「朔ぅーーっ!さぁくぅーーーっっ!!」
「なんだ?」
庭から大声で呼ばれて、俺は文机の前から立ち上がる。
どんな声でも愛らしい十六夜だが、今のはまた、歓喜に一段と明るく跳ねて愛らしかった。
七面鳥
「さーーーっくーーーーっ!!」
「応。どうし…」
縁側に出て十六夜の姿を目にし、俺は口を噤んだ。
常にきらきらしい美貌の十六夜だが、今はまさに光り輝いていると言っていい、きっらきらの笑顔だった。
その笑顔のまま、十六夜は得意げに叫ぶ。
「『たーきー』つかまえたっっ!!」
叫ぶ十六夜の前足は、獲物をがっしりと押さえつけている――
「ああうん…………」
アレだな。飼いねこあるあるだ。
獲って来たねずみやらすずめやらをこう、飼い主に得意げに見せびらかすという――十六夜はきつねだが、まあ、俺に飼われている身だ。
きつねも飼えば、狩りの獲物を主に見せもするだろう。
ただのきつねではなく、神なのだが。まあ、本性はそういうことだろう。
俺は眉間を揉んで、そう納得する。
生き生きとした十六夜かわいい。十六夜かわいいからもう、それでいいことにして。
「とりあえず十六夜、ソレの上から退け」
「ええ?!だって」
「いいから触るな、ソレに。変態がうつる」
「ほええ?」
俺は庭へと降りると、十六夜の前足に押さえつけられている『たーきー』の元へ行く。
ひとつため息。
片足を振り上げると、ソレの頭へと落とした。
「ひぁあうんっww」
「悦ぶな、この変態が。貴様、いつから七面鳥に身を堕とした、朱雀」
頭を押さえつけた踵をにじらせると、羽毛を生やした半人半鳥の男――南方守護職の朱雀は、全身から火炎を吹きだした。
「きゃぃいいんっ?!」
十六夜が悲鳴を上げて飛び離れる。
そうやって炎を発しながら、朱雀は恍惚とした表情で羽をばたつかせた。
「は、は、羽をむしってぇえええっ、ひ、ひ、火の中でぇ、丸焼きされたぃいいいっっ」
「ほざけこのボケがっ!!火の中にくべたら貴様、もれなくむしった羽まできれいに再生して活気づくだけだろうが!!」
炎を司る身で、かまどにくべたら丸焼けました、などということがあるものか。
さらに頭をにじっていると、十六夜にぐいぐいと袖を引かれた。
「さ、朔、朔、焼けちゃうっ!!」
「焼けやせん。これでも俺の力は――」
「朔じゃなくて、お庭!!お庭、燃えちゃう!!」
「…」
しまった。
うちの祀神が、どこまでもズボラでヌケ作でロクデナシだというのを忘れていた。
変態であっても、南方守護職。
『ワルイモノ』ではない朱雀の放つ浄火もまた、『ワルイモノ』ではないとして、防護の対象に入っていないのだ。
こういうときに限ってロクデナシは出かけているときた。だからロクデナシだと言うんだ!
「仕方ない」
つぶやき、俺は天を仰いだ。
「来たれ、玄武!!貴様の妻の不始末は、夫の貴様がなんとかしろっ!!」
天に向かって叫んで、次の瞬間。
「きゃぃんっっっ!!」
「あー………」
どしゃっと降り注いだ水に、素直にずぶ濡れた十六夜が悲鳴を上げる。
朱雀の『火』と同じなのだから、玄武の『水』だとて避けられように………。
「呼ばれ………て………飛び出………て」
「古い。とろい」
皆まで言わせず、俺は傍らにそびえ立った岩男、玄武を見上げた。
体格こそ、岩のようにごつごつしていて縦も横も分厚いのだが、玄武の瞳は無駄につぶらだ。
そのつぶらな瞳が、じっと俺を見下ろした。
「衝撃…………童べ…に………頭を踏まれる………妻……………目の当たりにした…………そのとき………夫は………」
「童べと言うな。あとその週刊誌の見出しのごときしゃべり方をどうにかしろ」
北方守護職の玄武が週刊誌を愛読しているとか、笑い話にもならない。
足の下で、炎を収めた朱雀が羽をばたつかせて笑った。
「あは、あはあはあはあ…………っ!童べに……いたいけな童べにぃっ、あ、頭踏まれてぇっ、悦ぶへぶぎゃっ」
「黙れ変態」
皆まで言わせず、にじる足に力を込めた。
どういうわけか変態というものは、自分で自分を『変態』と罵るときがいちばん、興奮するからな。
そうそう興奮などさせて堪るか。
「激撮………妻の浮気……現場………………相手は…………いたいけな……童べ…………居合わせた………夫は……そのとき………」
「だから童べと言うな!いいか、っ?!」
説教しようとしたところで、ひょいと体が持ち上げられた。
「十六夜?」
水を乾かして、ふさふさに戻った十六夜だ。
俺の体を軽々と腕に抱え上げた十六夜は、ごくまじめな顔で首を振った。
「さわっちゃだめ、朔。ヘンタイがうつる」
「…」
至極もっともだ。
もっともだが、そうも軽々とひとの体を抱え上げるな!
