「達樹にかわいいとか言われると俺はうれしいんだけど」

そんなことを真顔で言われても、なにをどう切り返したらいいか悩む。

恋の迷走盛り合わせタルトレット

おまえ男だろう、男がかわいい言われてうれしいとかあるか、とか。

言いたいことは思い浮かばないでもないんだが。

「たまには、かわいい言われると、俺はうれしい」

「――」

それもおまえ高校生にもなって、かわいい言われたいって、気色悪いの骨頂だぞ?そんなのは小学校で卒業しとくもんだ。

とか。

いろいろ思い浮かぶんだ。

が。

「ね、達樹?」

腰を抱かれて、背中を壁に押しつけられて、逃げ場もなく囲いこまれているこの状況で、口にしてもいいものかどうかがわからない。

それもここは、普段から人が来ない社会科の資料室。二人きりの密室で、――ごく間近にある聡は、からかうわけでもない、茶化すのでもない、真顔。

空恐ろしいほどに真剣。

俺は聡の顔が正視できず、若干どころかかなりヒキ気味でそっぽを向き、この状況を打開するすべを探しているところだ。

かわいいとか言われるとうれしい、というのはつまり、かわいいと言え、ということだろう。それくらいわかるっていうか、それがわかるから困る。

聡のことをかわいいなんて思わない。

阿呆だなって思うのがほとんどで、そうでなければ憎たらしい。それなのにかわいいと言えとか無茶振りにもほどがあるっていうか。

かわいいなんて――

「――」

「――」

無言が重い。腰に回された手が異様に熱い気がするのはなんでだ。心臓が壊れるくらいに激しく脈打っている。体温が上昇中。気温はそれほどでもないのに汗ばんでしまう。

って、これだけ密着していると聡に筒抜けじゃないのか。それはまずくないか。

そうだ、突き飛ばせば。突き飛ばせばいいんだ。そう、突き飛ばせば。腕を伸ばして、力をこめて、ええと――

「ああもう」

ふいに重い空気が砕け、聡がため息をついて俺の肩口に顔を埋めた。

「達樹さんがかわい過ぎて、どうにかなりそうです」

「は?」

「ああもうほんとに。どうしてくれようかって感じだよ」

意味がわからない。

聡は俺の肩に懐き、ぐりぐりと顔を擦りつけている。髪が耳を撫でてくすぐったい。

「やめろ、懐くな。つかもう離れろ」

「つれないこと言うし」

手をやって押しのけるとすんなり頭を上げた。意外と情けない顔をしている。

なんだ、もしかして俺が悪いとか言うか?

