女の子は、いくつになってもお人形遊びが好きだ。
レディ・バード-松虫編
「マツはさ、せっかく爪がきれーな形してんだし………これだったら別に、あんまり長く伸ばさなくてもイケるからさー」
「…………そうなの?」
私の手を取って、しゃこしゃこと爪を磨きながら、スズはいつもとは違うぼそぼそとした声で言う。
昼休みの騒がしい教室だと、掻き消されそうな小さい声。
スズの声はいつも張りがあって、大きい。
対して、私の声はいつでも小さい。
スズはときどき、私の声は綺麗なんだから、もっと自信を持って話せと言う。
私はちょっと首を傾げて、いつもの通りに『そうなの?』とつぶやいて、あとは変わらない。
声は小さいまま。
自信のなさの表れだと、スズは考えているのだろう。
ならば声が大きいスズは、自分に自信があるということだ。
少なくとも、スズの考え方においては。
私はそう考えない。
大きな声で喚かなくても、私が必要とするひとには、いつでも私の声を、話を聞いてもらえる。
だから、わざわざ声を大きくする必要性を感じていない。
その私の考え方において、スズが声を張り上げるのは、自信のなさの表れだ。
大きな声で叫ばなければ、他人に話を聞いてもらえない。自分の主張を通すことができない。
自信がないから、恐怖心があるから、声はどんどんどんどん、大きくなる――
「そーだよ。あたしなんか、こうやって一所懸命に爪伸ばしてさ。それでも、塗るの一苦労なんだから」
前のひとの席に勝手に座って私の爪を磨くスズの爪は、綺麗にコーティングされている。いつも凝っているけれど、今日は一際だ。
こうやって見た感じ、コーディングされている以外に、私の爪となにがそう大きく違うのか、わからない。
「………そうなの?」
「あ、こら、マツッ。大人しくしててったらッ」
磨かれていた手を取り戻してスズの手を取ったら、怒られた。ぼそぼそしていた声が、わずかに大きくなる。
私は構うことなく、スズの手を見る。
綺麗な手。
白くて、なめらかで――
「………違うの?」
「ちーがーうーのッ。ほら、いいから、続きッ。やるから、手ぇちょーだいッ」
ぱっと取り返された手は、反って私の手を要求する。
スズの爪は、いつもいつも綺麗にコーティングされている。
対して、私は長くなった爪の先を落とすだけだ。なにもしていない。
これまでも、スズはなにかあると私の爪も自分と同じように、コーティングしようとした。
でもそのたびに私が断っていたら、今日は爪を磨く道具を持ってきた。
「磨くだけなら、いーでしょッ?!」
――そもそも私には、『磨く』ということがどういうことかも、よくわかっていなかったのだけれど。
色や薬は乗せずに、ただ角質を削り落としてつるつるぴかぴかにするだけだからと、スズに――たぶん、ほとんど懇願されて、私は手を預けた。
「最初にちゃんと磨くのが大事って、聞いてはいたんだけどさ。あたしめんどいから、てきとーにやってたんだよね。で、昨日、バイト代入ったから、久しぶりにプロのネイル頼んで………そこで、自分では上手く色が乗らないとか相談したら、磨き方が悪いからだって」
再び取った私の手、爪を磨きながら、スズはぽつぽつと話す。
スズはお昼を食べてからずっと、私の爪を磨いている。右手の、人差し指だけ。
でも今のところ、つるつるぴかぴかになった気はしない。
むしろ、濁ったような。
それでも私は、スズに手を渡す。
「でさ、ダメモトでコツ訊いたら、必要な道具から全部教えてくれてさー」
一度も爪を弄ったことのない私には、スズの話の意味はよくわからない。
わかっているのかいないのか、スズは構うことなくぼそぼそと話し続ける。その手は私の爪を隅まで丁寧に磨いて、削っていく。
