「達樹さん、お願いがあり」

「断る!!」

「聞きもしないうちから?!てか、最後まで言わせてよ!!」

有欲カドゥケウス

心底意外そうに叫んだ聡を、俺はぎろりと睨む。

どうしてそこで意外そうに出来るんだ、こいつは。

いや、違うな。

そこで意外そうに出来るからこそ聡だ。心臓に剛毛どころか、おそらく鋼線が生えているのが、聡だ。

そして鋼線が生えている聡は、俺が一度拒絶したくらいでは、まったくめげない。

「まあいいから、ちょっと聞いてよほんの些細でカンタンなお願いだから!」

「断るったら断る!!」

「いやあのね、単純にこの雑誌のタイトルを読み上げてほしいなってだけなんだけど!!」

「どさくさに紛れて言うな!!断ると言っているだろうがっ!!」

思わず叫んでから、俺はばふっと自分の口を塞ぐ。

いかん。

ここはコンビニだ。それも近所の。

あんまり騒いで目をつけられると、今後、利用しづらくなる。おそらく聡はさっぱり気にしないが、俺は普通の小市民なので、気にする。

「いやだって達樹さん。聞かないうちから断るってどうなのさ。しかも聞いてみれば、警戒し過ぎたなーっていうレベルの話じゃない?」

「その判断はまだ早い」

「はやい?」

コンビニの雑誌コーナーには、俺と聡以外にも数人の客がいた。立ち読みしているのから、さらっと表紙を眺めているのまでさまざまだが、騒げば迷惑そうな視線は投げられる。

つまり、聴覚が完全にはお留守になっていない。

俺は声を潜め、きょとんとしている聡を睨んだ。

「雑誌のタイトルを読み上げろという、その意図がまだ読めていない以上、警戒し過ぎたとは言い切れない」

「え、いや、達樹………よく見てねここ、えろ雑誌コーナーじゃないよ週刊誌コーナーでもないから、ついうっかりえろワード言わされちゃう心配もないからね?」

「分析が済んでいない以上、まだ言い切れない」

「分析って、達樹………」

呆れ返ったような聡だったが、俺は油断しない。

いるのは確かに、聡の大好きなアダルト雑誌コーナーでもなければ、半アダルトなグラビアが付属した週刊誌のコーナーでもない。

そもそもが狭いコンビニの、狭い雑誌コーナーなので、置き方が雑多だ。こうとはっきり言い切ることは難しいが、強いて言うなら、ファッション誌と生活雑誌のコーナー。

だからこそ、余計に警戒せざるを得ないのだ。

これがもしアダルト雑誌コーナーだったら、ここまで警戒しない。

単に淫猥な言葉を言わせて楽しみたいだけだと、すぐに判断できるからだ。

だとすればまあ、ものによっては言ってやらなくもない。期待を裏切る方法もわかっているから、うかうかとこいつの罠に嵌まらずに済む。

しかしもう一度言うが、ファッション誌であり、生活雑誌だ。

ある意味まったく普通だが、普通過ぎてかえって、どんな罠が仕掛けられているのか、見当もつかない。

そもそもが、俺の想像の限界を超えた言動をくり返す聡だ。

こちらがいくら警戒してもその上を行くことがほとんどだが、だからといって自衛を諦めるわけにはいかない。

傷を最小限に抑える努力を怠ったら、満身創痍で入院、果てには墓場に住民票を移す羽目に陥る。

そこまで人生を捨てていない以上、努力は続けるべきだ。

とはいえ、いったいここに、どんな罠を仕掛けようがあるというのか――

「あのさ、達樹。もしかしてちょっと、お疲れなんじゃないのかなたかがファッション誌のタイトルを読み上げてというだけの、恋人からのかわいいお願いに、そこまで警戒するって」

「胸に手を当てて――ああいや、時間の無駄だからしなくていい。あと俺の胸にも手を出すな。自分の胸だ」

「読まれてるな!」

読まいでか。

というか、まったく予想を裏切らずにお約束をやるつもりだったとか、どういうことだ。手抜きじゃないのか、そっちこそ。

いやしかし、確かこいつの主義は、お約束はお約束としてやるからこそ価値がある、だった。

どんなにベタな展開になって、意外性の欠片もなく、またかよとげんなりしようとも、お約束がお約束となるからには、それなりに意味がある。

だとすればやはり、お約束はお約束として厳密に踏襲すべきだ――と。

俺の胸へと伸ばしかけた手を反し、聡はもう一度、雑誌のひとつを指差す。

「でもさ、達樹。マイナー雑誌とかいうわけでもなく、全国的に知られた、今となっては古参の雑誌だよいったいこれを警戒する、どんな理由があるのさ?」

「………」

畳みかけられて、俺は眉間に皺を刻む。

俺がファッションに興味がない以上、ファッション誌も読まない。いくら有名で古参であっても、知らないものは知らない。

そうやって俺は知らないが、聡の知識は広範だ。ファッション誌に関しても、なにかしらの情報を握っている可能性がある。

「敢えて理由を上げるとするならば」

「うん」

俺は雑誌を睨みつけ、吐き出した。

「おまえがまったく普通のファッション雑誌のタイトルを読み上げろと言ったことが、もっとも警戒すべき点だ」

「なんだそれ!!俺に対する信頼感ハンパないね、達樹さん!!愛だな!!」

「おまえのプラス思考にも、いい加減程がある!!」

小さく叫び返してから、俺は軽く首を振った。

とはいえこのまま、ひたすら罠の種類を考えていても無駄だ。予想がつかない以上は、ある程度行動することによって、相手からヒントを導き出す必要がある。

「………『めんずゆのん』」

「一段下行ったねわざと?!わざとでしょ?!」

「わざとだとも!」

やいのやいのと責める聡にきっぱり言い返し、俺はぎろりと睨んだ。

「そもそも普段のおまえの行状を考えろどう考えても怪しい以外のなにものでもないだろうがというわけで、意図がさっぱり推測できない以上、俺は絶対に読み上げないそんなに読みたければ、おまえがまず率先して読め!」

