曲がり角に、尖った耳。

翻るマントは黒地。

裏地は深い青で、そのマントに包まれた華奢な体は、シルクの夜会服を優雅に着こなす。

くちびるから覗くのは尖る牙、施された化粧はダーク。

軽く操る金属杖をびしりと突きつけ、にっこり笑った彼は言った。

「まおーだぞーアイスくんなきゃ、せかいせーふくしてやる!!」

Treat or Treat!

「………………………………………魔王がこんなに可憐で、世界征服など出来るのか?」

「A-HA!!」

真顔で訊いたがくぽに、彼の分の衣装を用意していたマスターが爆笑する。

ごく一般家庭(?)のリビングに降臨した「まおー」こと、「魔王」に扮したカイトのほうは、がくぽの感想に心外そうに顔をしかめた。

「なに言ってんの、がくぽ俺がせかいせーふくした暁には、ダッツのアイスクリーム車を、街中に十メートルごとに配置するんだからね!!その壮大な野望のためには、勇者なんかにカンタンには負けないよ!!」

「ああうん、壮大だな、壮大だ。大阪に行ったらたぶん、たこ焼き屋と戦争になるな」

適当にいなしながら、がくぽはカイトを眺める。

実のところ、少しばかり安心していた。

去年のカイトのハロウィン扮装は、ひどいものだった――ミニスカねこ耳の、魔女っ娘だ。

いや、かわいかったことは認めるが、写真を撮って引き伸ばし、パネルにしておけばよかったとはつくづく思ったが、それとこれとはまた別だ。

カイトはその扮装で普通に街にくり出し、ハロウィンの仮装行列に参加したのだ――あまりに愛らしい魔女っ娘にカメラのシャッター音はひきも切らず、またカイトが、カメラを向けられるとプロ意識ばりばりでサービスポーズを連発し………。

生きた心地がしない。

あんなあられもない姿のカイトは、自分だけが愉しめばいいのであって、街中にまで晒しに行くものではない。

その点で、今年のカイトの恰好は安心だった。魔王だ。パンツルックだ。愛らしいが。

「むう。たこ焼き屋さんか………!!強敵だよね。大阪府民、まるっと敵に回るし。勇者百万人前はちょっときついなあ………」

途端に気弱になったカイトが現在いるのは、ごく普通の家庭の、一般的なリビングだ。壮大なる魔王城ではない。

そんなふうにつぶやくと、コメディの魔王そのもので、さらに世界征服が遠のく。

そのカイトに、マスターが笑った。

「カイトさん、大丈夫ですよ。今年の魔王には、心強い味方がいますから」

「味方?」

きょとりと瞳を瞬かせるカイトに、マスターは手に持った衣装を軽く振る。

「というわけでがくぽさん、脱げませ」

「………ひとりで着替えさせるという選択肢はないわけだな、貴殿には………」

ぼやきながらも、がくぽもここまで来ると慣れている。

ステージ衣装は時に複雑を極めるから、ひとに着せてもらうことにも大分慣れた。その着替えを担当するのが若い女性のこともあるし、下手に恥ずかしがるほうが面倒を増やすことも。

がくぽは躊躇いなく着物を脱ぎ捨て、ボディスーツも脱ぐ。

「あ、わわっ」

慌てたのはカイトで、真っ赤になると後ろを向いた。

これがステージ脇だったり、控室といった場所だったりすると、カイトも仕事モードに切り替わっているために平然としているのだが、家だ。

思いきりコイビトモード。

そしてこの恋人は、何度肌を重ねて、何度情を交わしても、がくぽの裸を平然と正視出来るようにならなかった。

見たいと強請ったり、さわりたい!!と強請ったりするのだが、いざ目の前に晒すと、真っ赤になって慌てふためく。

だってきれーでかっこよくって、どきどきしちゃうんだもん………などと消え入りそうな声でつぶやき、潤む瞳に見つめられたりすると、単に着替えだけのつもりで脱いだ意味が、ころっと変わりそうになる。

