俺の部屋に入って来た達樹は、きょとんと首を傾げた。
タンクトップに短パン姿でベッドに座る俺をまじまじと見て、考えること、しばらく。
結論。
「根性焼きに目覚めたのか?」
「ちがうっっ!!」
江戸情緒復興委員会に因るパシフィカ
現在の俺の状態。
火傷だらけ。
晒した肌のあちこちに、焦げ跡の線が走っている。もう涙が止まんないくらい、足も腕も痛い。
いや、てか待って。それより重大事案。
なんで達樹、「根性焼き」なんて言葉を知ってるの?そんな俗語、教科書に載ってないでしょ?!おかーさん、達樹さんをそんなこに育てた覚えはありませんよ?!!
覚えた経緯の事と次第によっては、積み木を崩してやる。
「親父と花火したんだよ」
「ああ…」
その一言で、達樹はあっさり納得した。ちらりと視線を上げて記憶を漁り、頷く。
「そういえば昨日の夜、消防車がうるさかった」
「しこたま怒られた」
言うと、達樹は首を傾げた。ごく不審そうな目で俺を見ながら、ベッド脇に座る。
「怒られただけか?」
「んえ?」
「警察には突き出されなかったのか?」
突き出されてたら、今ここにいない。…てなこともないか。
俺は肩を竦めた。
「それは親父のほう」
なんだっけ、親の監督責任とかなんとか。
まあ、そうは言っても。
「おまえも高校卒業してもおんなじことやってたら、そのときはしょっ引くからなって言われた」
一応、十八歳未満だってことと、戦ってた相手が親父だってことで、俺のことは今回は見逃すと。
達樹がまじめに頷く。
「日本の警察は鷹揚だ」
「検挙率が高いから油断してんだよ、やつら」
達樹は眉をひそめ、胡乱そうに俺を見た。
「おまえには『恩情に報いる』って言葉が存在しないのか?」
「なにそれおいしいの?」
「訊いた俺がどうかしていたな」
え、なにそれ?ちょっとした、あめりかんじょーくだっての。なんでそんなにまじめに受け取っちゃうのさ、達樹さん。
いや、そんなふうにまじめでジョークが通じないとことかも、アイシテルけど。
「おばさんには怒られなかったか?」
「あー………」
消防隊も警察も怖くない俺と親父だけど、おかんは怖い。
親父のほうはたぶん、惚れた欲目ってやつだけど、俺の場合………。
親父と結婚して子供生んで離婚しないとこが怖い。
それも、「子供のために別れないのよ」ってんならともかく、「バカだけど、別れるほどじゃないでしょ」って、真顔で躊躇なく言い切るとこが、物凄く怖い。
俺はがっくりと項垂れた。
「今度おんなじ騒ぎを起こしたら、グッチの刑だって言われた」
「グッチ、の、刑?」
意味がわからないと、達樹は眉をひそめる。首を傾げてしばらく考えて、結論。
「バッグやらでも買わされるのか」
「違う」
グッチはグッチでも、グッチ違いだし。
「うちのおかんがそんな、ナマヌルイこと言いだすわけないでしょ、達樹さん!」
「生温いのか?」
ヌルイよ。風邪引くレベルだよ。
「グッチ○三の料理番組を、延々見せられるんだよ!」
「ああ、そっちのグッチ………N○Kか」
「そう、ニホンヒキコモリ協会」
「うまいこと言ったつもりか?」
ああうん、達樹さんだしね。ネタがわかんないよね。
ちょっと反省した俺を、達樹は不思議そうに見た。
「辛いか、それ?」
「一年分、イッキ見」
「………微妙に辛い………のか?」
微妙どころじゃないっての。
料理になんてさらっさら興味のない高校生男子が、居間で正座して料理番組。
はしゃぐグッチと、助手役のN○Kアナウンサーの、上滑りして噛み合わない、微妙過ぎる掛け合い。
それを延々、一年分、休憩もなしでイッキ見。
最後には号泣してる。
「なんだか聞いていると、経験がありそうなんだが」
「ある。過去に一回。思い出すだけで目からハナミズが」
「どうして素直に涙と言えない」
「そうカンタンに泣いちゃいけない男が目から垂らすのは、ハナミズだって相場が決まってる」
「鼻水を垂らすのは許容範囲なのか」
呆れたように言ってから、達樹は俺の顔に手を伸ばした。
「それはそれとして………顔まで焦げてるぞ。よく目が無事だったな」
「ゴーグルしてたからね」
水泳用のだけど。
してるとしてないとじゃ大違いってやつだ。
まあ、しこたま怒られたけど。防炎レンズじゃないんだから、熱で割れたらどうするって。
「って、いたた、いたいっ、達樹さ、んっ?!」
伸ばした手でそのまま火傷を撫でられて、俺は悲鳴を上げた。
反射で引いた顔に、達樹の顔が近づき、火傷をべろりと舐められる。
「っっいっだ!!」
「痛いか」
「痛いよ!!」
いつから達樹さんは犬に目覚めたのさ!!
