諸々終えて塾から出ると、なんだかんだで十時を過ぎていた。
高校生の勤務可能時間が十時までであることを考えると、これは超過勤務で罰則ものじゃないかと思うが。
花盗人の恋泥棒
塾の目の前にあるコンビニに寄り、紙パックの野菜ジュースとおにぎりを二個、夜食に買った。
おにぎりは明太子と赤飯が食べたかったが、売り切れだったので残っていた梅干と昆布で妥協。
これが聡だったら、「俺が食べたいのわかってて、なんで売り切れてるわけ?!」とかジャ○アンなことを言い出しているが、俺はジャ○アンでもなく、そして聡もいないのでひたすら静寂。
「――」
コンビニを出たところで、俺は目を見張った。
パーカとジーンズという私服姿の聡が満面の笑みで手を振っていた。
「お疲れーっす」
「――なにしてんだ」
塾と、俺たちが住んでいるマンションとはそれほど離れていない。だがそれでも、ここのコンビニまで来る理由がない。
逆方向のコンビニのほうがマンションからは近いからだ。
「達樹さんをお迎えに」
「阿呆ばかり言ってんな」
歩きながら、俺はおにぎりの包装を剥がす。
座って食べたほうが消化にいいのはわかっているが、わざわざ公園に寄るのも面倒くさい。家まで我慢できるならそもそもコンビニなど寄らない。
「アホじゃないのに。それなに?」
「昆布」
「じじくさっ」
俺はおにぎりを口の中に押しこみつつ、聡のケツにニーキック。
「痛いよ!」
「全国の昆布好きさんに謝れ」
まあ俺も妥協の産物だが。
あまり噛まずに飲み下し、もうひとつ。
「それは?」
「梅」
「ええ?なにその渋いセンス?」
確かに梅と昆布という選択は渋好みだとは思うが。
再びニーキックを放つと、今度は避けられた。腹は立つが、食事中なので深追いはしない。
しばらく距離を取って様子を見ていた聡は、俺が追撃しないのを確認するとまた隣に立った。
なにがうれしいのか、弾むような軽い足取りだ。俺の足が疲れて引きずり気味なのと対照的。
妥協の産物を飲み下し、野菜ジュースを取り出す。
最近は健康ブームの煽りでいろいろ出ているが、これと決めているものはない。
好みはある。
できればちょっとまずいくらいがいい。野菜を摂ってる感がある。フルーツっぽくて飲みやすいものは、ただのジュースのようで満足感がいまいち。
「あのさ、達樹」
「んー?」
新発売の野菜ジュースはフルーツ味のほうが強かった。最近多い。
いっそトマトジュースを買うのはどうだろう。あれならフルーツ感にも限界がありそうだ。
「達樹さーん」
「だからなに」
頬をつつかれ、俺はストローから口を放して聡のほうを見る。ぐい、と腕を引っ張られて、電灯の光が遮られたうす暗がりに押しこまれた。
真剣な顔が近づいてきて、くっつく。軽く吸われ、生ぬるい舌がくちびるを舐めた。
ここまで、ほんの数秒。
「――っ?」
「お、危な」
なにが起こったかよくわからずにいる間に聡は離れ、戸惑って力の抜けた手から滑り落ちた紙パックを受け取った。
「あーあー。相変わらず野菜ジュース」
背を向けて歩き出した聡を追い、俺はやっと首を傾げる。
今、もしかしてキスされたか?
しかし、いったいなんの脈絡があって?
許可も得ずに勝手に俺のビタミンを飲む聡は、何事もなかったかのように平然としている。顔をしかめているのは主に、嫌いな野菜ジュースを飲んでいるからだろう。
嫌いなら飲むなっていうのに、俺のビタミン。
「んー。やっぱ野菜ジュースだわー」
「阿呆。生ぬるい」
「冷たいよ?」
ボケた返事に、俺は後頭部へ平手を飛ばした。
「おまえ、ほんとになにしに来たわけ?」
大した興味もなく訊いた俺に、聡はストローを咥えたまま、真顔で。
「達樹にキスしに」
言い切った。
「――」
文句を垂れつつも飲み干したらしい紙パックを意外に神経質に小さく畳み、俺が提げているコンビニの袋に突っこむ。
伸びをして首をこきこきと鳴らした。
「俺もまた塾行こうかなー。でも勉強めんどいなー。勉強しなくていい塾行きたい」
「阿呆」
その塾でなにを教わるつもりだ。
なぜか少しだけ軽くなった足は、ステップでも踏みそうな気がした。