ちくそうちくそうちくそうちくそう、俺がもっと大きくなったら、構図は逆転するんだぞ、ちくそう!
歯噛みしつつ、十六夜が抱えやすいように軽く腕を回しておく。
姿勢を変えて振り返ると、さっきより少しだけ目線が近くなった玄武を睨み上げた。
「そういうわけで玄武。貴様の堕落した妻をおうちへ連れて帰れ」
「え、じゃあ、たーきーは?」
――変態を食う気か、十六夜。
しかも変態でも南方守護職の朱雀だ。そもそもが七面鳥じゃない。どこからこれを、七面鳥だなんて言い出したんだ?
「きょ、今日の俺はたーきーなのぉっ!は、羽をむしってぇえ、ま、丸焼いてぇええっ」
「貴様か…」
地べたから起き上がり、羽を散らしながらの朱雀の叫びに、俺は目をすがめた。
だから火にくべたらもれなく、復活するだろうが貴様。
「…………いっしょ…に…………すっぽんの…………」
「だれがすっぽんだ!!夫婦そろって寝惚けやがって!」
「すっぽんは精がつくよ、朔!!」
「ほら見ろ、十六夜が反応したじゃねえか、この堕落者どもがっ!!」
玄武の言葉に素っ頓狂な声を上げた十六夜に、俺は頭を抱える。
そんなにへこたれているばかりではないつもりだが、十六夜はことあるごとに、俺に精をつけさせようとする。
これ以上悪質な情報を入れないために、ふわふわと立っている十六夜の耳を両手で押さえた。
「朔…っ」
「いい子にしていろ」
「はい」
頷いた十六夜から顔を逸らし、俺は堕落夫婦を睨みつけた。
「仕方がないから貴様ら、本物の七面鳥とすっぽんを持って来い」
「ほほ、ほんものなのにぃい………っ」
「すっぽんに………負けず…劣らず………精が………」
「互いに食らい合え、堕落夫婦!」
「「おお」」
おお、じゃねえんだよ!
朱雀と玄武は、互いの手を取ると見つめ合った。
「まま、丸焼いてくれるぅ………?」
「水炊きでも…………いい………」
「納得したなら、おうちへ帰れ。あとで七面鳥とすっぽんの代金をそっちへ回してやる。青龍に怒られろ」
十六夜の耳を塞いでいて手が使えないので、顎をしゃくる。
夫婦はにっこりと微笑んで俺たちを見た。
「かか、帰るねぇえっ。ふ、夫婦で、しし、しっぽりと、聖夜を祝うぅう……っ」
「まさに…………せいなる………夜………」
「は?」
ちょっと待て。今、聞き捨てならん、アレな単語を。
「「めりくり☆」」
「めりくり☆じゃねえっ、こらっ、四神どもっっ!!」
アレな単語を吐いて消えた堕落夫婦に、俺は虚しく叫んだ。
だから宗教が、ってのを、肝心の神がまったく頓着しねえよ!!
「たーきーとすっぽんが…………!」
「十六夜………」
がっくりとつぶやく十六夜の耳を慰めに掻いてやろうとして、はたと気がついた。
いつまで抱っこだ。
「とりあえず下ろせ」
「…」
迫ると、十六夜は首を傾げて考えこんだ。
それから、ふいと体の向きを変える。
「おい?!」
「ちょーどいいから、このまんまお昼寝しようよ、朔。抱っこだっこでねんねしよう!」
「って、こら、聞け!寝たいならいっしょに寝てやるから、下ろせ!」
打って変わってご機嫌になった十六夜は、跳ねるように部屋へと上がった。
俺を抱えたまま。