「そうか、桜の季節であったか。そろそろ見ごろじゃな」
縁側に立って庭を眺め、吾は頷いた。
最近、ずいぶんとぬくくなってきたとは思っていたが……。
さくら・さくら
花見でも催すか、と思案を巡らせる吾の後ろで、じゅるりと生唾を啜る音がした。
「さくらの季節………」
「待て十六夜」
なにゆえその反応だ。
後ろの座敷で仮名帳とにらめっこしていた十六夜は、ご馳走を前にしたかのような惚けた顔をしている。
確かに桜餅も桜茶も美味い。
だが思うに十六夜が『寝る』以前にそういったものはなく、起きてからも、あれらを賞味したことはないはずだ。
食べたこともないご馳走を思い浮かべて、生唾を啜るのもおかしい。
「なにと勘違いしておる」
傍らに座して訊いた吾に、十六夜は惚けた顔のまま、首を傾げた。
「うまにくの季節なんでしょ?」
「うまにく………?!」
なにゆえ、桜がうまにくに変換された?!
刹那、呆然として、それから思い至った。
そういえば俗界では、うまにくのことを「さくら」と称したか。ぼたんやらもみじやら、やたら紛らわしい名前を付けるのが俗界の不思議だが……。
とはいえ春に「さくら」と聞いて、どうして即座に「うまにく」に繋いでしまうのだ。
「十六夜、そなたには情緒もへったくれもないのか」
「じょーちょ?へったくれ?」
ああうん、わからぬよな、そうだな。
そもそもが眠りこむ以前から、情緒とは縁遠い感性だった。
そんなにきれいな形なのに雑な感性だと、よくからかわれておったしな。
「うまにくは精がつくって聞いたよ。うまにくの季節なんだったら、朔にいっぱい食べさせて上げなきゃ!」
「あー……」
誤解だ。果てしなく誤解だ。
確かにうまにくは精がつくらしいが、うまにくの季節ではない。桜の季節だ。花の。ええい、ややこしい!
とはいえこれが養い子のことを思ってくれているのも、悪くはない事実だ。
どう説明したものか、と頭を捻る吾の前で、十六夜は腕まくりして腰を浮かせた。
「じゃあ早速、うまにくのひとを狩りにい」
「待て十六夜!」
本日二度目の「待て」が出た。
十六夜が「うまにくのひと」と呼ぶのは、地獄の番人である馬頭のことだ。
あれもうまではある。頭だけだが。うまと言っていいだろう。
だが!
「朔におかしなものを食わせるな!変態が移る!」
「でも……」
わずかに躊躇ったものの、未練げな十六夜に、吾は首を振った。
「狩るなら近くの馬場に行け」