私の指をつまむ、スズの指――長い爪でやるのは不便だろうと思うのに、とても器用に動く。
アイメイクでわざと険しめにつくってある瞳も、真剣な色を宿して私の指を見つめ続けている。
「まあ、聞いたらすぐ実践だよね。忘れるし」
「…………それで、私?」
わずかに首を傾げると、スズはようやく顔を上げた。ひょいと自分の手を掲げて、綺麗にコーティングされた爪をぶらぶら振って見せる。
「あたしやったばっかだもん。たっかいんだしさあ、すぐ取っちゃったら、金のムダもいいとこじゃん。それにあたし、プロに磨いてもらったとこだから、自分でやっても効果がよくわかんないし」
「…………」
私は自分の爪を見下ろす。
つるつるぴかぴかとは、とても思えない。かえって、白く濁ったような――
女の子は、お人形遊びが好きだ。いくつになっても。
スズが私を飾りたいというのは、仲の良いトモダチが『ダサイ』格好をしていたら、連れ歩くのに躊躇いがあるということも、あるだろう。
私も、スズと歩けなくなるのは、ちょっと嫌だ。
それでも、髪も爪も肌も弄ることなく、そのまま取っておくことに理由はある。
「よっし。これからだからね、マツッ」
「…………まだあるの?」
話を聞いて、帰りに一通り揃えてきたという道具をすべて使っていないから、たぶんまだ工程はあるのだろうと予測はしていたけれど――
机の上に広げられた道具を見つつ、首を傾げて訊いた私にスズは呆れた顔をした。
「なに言ってんの、マツ?これじゃ、汚くなっただけじゃん。本番はこれからだっつーの」
「……………………………下準備、だったの?」
軽く瞳を見開いた私は、背も反って、たぶん逃げ腰になったように見えただろう。
スズの私の手を掴む力が、強くなった。少しだけ、肌に爪が食い込む。
痛みに、体の中心をぴりりと電気が走った。
「めんどーでしょ?だからあたしこれまで、すっ飛ばしてたの。まさか、そんなに違うもんだと思わなかったし」
「………」
手を戻した私に、スズの指からも力が抜ける。
スズはまた新しい道具を取って、私の爪に当てた。
磨かれていく、私の爪。
なにも加工したことなどないから、変化は歴然。
女の子は、いくつになってもお人形遊びが好きだ。
髪型を弄ってみたり、お洋服を変えてみたり、お化粧をしてみたり――
けれど加工が終わってしまうと、それまでだ。
人形の髪は伸びない。元の色にも戻らない。切り落としてしまえば、終わり。
お洋服もいずれ、好みが変わる。変わったお洋服の好みに合わせたくても、髪はどうにもならない。
ペンで描き入れてしまったお化粧は落ちなくて、――
遊び終わった人形の末路は、捨てられるだけ。
私の髪は、色も戻れば伸びもする。
メイク落としは年々進化していっているというし、外国のパーティ用のおかしな化粧をしたところで、一瞬で素顔に戻れる。
それでも私は、素材ままの私でいる。
加工後の『お人形』は、スズの周りにたくさんいる。
彼女たちと私との間に線を引いて、必要とし続けてもらうためには、私は素材ままの『人形』でいるのがいちばん。
あまりみすぼらしくては、逆に捨てられてしまうから、最低限の身だしなみは整えるけれど――
「ね、ほら、見てッ!我ながらケッサク!聞いて初めてでここまでできるって、ちょっと天才ッ!」
「……………」
つまんでいた指先から返して、手のひらをぎゅっと握って持ち上げて私に爪を見せ、スズは満面の笑みを浮かべた。
渾身を振り絞って飾り付けたお人形が、満足いく仕上がりになった女の子の笑み。
得意満面で、幼くて――
その瞬間、女の子はお人形を、この世のなによりも愛する。
「………………そうね。きれい」
他の指の爪と比べても、その爪だけは硝子のように光を弾いて輝いている。
私は微笑んで、煌きに見入った。