと無駄だな……」

そんな俺に、達樹がぽつりとつぶやいた。

ちょ、無駄って、なにが?!