だって、かわいいとか。

「俺に甘さを期待するな」

「その照れ屋さんなとこも達樹のいいとこなんだけどさー。たまには甘々らぶらぶしようよー」

「だから期待するな」

決まり悪くて顔を逸らす。

人には向き不向きっていうものがあるんだ。蜜月の恋人よろしくべたべたいちゃいちゃとか、考えると鳥肌が立つ。

甘ったれの聡がそういうのが好きだとわかっていても、出来ないものは出来ない。

「――ああ、だからなんでそう、達樹さんはかわいいのかなあ」

「――だからなんでおまえはそう、阿呆なことしか言わないんだ」

普段の俺にしても今の俺にしても、かわいいという単語からは程遠いはずなのに。

なにを見て聡は、かわいいかわいいと慨嘆するんだ。

これがあれか、恋は盲目、痘痕もえくぼってやつか。末期なのか。手遅れか。

腰に回しているせいで塞がっている手の代わりなのか、聡はあろうことかくちびるで俺の耳たぶに触れた。

軽く食まれて、思った以上に大きくからだが震える。

「てめ」

「真っ赤なんですけど」

押しのけようとしたところで、そう吹きこまれる。

頭が爆発。瞬間的に普段以上の力が出て、聡を突き飛ばすことに成功。

――いつもならここで、蹴りのひとつふたつ、叩きこむところなんだが。

「――っ!」

聡という支えを失くしたとたん、俺の膝から力が抜け、無様に座りこんでしまった。

食まれた耳が焼け爛れそうに熱い。

「ええー、達樹?」

当然あるはずの追撃がなく、座りこむという無様を晒した俺に、聡も驚いたようだ。

しばらくは様子を見て近づいて来なかったが、俺が完璧に腰を抜かしているとわかるとそろそろと近づいてきた。

「達樹ぃ」

「――」

一瞬でこの状態を治めるなどということは出来そうもなく、逃げようにも足腰が立たない。仕方なく俺は膝を立てて、その中に顔を埋めて聡をやり過ごすことにした。

「えっと、達樹ぃ。達樹さーん」

「うるさい。どっか行けおまえ」

「ええー」

ぶうたれながら、聡の手が俺の首を撫でた。髪を引っ張る。

「せっかくだし、顔を見たいと」

「死ね」

顔は上げないまま拳を振るう。空を切った。避けたか。避けるな、腹立つ。

聡は駄々をこねるときの甘ったれたジャ○アン声でつぶやいた。

「でも、せっかく感じてくれたのに…」

「――!」

頭が再び爆発。

感じてない!

てか、感じるってなにを!

頭の中でひとしきり喚き散らしたが、咽喉が震えて声にならなかった。体が、熱いのを通り越して冷えびえする。なんだか涙が。なんでこんなことで泣きそうだとか、俺は。

「ちょっと、えっと、達樹さんなんか言って。無言でぷるぷる震えられてると、うさーぎちゃんな感じで本気でどうしたらいいかわかんないんですけど」

「だれがうさーぎちゃんだ」

少しだけ顔を上げ、阿呆なことばかり抜かす聡を睨みつける。

へたりこむ俺に合わせて床にぺったりと尻をつけて座りこんでいた聡は、ぎょっとしたように目を見張ったあと、なぜか耳まで真っ赤になって顔を逸らした。

尻を床につけたまま、後ろへにじっていく。

「?」

俺の顔の赤みが引いたわけでもなし、絶対におもしろがってからかってくると思ったのに。

意外な反応に、俺のほうがきょとんとした。

そもそも聡が耳まで赤くなるとか、人から顔を逸らすとか、普段だと絶対にあり得ない。それは主にやつが厚顔無恥だからだが。

完全に顔を上げてまじまじと観察する俺に、聡は消え入りそうな声でつぶやいた。

「涙目とか反則デショ…俺は今日、色っぽいの言葉を体感しました」

「は?」

いつも以上に言っていることがカオスだ。だいじょうぶか、おい。

心配になって、反対側の壁にくっついている聡のところへ、四つん這いで近づく。

膝と膝がつくかつかないかの距離で顔を覗きこむと、首まで赤くして目を泳がせた。

いよいよ異常事態だ。

どんなにあくどいことをしても悪びれることがまるでない聡が、目を泳がせるとか。

「あああ、あのね、あのその達樹さん。今俺に近づくともれなくあかずきーんちゃーんな感じ?」

「意味わからん」

「ええっと男はみんなオオカミよっていう有難いご教訓が。シムラうしろうしろーって」

――ある意味異常事態でもなんでもないような気がしてきた。この言葉の通じなさ加減とか、いつもどおりだ。

だが、ここまで動揺した聡を見ることは稀だ。なんだか気分がいい。

「ええっと、ええっと、――っ」

言葉を探していた聡が、とうとう言葉を失った。目を見張り、上機嫌の俺を見つめるだけになる。

ああ、そうだ。

これだ。

これを。

俺は自分でもわかるくらいににっこりと笑っていた。

「かわいい」

「――え」

口を開いてなにかを言われる前にすばやく近づき、キス。くちびるをくっつけて、軽く噛んで離れる。

なんだろう、すごく気分がいいぞ?

「かわいい、――」

「――っ!」

もう一度口にしてやると、聡は気を失いそうに視線をふらつかせ、壁に頭をぶつけた。そのまま何度も何度も打ちつける。

そうでなくても阿呆なのに、ますます阿呆になるじゃないか。

心配になって伸ばした手を、がっしり掴まれた。

ごく真顔。

「達樹覚えて」

「は?」

「男はみんなオオカミさん!」

「は?」

「いただきます、赤ずきんちゃん!」

「はーーーーっ?!」

呆然としている俺に、聡が勢いよく伸しかかってきた。