さやさやと吹く風に、はたはたはためく、こいのぼり。
そして、ぴくぴくぴるぴる動くきつね耳と、ぶんぶん揺れていたのが止まって、ぴぃいんと立ったふさふさのしっぽ。
やべえ。
昇り竜
「十六夜、止まれ!」
「んっ、はいっ!!」
そもそももう立ち止まっていた十六夜だが、俺の声に背筋をぴんと伸ばした。
直立不動の姿勢となってから、近づいた俺を恐る恐ると見る。
「朔」
「いいか、十六夜。こなたはきつねだな?ねこではないな?きつねとしての、誇りは忘れていないな?」
「え、えっと、はい」
畳み掛けるように訊くと、訳のわかっていない顔でこくこくと頷いた。
訳がわかっていない時点で、どうだという話だが。
俺は渋面で、頭上を泳ぐこいのぼりを指差した。
「十六夜、こなたもきつねなら、頭上をひらひらぴらぴらしているものに熱中した挙句、飛び掛ろうとするな。そういうことをするのは、ねこだ」
「え………っ」
俺の言葉に、十六夜の耳としっぽがぴんと立った。
ふさふさのふわふわな耳としっぽだ。長毛種のねこだとて、この毛並みは再現できまい。
形といい、すべてがねこではなくきつねだと言っているのに――
頭上をひらひらぴらぴら泳ぐこいのぼりから目が離せなくなった挙句、登ってじゃれようとするとか。
自分の家だというなら、まだいい。
しかしここは公道。
そしてこいのぼりが泳ぐのは、いずれ知らぬ他人の家。
そんなことを赦そうものなら、――まあなんだ、十六夜の姿は常人には見えないわけだが。
しかし、それがかえって問題だ。
なにか原因も不明のまま、突然こいのぼりがかぎ裂きにされる。あるいは、地面に落とされ、のたうち回る。
怪奇現象以外のなんだと。
もれなく俺の仕事だ。
自分の式神で自分の仕事を捏造しなければならないほど、困窮していない。
「き、きつねでも、ぴらぴら、気になるしっ!!」
「言い訳をするなら、そこじゃないっ!!」
中身はどうでも、十六夜は大人だ。神だ。
長過ぎた昼寝に寝惚けまくってアレだが、齢はすでに二千年を超えるとかなんとか。
それが、空を泳ぐこいのぼりにうずうずしているというところが、問題の最初のはずだ。
「まったく………」
「だ、だって………ぴ、ぴらぴら………ひらひら………うっとーしー…」
「邪魔なのか!」
意外だった。単に疼いているのかと。
驚いて叫ぶと、十六夜はちょこんと首を傾げた。
「じゃま、じゃないよ。うっとーしいの。視界を、ひらひらぴらぴらしてて、どっち向いてもあっち向いても、ひらひらぴらぴらひらひらぴらぴら」
「おい」
「ひらひらぴらぴらひらひらぴらぴら………ひーらりひらひら」
「待て十六夜!!」
「んっ!!」
しまった。
単に遊び心が疼いているだけだと思っていたら、ひらひらぴらぴらするこいのぼりで、微妙に催眠状態に入って――
こいのぼりで、催眠。
こいのぼり、で。
神――
「わかった、十六夜。目を閉じろ」
「え、でも」
「それで、俺の手を取れ。神社まで、手を引いて行ってやるから」
差し出した手に、十六夜はぴるぴると耳を揺らした。しっぽがぶんぶんと振り回される。
「ほら」
「うんっ!」
促すとうれしそうに頷き、十六夜は俺の手を取った。きゅっと握って、にこにこ笑う。
「目も………」
「腕組めたら、もっとたのしいね、朔」
十六夜は言って、繋いだ手に添うように、わずかに体を屈めた。
「手をつなぐのもいいけど、腕を組んで歩けたら、いいのにね。きっとすぐだけど、今はムリだね」
「………」
俺と十六夜の、身長差。
「…………そうやって言外に、ちびと言うな」
脱力しつつつぶやいて、俺は十六夜の手を引いて歩き出した。
素直についてくる十六夜の足取りは弾み、愉しそうだ。
振り仰ぐと、眩しいような笑顔が返ってきた。
「十六夜、目を」
「つむらないよ。だって朔、ちょっと目を離したら、すぐにおっきくなっちゃうもの。おっきくなっていく朔を見られないなんて、もったいないこと、絶対しないの」
人間はそんな、一瞬では大きくならない。
と、ツッコミを入れようと思ったが、やめておいた。
まあなんだ。
目をつぶってもいいが、俺のことをじっと見ていれば、こいのぼりが目に入らないという状態は同じだ。
どうせ同じなら、俺のことを見ていればいい。
「ちゃんと見ていろよ、俺を」
「うん!」
言うと、十六夜はうれしそうに頷いた。