そしてお姫さまは、王子さまと仲良くしあわせに暮らしましたとさ。
ずっと、ずっと――
太陽の王と月怜王
カイトは胸に手を当てて、考える。
「仲良くしあわせに」暮らせないとしたら、自分がお姫さまじゃないからだろうか。
がくぽは「王子様」で通せるけれど、カイトは「お姫さま」とは言い張れない。
どこからどう見ても男だし、それ以前に「お姫さま」になりたいわけでもないのだ。
ただ、お姫さまなら、王子様とずっとずっと「仲良くしあわせに」暮らせるというのなら――
お姫さまじゃないと、王子様と「仲良くしあわせに」暮らせないというのなら――
お姫さまじゃない自分が、少しだけ、恨めしくなる。
「………やだな、こんなの……」
ぶすっとしてつぶやいて、カイトは窓の外を眺めた。
リビングの窓辺は、カイトのお気に入りの場所だ。燦々と陽が降り注いで、明るくてあたたかい。
熱が苦手なロイドだけれど、カイトは陽だまりが好きだ。ほわほわして、きらきらして、「しあわせ」な気持ちになる。
けれど残念なことに、今日の天気は曇り――お日さまの光は、ない。
「…………やだな」
もう一度、つぶやく。
別に、曇りの日が嫌いだというのではない。
雲の動きをぼんやりと見ているのも好きだし、ほんのり眠くなるような、微妙な空気加減も好きだ。
好きだけれど。
好きだけれど、今日は、お日さまが欲しかったのだ。
お日さまの光で、淀む心をきらきらと埋めて、こんなどうしようもない考え、忘れさせて欲しかったのに。
窓の外は、どうしても、どうしても、曇り。
「あーあ………」
がっくり項垂れて、立てた膝に顎を乗せる。憂鬱な気分そのままに、瞳を細めた。
完璧に、拗ねたお子様。
それも、理不尽なことで拗ねている――のは、わかっていても。
と、リビングの扉が開く音に、カイトは視線だけ投げた。
その瞳が見開かれ、ぱ、と顔が上がる。
「おひさま発見」
「?なんだ?」
つぶやきが拾えずに不思議そうな顔をしたのは、がくぽだ。
首を傾げつつも、とりあえずカイトの傍にやって来ると、腰を屈めて、額にキスを落とした。
「浮かぬ顔だな。なんぞあったか」
微笑んで訊かれ、カイトは窓の外を指差す。
「お日さまが出てない」
「…ああ」
カイトが窓辺でのひなたぼっこをこよなく愛していることは、がくぽもよくよく知っている。
浮かない顔の理由もそれで納得してしまって、笑って頷いた。
仕様がない、とでも言いたげにカイトの頭を撫でると、離れる。
サイドボードまで行くと、文房具の仕舞われた棚を漁り出した。
「……………がくぽ」
「なんだ?」
目的のものが見つからないのか、振り向くこともなく、がくぽはサイドボードを漁りながら応える。
カイトはきゅ、と眉を寄せた。手を握りしめる。
「がくぽ」
「だから、なんだと……」
もう一度呼ばれて振り返ったがくぽは、小首を傾げてじっと見つめるカイトと目が合って、動きを止めた。
わずかに考えてから踵を返し、カイトの傍らに腰を下ろす。
「ほら」
招くように手を広げられ、カイトはがくぽの胸に凭れかかった。
甘えてくる体を、がくぽはやわらかに抱く。
「おひさま確保」
「俺のことか?」
カイトのつぶやきに、がくぽは笑う。
けれどそれ以外に、だれがいると思っているのだろう。
抱きしめられて、くるみこまれると、ひなたぼっこをしているときのように、しあわせな気持ちになる。
いや、もっと、ずっと。
「どうした、カイト?」
すりつくカイトに、がくぽはやわらかく問う。
「なにが物憂い?」
すりつく頭を撫でながら訊かれ、カイトは瞳を閉じた。手を伸ばし、がくぽの胸にしがみつく。
「俺、お姫さまだったらよかったのに」
「…」
唐突過ぎる言葉に、がくぽは瞳を見張る。
それ以上は言葉を継がずにただすりつくだけのカイトに、がくぽはしばらく考えた。その手がやわらかに動いて、カイトの髪を梳く。
「お主は『姫』という柄ではあるまい。王子では厭なのか?」
「おーじさまは、がくぽだもん」
「…」
不貞腐れたように言って、カイトはさらにがくぽにしがみつく。
がくぽは瞳を激しく瞬かせてから、そんなカイトを抱きしめた。
「俺とて、王子という柄ではあるまい?」
「そんなことっ、ん」
反駁しようと顔を上げたカイトのくちびるに、がくぽは軽く触れるだけのキスを落とす。
揺らぐ瞳で見つめるだけになったカイトへと、穏やかに笑いかけた。
「やるなら、騎士のほうが良い。主の陰日向となり、手足となり、時に剣にも盾にもなる――騎士のほうが」
「…」
カイトは瞳を瞬かせて、静かに語るがくぽを見つめる。
がくぽは笑って、そんなカイトを見返した。
「騎士なら、王子だろうが姫だろうが、剣となり盾となって、主と仰いだひとを自在に守れる。けれど王子では、姫のための剣にしかなれまい?剣であることを厭いはせぬが、俺は愛しいひとの、盾ともなりたい。ゆえに、やるなら騎士がいい」
「…」
そういうことじゃないんだけどな、とカイトは考える。
「仲良くしあわせに」暮らすのは、王子様とお姫さまで――がくぽは王子様で、カイトはお姫さまじゃなくて。
