夏だ。
暑い。
のびっこ
「でも冷たいでしょ、俺っ!」
「ああうん、体温調節してるからな………ちょうどいいひんやりひやひや加減だ……が」
えっへんと胸を張って主張する十六夜に、俺は一応、同意する。
神である十六夜は、本来恒温動物のキツネだが、自在に己の体温を調節できる。
冬場は触れてもひやっとしないように、ちょっと体温を高めに。
反対に夏場は、抱き合っていてすら体温が篭もらないように、低めに。
もちろん、それなりに神力を使っている。漫然としているわけではない。
のだが。
「…………そうまでして、俺を膝に抱っこしたいのか、こなたは………」
俺はがっくり項垂れて、力なくつぶやく。
俺たちの暮らす六所神社は、きちんと祀神のいる神域だ。たとえその祀神がロクデナシの役立たずだとしても、神域は神域として守られている。
そのために俗界よりは暑さも緩和されて、どこかひんやりと清涼な空気が漂う。
とはいえ、あくまで比較の問題だ。
そうも高い御山にあるわけでもなし、ここだけで暮らしていればきちんと暑いし、汗も掻く。
古い社で、住んでいる『人間』は俺だけだ。
あとは神とその眷属。
暑さに鈍い連中ばかりなので、冷房機器は存在しない。古式ゆかしいうちわが、辛うじてあるのみ。
だから正直、体温を低く抑えた十六夜に抱きしめられているのは、心地よい。将来の嫁に抱かれていてこう言うのも問題だが、暑さにバテている身としては、思わず眠りこけそうになる。
しかし、膝抱っこだ。
いくら俺がまだ小さいとはいえ、将来の嫁に膝抱っこ。
いくら将来の嫁でも、膝抱っこ――いや、将来の嫁だからこそ、俺を膝抱っこするなと。
――俺のダンナとしての矜持はぼろぼろなわけだが、十六夜だ。
俺は今、暑くて汗でべたべただからあまり触れないようにしろと言ったら、自分の体温を落として来た。
「ね、冷たいでしょ、俺?!きもちいーよね、朔っ?!汗引くでしょ!!」
物凄い剣幕でそう迫って来て、俺が勢いに押されるままに「気持ちいい」と答えたら、にっこり満足そうに笑って、――その笑顔の綺麗なことったら、なかった。
何度見ても、慣れることなどない。
などとうっかり見惚れたら、その間に十六夜は俺を膝に抱っこしていた。
「冷たいんだから、いーよね!きもちいーもん、いーよねっ!!」
と、力いっぱいに主張し、ついでに俺を抱く腕にもこれでもかと力を込めて、絶対離れませんと全身全霊で主張。
つまり十六夜は、俺を膝に抱っこしたいがために、わざわざ体温を下げまでしたと。
そこまでして俺を抱っこしたいって、どういう理屈だ。将来の旦那だとか、現状の主だとか、諸々わかっているのかいないのか。
抱かれていると熱が篭もらず、体は非常に楽だ。むしろもう寝たい。
しかし精神的には連打攻撃がいいように決まって、疲労困憊。やはりもう寝たい。
「だって、朔」
膝に抱っこした俺に、飽きることなくぎゅうぎゅうすりすりとしている十六夜は、ほんの少しだけ眉尻を下げた。どこか、寂しそうな。
その顔も綺麗だ。俺が大きければこのまま閨に連れ込んで、存分に慰めてやるというのに。
「朔は人間だから、どんどん大きくなってるでしょ………いつ、こうやって抱っこ出来なくなるか、わからないもの。来年はもう、お膝に乗せられないかもしれないんだよ?だから抱っこ出来るときは、あとで後悔しないように、思う存分いっぱい、抱っこしておくの」
「いやだから、そもそもなんで抱っこ………………?!」
反射でツッコみかけて、言葉が続かなかった。
常々、俺をちみっこ扱いするなと言っているのに、抱っこしたいと思われている時点で完璧にちみっこ扱いだ。
しかも十六夜は、思うだけでなくごく頻繁に、俺を抱っこする。
こうして膝抱っこするのはもちろん、移動の際にも、ひょいと気軽に抱き上げる。
そのたびにやいのやいのと文句を言ってきたわけだが、一向に改まらず。
だが、そうだ――俺はすくすく順調に成長している。
成長期だ。
男の本格的な成長期にはまだ遠いが、たかが一年でも伸び代はかなりのもの。
身長が伸びれば体重も増え、筋量も増え、いずれは十六夜を抱き上げる日も来るだろう。
いくら十六夜が望もうとも、こうも気軽に抱っこすることが出来なくなる日も、そう遠くはない。
それこそ、望むところだ。
望むところの、はずだ、が。
「………………………なん、だ……と?」
「朔?」
俺は十六夜の膝の上で、衝撃に固まっていた。
十六夜が顔を覗きこんでくるが、取り繕うことも出来ない。
まさか、そんな。
あれだけ言っているというのに、ここに来ての――この、裏切り。
「………ありえねぇ………………っ」
抱っこされなくなることが、寂しい、だとか。
こうして膝に抱き上げて、甘やかして貰えなくなるのが、惜しいとか。
こみ上げた自分の感情に、俺は愕然とした。
「朔?ねえ、朔……?だいじょうぶ?お水飲みたい?それとも、もっとひやひやしないとだめ?!」
「ぅぁあああう………っ!!」
馴らされた。
かんっぺき、俺が馴らされた!!
気がついた事実に、俺は十六夜の膝の上でひたすらに唸っていた。