涙目で抗議した俺に、達樹は物凄くうれしそうに微笑んだ。
え?あれ?
「そうか、痛いか」
「そりゃ、痛い…、でしょ?」
まだひりひりしている出来立て火傷に触られたら、そりゃ痛い。しかもそれがざらっとしていて、あったかい舌だったりしたら、痛さ倍増。
なんだけど。
「えっと、達樹さん?」
「ん?」
滅多に見せないご満悦笑顔の達樹は、そのまま俺に迫って来る。逃げるに逃げ切れず、ベッドに倒れた俺に伸し掛かり、また舌が伸びた。
「い、いたっ」
「そうか」
「え、ちょ、た……っいたっ」
達樹は俺に伸し掛かったまま、顔の火傷をべろべろ舐める。
どこの犬に目覚めたのってか、犬っていうより、まさかのスイッチオン?!!
「た、たつ、達樹!」
「ん?」
痛みで滲む涙で、視界が霞む。それでも懸命に目を凝らして、達樹を見上げた。
「達樹さんてもしかして、サドなの?!加虐趣味なの?!嗜虐趣味なの?!」
「全部同じだな!」
だって俺が、こんなに痛いいたい言ってんのに。
一瞬だけいつもの通りにツッコんでから、達樹はまた、うれしそうに微笑んだ。
「傷は舐めると早く治るって言うだろう」
「ああうん、縄文時代の迷信」
今時は、唾液からバイキンが入るってんで、傷を舐めるのは厳禁なんだけど、達樹さん。
構うことなく、達樹はうっとり笑う。
「おまえの顔に傷が残ったら困るから、きちんと治してやろうと思って」
わあやさしい!!
じゃなくて!!
スイッチ入ってる!!絶対、なんかのスイッチ入ってるよ!!
まさかこんなとこで達樹さんのスイッチ発見するとは思わなかった。
サド彼どうですか?!ありだとおもいます!!
俺はごっくんと唾液を飲みこみ、おそるおそると達樹さんを見上げた。
「た、達樹さん………顔もそーだけど、体も傷が残ったら、困んなくない?」
上擦る声を必死に押さえて訊くと、達樹さんはべろりとくちびるを舐めた。
「いや」
「んえ?」
「体は傷があるほうがいい」
「ごふぁっ!!」
堪えきれなかった。
なにその趣味なにその嗜好なにその性癖!!
まさかこんなところでこんないい顔見ちゃうとか、でも露見した特殊性癖をどうしようとか、ぅわぁあああああ、ときめく!!ダメだ俺、すっごいときめいた!!
もうなんでもいい。
達樹さんがいい顔見せてくれるんだったら、なんでもいい!
魂が飛び出た俺に、達樹さんが屈みこんで来た。