あたしはいい加減、ヘンタイだ。
ちんちろりん-鈴虫編
「あーもう、オトコ同士でとかさッ、しんっじらんないよねッ!キモイってのッ、ホモッ!!」
学校からの帰り道、あたしはタブレットを弄りながらイライラと叫んだ。
半分本気で、半分演技。
大人しく隣を歩いていたシンユウは、わずかな間を空けて瞳を瞬かせた。
「…………そうなの?」
あたしに向けられたマツの声も表情も、無邪気なくらいに不思議そうだった。
マツは他のヤツと違う。
ホモはキモイとかウザイとか、そういう世間一般的な偏見は、きっとない。
オトコ同士でもオンナ同士でも、好き合っていてしあわせならばいいんじゃないのとか、天然で考えてる。
案の定。
「ホモって、気持ち悪いの?」
問いかける声は、まるで幼稚園児みたいに無邪気だった。あたしたちはもう、高校生だってのに。
思った通りの反応に、あたしの下半身がじんわりと疼く。
けれどおくびにも出さず、あたしはすっごく冷たい目でマツを見て、ばかにしきった声を出した。
「なぁに、マツ?あんたもしかして、最近ハヤリのフジョシとかいうヤツなわけ?ホモだいすきーッて」
「…………」
マツは澄んだきれいな瞳を、無言のままぱちぱちと瞬かせた。
あたしの言ってることなんて、たぶん半分も理解できてない。
頭の中での漢字変換はきっと、『腐女子』じゃなくて、『婦女子』――いかにもマツは女の子、『婦女子』だ。いったいあたしは、なにを言ってるんだろうって。
あたしの下半身がまた、じんわりと疼いたけれど、それも一瞬のことだった。
マツはひたすらに無言で、あたしをじっと見つめてくる。
無邪気で無垢で――きれいなきれいな、澄んだ瞳。
堪えられない。
「ちっ」
自分の堪え性のなさに、思わず舌打ちがこぼれた。
マツからできるだけ気を逸らすために弄っていたタブレットを操作して、画面を閉じる。鞄に放り込むと、その様子も逐一見ていたマツにちゃんと向き合った。
「悪かったってば、当たったりして。マツはそんなんじゃないのにさ」
バツの悪さを押し隠して口早に謝ると、マツはますます不思議そうに瞳を瞬かせた。どこか悩みこむような顔になって、首を傾げながら俯く。
「…………そうなの?」
小さな声は、たぶん独り言――中一の頃からの付き合いだから、それくらいはわかる。
なによりも、マツはシンユウだ。
他の誰をシンユウと呼んでも、内心は『ケッ』と舌を出してるけど、マツは別。マツだけはトクベツに、本当に本当のシンユウ。
だから他の誰に言えないことも、タブレットに流せないことも、マツにだったらあたしは全部言う。言える。
――たったひとつを、除いて。
「オトコが好きだから付き合えないとか言われて、フラれてさ。まあ、あたしこんなだし、フラれるのなんてわりと慣れてるけど、にしてもオトコに負けたのかよッとか思ったら、もうめっちゃムカついてさー」
訊かれてもいないけれど、あたしは今のあたしの不機嫌の理由をマツに説明した。
『こんな』ってのはつまり、頭のテッペンから爪先まで、どのパーツをとってもすべてが間違いなくギャル系だってこと。
自分がチャラくてもオンナがチャラいのはイヤだとか、ウザイオトコもいるし――そういうオトコからすると、たぶん、マツは理想のタイプかもしれない。
ギャル系のあたしと頻繁にツルんでるマツだけど、タイプはまったく正反対のおとなし系。
今時、一切カラーを入れてない黒髪に、パーマもなにもしていない、まっすぐ長く伸びた髪。
ブラウスのボタンが首まで全部留まってるのは、まだいい。でもスカートが膝上ぎりぎり丈なんて長いのは、おとなし系はたくさんいたって、マツくらい。
髪型もあって、中にはサダコとか呼ぶヤツもいるけど、そうじゃない。
マツはおとなし系でも、ネクラじゃない。言うなら、デンパ系。感性がかなり、他人とズレてる。
で、デンパにありがちで、ズレてることに本人があんまり気がついてない。
そんなマツとはもう、中一の頃からの付き合いで、ずっとシンユウ。
世界で一番いちばん、絶対にシンユウ――