でも、と思う。
カイトがお姫さまじゃなくて、がくぽが王子様じゃなくて騎士様で、主と仰ぐひとのために生きるというなら――
「………それって、マスター?」
首を傾げて訊くと、がくぽはそっぽを向いて項垂れた。
「お主のそれは、天然か作為か、区別がつかん」
ぼそっと吐き捨ててから、じっと見つめるカイトへと視線を戻す。
「『主』は確かにマスターだが――俺が愛しく想い、守りたいと望むのは、お主ひとりだ、カイト。俺はお主が望むまま、戦う剣にも、守る盾にもなる。カイト、お主のためだけだ」
「………」
じっとじっと見つめていたカイトが、真摯に見つめ返すがくぽから、そっと視線を外す。
ほわわ、と顔を真っ赤に染めて、俯いた。
ことん、とがくぽの胸に当てた頭の、髪の隙間から見える耳まで、きれいに染まっている。
「ん………うん。わざと、だったかも。そーに、言ってほしかった………みたい」
ぎゅ、とがくぽにしがみついて、カイトはぐりぐりと頭をすり寄せる。
素直な懺悔に、がくぽは軽く吹き出した。
「満足のいく答えだったか?」
「それ以上」
「それは良かった」
カイトの答えに、がくぽは抱く腕に力をこめる。すりつくカイトの頭に顔を寄せると、瞳を細めた。
「それで――なにゆえ突然、『姫になりたい』などと言いだした?」
「ん……?」
ぽつりと訊かれて、カイトは身じろいだ。
がくぽの腕の中から出て身を離し、困ったように笑う。
「お姫さまは王子様と、いつまでも仲良くしあわせに暮らすでしょ?がくぽは王子様だけど、俺はお姫さまじゃないから、そしたらずーっと、仲良くしあわせには暮らせないのかなって」
「…」
カイトの説明に、がくぽは花色の瞳を見張る。
呆れるよね?と、カイトは笑って首を傾げた。
少し考えていたがくぽだが、手を伸ばすと、再びカイトを胸に抱きこんだ。
「お伽噺な………あれは大分、話を端折っていると思うぞ」
「………はしょってる?」
きょとんとして軽く顔を上向かせたカイトに、がくぽは肩を竦める。
「お姫さまと王子だろう?よく考えよ。王子はいつまでも『王子』ではなく、いずれ王となる。王となるためにはなにかしら、いざこざとあるかもしれん。なった後にだとて、まったくいざこざのない国などあるわけがない。さらには肝心の姫との間に世継ぎが嫁姑がどうのこうの、ああのそうのと――」
「ぅっわぁ………」
話が一気に世知辛くなった。
カイトは思わず身を起こし、淡々と数え上げるがくぽを見る。
その眼差しの微妙さにも構わず、がくぽは腕を回したままのカイトの背を軽く叩いた。
「そういうあれやこれやのいざこざは当然あって、時として喧嘩もしようし、ふしあわせな気分のときもあったろう」
「っでも、みんな――!」
お話はいつでも、「仲良くしあわせに暮らしましたとさ」で終わる。
ずっとずっと、仲良くしあわせに――
顔を歪めるカイトに、がくぽは微笑んだ。
「喧嘩をしたとて、仲直りをしたら良いだろう?いざこざに巻き込まれても、二人で力を合わせて乗り越え、ふしあわせな気分のときにも、寄り添って共に在った――。そういうこと、すべてひっくるめて、人生を総括して表すなら、『ずっと仲良くしあわせに暮らしました』として、いいのではないか?」
「…っ」
カイトは瞳を瞬かせ、驚いた表情でがくぽを見つめる。
黙ったままのカイトに、がくぽは少しだけ困ったように、首を傾げた。
「それでは駄目か?」
「…」
カイトは瞳を細めると、がくぽの胸に戻った。
ぎゅっとしがみついて、ねこのように頭をすりつける。そうすればいつでも、やさしく頭を撫でてくれる、がくぽの手。
宥められる感触にうっとりと瞳を閉じると、カイトは頷いた。
「がくぽは王子様でも、騎士様でもないね」
「ん。駄目か」
つぶやきに、カイトはますますがくぽにすりついた。
「おひさまだよね、やっぱり」
「…」
空は相変わらずの曇り模様で。
けれど、抱きしめてくれるひとから、きらきらと光が降り注いで――もやもやと淀んでいたこころが、きれいに晴れた。
無理やりに忘れるのではなくて――ひどく納得して、すとんと腑に落ちて。
「ふにゅ……」
すっきりしたカイトは、「陽だまり」の安心感に浸り、そのまま寝入った。
「………やれやれ」
力をなくして崩れる体を膝に抱え上げて胸に仕舞い、がくぽは窓の外の曇り空を見上げる。
それから眠るカイトの顔を眺め、愉しげにくちびるを歪めた。
「これでいて、用事があるのだがな」
腐しながらも、カイトを放り出すことはない。
凭れるカイトの頭に顔を埋めると、瞳を細めた。
「俺にとっては、お主が――」
つぶやきかけて、口を噤んだ。
太陽、ではない。
太陽にも負けないほどに、その笑みは眩しいけれど――
喩えるなら、月。
太陽ほどにはいつでも力強く安定はしていなくて、時として闇に欠けて沈んでしまうこともある。
けれど、夜の闇の中――怯え惑うこころの傍にあって、静かに隣で時を過ごし、見守っていてくれる。
泣き濡れる夜に、やわらかな救いの手をもたらしてくれる、月。
「…………言わぬがいいだろうな」
小さく笑うと、がくぽは瞳を閉じた。