「俺が先に読めばいいの?!『あんあん』でしょ?!はい達樹さん、りっぴーとあふた」

「リピートするったあ、言ってない!!」

「んなななな、騙し討ち?!」

なにが騙し討ちだ。

さらに反論しようとした俺だが、それより先に聡は口元を押さえ、わざとらしくさっと顔を逸らした。

「く……っ。俺に先に羞恥プレイを強いておいて、自分は言わないとか。いつから達樹はそんな子になったの。おかーさん、達樹をそんな子に育てた覚えはありませんからねっ!」

「俺もおまえを母親に持った覚えはない」

「積み木崩し?!積み木崩しなの、達樹?!夕日に向かって誓った二人の愛はむがっ!」

興奮して叫びだした聡の口を、俺は慌てて塞ぐ。

そもそも、積み木を崩すことと夕日に向かって誓うことは、まったく別物だろう。混ざっている。なにがとは、はっきりわからないが。

「叫ぶな。出るぞ」

「待って、達樹さん。最後に一言、タイトル読み上げて!」

「……………」

懲りない。なにより、しつこい。

さらっと聞き流したが、確か聡はタイトルを読み上げることを『羞恥プレイ』だと評した。やはり、単なるファッション誌のタイトルだと侮ってはいけない。

なにかしらの罠がある。

しかしなんだ………さすがに俺でも一度は耳にしたことがある、この雑誌タイトルのなにが、そうまで罠なのか。

――そこで、わからないから言ってみようという、無謀さも奉仕精神もない。

わからないなら、手を出さない。

石橋というものは、叩いて壊すものだ。渡らなくていい対岸は存在する。

「『あねきゅん』」

「隣に行ったって、ちょっと待ってよ、達樹さん本気で出るって!」

もう用事は済んでいる。

俺は聡に背を向けて、さっさとコンビニから出た。

「なんでそうまでして、警戒すんのさあんあん言うかわいい達樹さんをちょこっと見たいと思ったっていう、たったそれだけのかわいい恋人のおねだりの、なにがそんなにいけないの?!」

「あんあんいう………」

慌てて追ってきた聡の言葉を小さく反芻し、俺は首を捻った。

確かに雑誌タイトルは、そのまま――ん………………『あんあん』?

「…………………これまで至上、最高くだらない…………」

もはや怒るのも通り越して、俺はげっそりとしてつぶやいた。あれだけ罠はないない言っていて。しかもそんな罠か…………。

追いついた聡は、憤然と拳を振り回した。

「なに言ってんのさ、達樹俺たち高校生男子、らぶらぶカップルだよね?!だっていうのに、キス止まりでその先全然なんだよ?!となればもう、なんでもいいから日常の些細なことから欲求不満を解消したいと考えて、おかしくないでしょ?!」

「おかしくなり過ぎだ、いくらなんでも!!」

当然と主張した聡だが、ないだろう。

ごく普通のありきたりなファッション誌のタイトルを言うことに、そこまでのことを訴求する欲求不満具合って、いったいなんだ。どういうレベルだ。

「学生の交際なんてのは、健全に限る!」

「いつの時代の頑固親父の発言なのさ、達樹しかも俺も達樹も、目の前に頑固親父を盾するヲトメじゃなくて、そうやって拳骨落とされる男の側だからね?!だっていうのに、だっていうのに!!」

「じゃあ聞くが、なにをどこまでどうしたい?!!」

勢いに任せて訊くと、聡はぴたりと黙った。

気持ち悪く身をくねらせ、もじもじと俺を見る。

「………そ、そんなこと、こんな往来で言わせようとするなんて、達樹さんのヘンタイ……」

俺はこっくり頷いた。

「よし、光速で滅べ。全宇宙レベルでの全滅を宣告する」

「なんで達樹はそうまでキヨラカさんなのさ…………ほんとに高校生男子なの………」

ぼやきつつ、聡はくねらせていた体をしゃっきり伸ばす。

「まあそんなこんなでさ、欲求不満も甚だしい俺の日常に、ほんのささやかな潤いを」

「砂漠を歩く迷い人に、水を一口やる行為をなんと言うか知っているか?」

「はい砂漠?」

俺が出した喩え話に、聡はごく普通に首を傾げた。

俺はその聡を、ちらりと睨む。

「偽善と言うんだ」

「へ?」

「一口きりしかやらないんだぞそれによって堪えてきた渇きが増大され、水への渇望は耐え難いほどになる。そのうえもしかしたら一分後には事切れて楽になっていたかもしれないのが、二分後に延びるかもしれない。その二分にしたって、水欲しさに悶え苦しんでのものだ。もはやそれは、偽善では足らないほどの悪魔的行為だ」

「いや、達樹………」

呆れたような聡から、俺はふんと鼻を鳴らして顔を逸らした。

「おまえが渇きに堪えられるからといって、俺まで同じだと思うな。苦しむことがわかっていて、手なんか出せるか、極点阿呆!」