「ったく、そんなサイテーなオトコを好きになってたのかと思ったら、自分の見る目のなさもイヤになるし。まあもともと、見る目なんかないけどさー」
「あ、ねこ」
笑い話みたいにしながらグチってる途中で、マツはぽつんとつぶやいて、ふらりと体を反した。
「ちょっと、マツッ!」
あたしが呼んでるのにも関わらず、マツはすたすたとひとつの店のショーウィンドウ前に行く。ぺたんと腰を下ろした先には、確かにねこ――が、いるけど。
デンパなマツの行動は、付き合って三年以上経ってもさっぱり読めない。
まあ、まったくあたしの話を聞いてないってことだけは、確定だけど――つまんないし、失恋話とか。わかるけど。
たまに、あたしだけがマツのこと、シンユウって思っているような――
「マツったら!あんたはもぉッ、行動読めなさ過ぎッ」
叫びながら近寄ると、マツは膝を抱えて座ったまま、顔だけ上げてあたしを見た。ぽつんと、つぶやく。
「ニセモノだった。ねこ」
無邪気で無垢な、その響き――下半身がずくりと痛んで、あたしはきゅっと目を眇める。
ショーウィンドウのメインは、フォーマルドレスだ。フッツーの高校生のあたしらには、ちょっと別世界もののデザインと値段。こんなとこに、本物のねこなんて置くわけない。
「ああうん、ニセモノだね」
「うん」
適当に頷いたのに、マツはものすごくマジメに頷き返して、またショーウィンドウに目を戻した。
そして見入る、メインを引き立てるために置かれた、『ニセモノ』のねこ――
うすらぼんやりと、ショーウィンドウのガラスに映るマツの顔。
無邪気で、無垢で、どこまでも澄んだガラスの瞳。
ずくりずくりと、下半身が疼く。毎度のことだけど、あたしは処女をあっさり捨てたことを後悔していた。
処女よりも非処女のほうが、濡れやすい。
話には聞いてたけど、ちょっとばかみたいだ。泣きたくなる。
あたしはいい加減、ヘンタイだ。
シンユウ相手に、濡れる。
それはもう、毎日まいにち、下着をびしょびしょにする。オトコだったらボッキしっぱなしだ、きっと。
マツはシンユウなのに――あたしはマツと、なんでもないフッツーの話をしながら、心の中でマツの服を脱がせて、その肌に触れたりキスをしたりしている。
そして下着を濡らす。
キモイなんて言葉じゃ全然足らないくらい、どキモイヘンタイが、あたしだ。ホモなんて、あたしに比べたらずっとずっとかわいい。
「あーもう、わかったわかった。ツマンネー話した、あたしが悪かったって。スネないでよ、マツ」
宥める言葉をいくつか吐いたけれど、一向にねこから顔を離さないマツに、あたしはお手上げポーズ。
マツはシンユウだ。たぶん、マツにとっては違うとしても、あたしにとってはシンユウだ。
下半身を疼かせて、下着を濡らしていても、世界でたったひとり、大事なだいじなシンユウだ。
嫌われたくないから、あたしは誰に対するよりもあっさりと折れて、謝る。
そのあたしへ、マツはやっぱり座ったまま、それでもようやく顔を向けてくれた。
切れ長の瞳が、黒々と澄んだ色であたしを見据える。
「スズの話が、嫌なんじゃない。無理してる笑い顔とか声とかが、嫌なだけ。心底から。泣きたいのに泣けないなら、笑いたくないのに笑うなら、私の存在意義なんてない」
「…………」
きっぱりと、言い切られた言葉。
他の誰かが言ったなら、笑う。ゆーじょーごっこきめぇって、ウザイって、罵って笑う。演技じゃなくて、きっと心底からそう思う。思って、ムカついて、嘲笑う。
でも――
ムリしてるのは、失恋のせいじゃない。まあ、半分は失恋もあるけど――
そうやって心が弱ってると、ほんとにリアルのマツに、いやらしいことしそうになるから。
そんなヘンタイの自分を、抑えてるから。
だから、見当違いもいいとこだけど――あたしがムリしてんだってわかってくれて、それがイヤだって、マツは怒ってくれる。
マツのことを心の中でハダカに剥いて、下半身びっしょりにしてるヘンタイなのに、あたし。
「……………あたしほんと、あんた好き」
堪えきれず、ぽつんとこぼれた言葉。
マツは応えることなく、ショーウィンドウの『ニセモノ』のねこと見合っていた。