「はい、がくぽさん」

「ああ」

まず渡されたのが、黒革のロングパンツだった。どうやら洋装のようだ。

まあ、西洋のお祭りであるわけだし、日本の百鬼夜行に仮装はしないだろう。

思いつつ、体にぴったり張りつくようなそれを穿くと、今度は多少趣味を疑うような、ごつい金のアクセサリーを、たっぷりと渡された。

「つけるのか?」

眉をひそめたがくぽに、マスターは肩を竦める。

「シルバーが良かったんですけど、訊いたら、シルバーは魔除けだから、魔物が付けているのはおかしいって。魔物だったら、ゴールドだって言われてしまいまして」

「ならば仕方ないか……」

そもそも、趣味の良い魔物というのもおかしな話だ。

上着を渡されないままなので、がくぽは素肌にアクセサリーをつけていく。

たっぷりとした重量のネックレスに、腕輪、指輪――

「なんかじゃらじゃら言ってる………ひぎゃっっ!!」

「落ち着け、カイト」

「無理じゃないですかねー」

好奇心で振り返ったカイトは、上半身を晒したまま、ゴールドのアクセサリーで飾ったがくぽに悲鳴を上げ、再び後ろを向いた。

「素肌にゴールドって、地味にやらしいですよ」

「…………俺になにをやらせようとしている、貴殿」

目を眇めるがくぽに肩を竦めて済ませ、マスターは頭を指した。

「髪、解いてください。髪型も変えないと、ちょっと変です」

「ああ」

胡乱な表情は変えないものの、がくぽは逆らわない。結い上げた髪を解いて、さらりと流した。

「流したまんまのほうがいいですかね、下手にセットするより。ちょっと跳ねさせるくらいで……。そしたら、はい」

「…………俺になにをやらせようとしているのだ、貴殿………」

差し出されたものに、がくぽはさらに目を眇める。それでも抵抗することなく受け取ると、素肌に羽織った。

「カイトさん、上着着ましたよ」

「あ、ほんとー…………って、わぎゃっ?!!」

「まあ、そういう反応だろうな……」

確かにがくぽは上着を着た。素肌に毛皮のコートを。

前を閉じたわけではないから、きれいな筋肉がそのまま覗いている。着たと本当に言っていいのかどうか、微妙といえば微妙だ。

真っ赤になって固まったカイトを困ったように眺めるがくぽに、マスターがさらに「アクセサリー」を手渡す。

「…………マスター、これは……」

「あれ、着け方わかりませんか。頭にぽんと乗せるだけでいいんですけど」

「………」

がくぽは諦めて、渡されたそれを頭に「ぽんと乗せ」た。

「あ、もしかして……」

固まっていたカイトが、瞳を見開いた。

マスターは笑って、がくぽへ向かってひらひらと両手を振る。

「今年のがくぽさんは、オオカミ男ですよ~」

「やれやれ……」

頭に乗せたのは、「いぬ耳」だ。おそらくマスターには、「イヌじゃありません、オオカミですっ!」と返されるだろうが。

毛皮のコートはそのまま、「体毛」のつもりなのだろう。フェイクだろうが、かなりふわふわもこもこした感触だ。

「オオカミ男がくぽさんがいれば、魔王カイトさん、百人力☆」

「わぁいっ!!」

「……」

カイトが無邪気に歓ぶ。

がくぽは軽く天を仰いだ――さっきカイトは大阪府民をして、勇者百万人前と言っていなかっただろうか。

がくぽが百人力でも、大阪府民は百万人力。

桁が違い過ぎる。

「というわけで、カイトさん、最後の仕上げをよろしくです☆」

「え、最後の仕上げ?」

きらきらの笑顔で見たカイトに、マスターはごつい革の首輪を差し出した。

「オオカミ男がくぽさんは魔王カイトさんの飼い犬ですから、ご主人様が首輪をつけないと」

「え」

「…」

固まるカイトに対し、がくぽは目を眇めて、にっこにこ笑うマスターを見た。

オオカミとか言っておきながら、飼い「犬」。一貫しない。

しかし今のところ、それは結構どうでもいい話題のはずだ――

カイトはおそるおそるとがくぽを見上げ、きょとりと首を傾げる。

ダークな化粧もしているし、曲がり角で尖り耳で、牙もある魔王だ。

なのに可憐に見える。

自分も大概やられているな、と思いつつ、がくぽはコートの首元を広げ、わずかに屈んだ。

「ほら、カイト」

「え、え……」

差し出されて、カイトはわずかに身を引く。

そのカイトへ、がくぽは蠱惑的に微笑んだ。

「お主以外になど、着けさせぬぞお主の手で、俺を捕まえろ」

「ぇ、や、あの………」

「はいカイトさんでは私は、リンさんとレンさんのお支度に行きますからね~♪」

笑顔のマスターがカイトの手に首輪を押しつけ、リビングから飛び出ていく。

あれはわかったうえでやっているな、と思いつつ、がくぽは溶け崩れそうになっているカイトを蠱惑的に見つめ続けた。

「カイト……」

「ぁ、あ、ふぁや……っ」

手の中の重量と、差し出された白い首と。

カイトはしばし惑乱してから、そっと手を伸ばした。がくぽの首に、首輪を嵌める。

「………痛くない?」

「大丈夫だ」

チョーカーではない。あくまでも「首輪」だ。

一気に妖しさが跳ね上がったがくぽに、カイトは困ったように視線を移ろわせた。

「な、なんか、がくぽ………うれしそう………」

「お主の『飼い犬』だろううれしいぞ?」

「ええ………っ」

しらりと吐かれて、カイトはわずかに引く。その腰を、がくぽは素早く掴んで引き寄せた。

コートの下は素肌だ。

触れた感触に、カイトは真っ赤に染まり上がった。

「お主のものだということなら、なんでもうれしい。恋人であれ、飼い犬であれ」

「………がくぽって……」

つぶやいたカイトが、がっくりと胸に凭れる。

がくぽは愉しげに笑って、カイトの背を叩いた。

「…」

「カイト?」

「俺のもの、うれしーんだよね……」

「ああ。んっ?!」

ぼそりとつぶやいたカイトが、晒されたがくぽの肌にくちびるを当てる。そのままちゅく、と吸われて、がくぽは軽く目を眇めた。

まさか。

「………俺のもの印、つけとかないとね………こんなきれーな体晒して歩いちゃうんだから、ちゃんと俺のもの印つけとかないと、ひとが寄って来てしょうがないよね………!!」

「………カイト」

毛皮に隠れるか隠れないか、微妙な位置。

基本的に白い肌に、鮮やかに浮かび上がる、鬱血痕。

力強く言い切るカイトを宥めるように撫でながら、がくぽは堪えきれない笑みに顔を歪めた。