それは、埋まらない白。

白だけど、埋まらない。

埋まらないから、いつまでもいつまでも、空白。

空白と言う、白を埋めたい、白。

空白キャンバス

「んむー………」

リビングの窓辺、お気に入りの陽だまりの中、床にへちゃんと座ったカイトは、眉間に皺を寄せて考えこんでいた。

目の前の床に広げられているのは、パズル。

それも、柄も色もなにもない、白パズルだ。

ヒントらしいヒントもないから、あとはもう、ひたすらに忍耐と自分勝負。

パズルのほとんどのピースはまだ、山と積み上げられて己の居場所を探し中。

早く、きちんと正しい場所に嵌めてやりたいけれど、さて、どこが正しい場所なのか。

「んん…………っんっ?!!」

「くっらいわねー、あんた」

唸っていたカイトは、唐突に額に触れた冷たい感触に、ぱっと顔を上げた。

目の前には、いつの間に来たのかメイコと――

「あいすーーーっっvvv」

「はいはい」

きっらきらに表情を輝かせたカイトに、メイコは持って来た袋アイスを渡してやった。ここで焦らすような愚かな真似はしない。

したが最後、おそらく命の危機。

「アイスアイスアイスー♪」

渡された袋を破り、カイトは棒アイスを取り出した。

メイコが持って来たのは、真ん中で二つに割れる、昔馴染みのアイスだ。

「せっかくのオフの真っ昼間、やることが白パズルってカイト、あんた暗いわよ………ん?」

「ん!」

ぱきん、ときれいに真ん中で割ったアイスの片割れを、カイトはメイコへと差し出した。

しばらく瞳を瞬かせてから、メイコは素直にアイスを受け取る。

すとんと、カイトの傍らに座った。

「朝からやってなかった?」

「ぅん」

「やっぱり暗いわ」

アイスをぱくつくのに忙しいカイトの生返事を気にすることもなく、メイコは自分もアイスに齧りつきながら、パズルのピースをひとつ、取った。

ぱちん、と。

置いた、その場所に、ピースはきれいに納まる。

「……めーひゃん、やる?」

アイスを咥えたまま訊いたカイトに、メイコはパズルから顔を上げることなく、くちびるを歪める。

「いやよ。白パズルやるとか、どんだけ人生暗いのかって感じだもの。こんな究極の暇つぶし」

腐しながら、メイコはまた、ピースをひとつ取る。

ぱちん、置くその場所に、ピースは素直に嵌まる。

「………やったらいーのに」

「あんたの楽しみを取っちゃったらカワイソウでしょ」

笑って言い、メイコはアイスを齧る。適当に取ったピースを、深く考える様子もなく、置いた。

ぱちん、と。

素直に、並ぶパズルのピース。

「………楽しみじゃないもん。放り出されててかわいそうだから、俺が仕上げてあげようと思ってるだけだもん……」

アイスを齧りつつ、メイコの手を見つめ、カイトはぶっすりと膨れてこぼす。

弟の不機嫌など気にすることもなく、メイコは笑ってピースを取った。

「なぁに、他人のなのだれよ、こんなの買う暇人………ああ、わかった。どうせ、ミクでしょ。あの子、変なものを手当たり次第に買っては、放り出すものね」

しゃくり。

食べ切るアイスとともに、置かれるピースは、逆らうこともなく、隣のピースと手を繋ぐ。

埋まっていくパネルと、淀みのないメイコの手を見つめ、カイトもまた、最後のアイスを口に入れた。

ふいと瞳だけを上げて、言葉以上に楽しそうなメイコを窺う。

「…………俺、これ、ラボから持って来たの」

「………」

「大事なものだから、持って来た」

「……………」

メイコは応えないまま、パズルのピースを手に取った。

悩む様子も惑う様子もなく拾い出されたピースは、メイコが置いた場所を終の棲家と為すがごとくに、ぱちりぱちりと形を作る。

「…………カイト」

「うん」

パズルから顔を上げないままにメイコに呼ばれて、カイトもまた、真っ白なパズルへと目を落とした。

メイコはピースを拾い上げ、置いて行く。

「『忘れたくない』って、どんな感じ?」

ぱちり。

置かれるピースは、必ず定められた位置へと。

アイスのなくなった棒を齧りつつ、カイトはわずかに首を傾げた。

「……………くるしーかな」

カイトはぽつんとつぶやき、なめらかにピースを拾い続けるメイコの手の動きを追った。

「忘れられないのが、くるしくって。なにもかも、どれもこれも、全部捨てられなくて、どうやっても捨てる決心がつかなくて、ぜったいに忘れられないんだって」

かじかじと、カイトはアイスの棒を齧る。

メイコの手は、ひたすらにパズルのピースを。

「………でもいちばんくるしーのは、『忘れるんだ』って、思うことだったよ。笑顔とか、感触とか、言われたこととか、全部ぜんぶ忘れるんだって思ったら、それが、『忘れられない』より、ずっとずっとくるしかった」

「………」

メイコの手は止まり、ふたりはひたすらに真っ白いパズルを眺めた。

下に敷かれたパネルも白なら、上に並べられていくパズルも白。

どこまでもどこまでも、白く、白いまま。

しばらく沈黙が続き、メイコはようやく新しいピースをつまんだ。

しかし、それをどこに置くでもない。小さなピースを指先で弄び、静かな瞳で眺める。

「………じゃあ、カイト。『覚えてる』って、どんな感じ?」

次の問いに、カイトは軽く瞳を伏せた。

考えて、わずかにくちびるを緩ませる。

「『覚えてる』って、感じ」

言って、咥えていたアイスの棒を口から抜き取った。

「どこにいて、なにをしてても、傍にいるんだって、思う。傍にいて、俺はものすごく、がくぽのこと好きだなって、いっつも思う。あれも好きだな、これも好きだなって思って、そのうち、ホンモノに会いたくなって、寂しくなるから、――『覚えてる』って、タイヘン」

メイコはパズルのピースを掲げ、日に透かして眺めた。

眩しさに瞳を細め、鼻を鳴らす。

「ノロケられたわ………」

「だって俺、がくぽのこと忘れたくないから、『覚えてる』を選んだんだもん」

「くそう、ぬけぬけと………」

口汚く罵り、メイコはパズルのピースをパネルに置いた。

ぱちん、と。

位置が定まる、ピース。

ひとつとして外れることなく、はぐれることもなく、メイコが置くままに。

「めーちゃん」

「あたしはわかんないわ」

なにを言われないうちから、メイコは吐き出す。

新しいピースを取ることなく、ほんのわずかな間に三分の二ほどが埋まった白いパズルを見つめた。

「あんたこれ、ラボから持って来たって言ったわね」

訊かれて、カイトは素直に頷く。

「うん、そうだよ。大事なものは持って行っていいって言うから」

「どれだけ覚えてるの、ラボにいたときのこと」

畳み掛けるように訊かれ、カイトはパズルに目を落とした。

「………ぜんぶ」

「………」

答えて、カイトはつまんだままのアイスの棒をくるくると小さく回した。

「ラボにいたときのことは、ぜんぶ、覚えてるよ………初期化しちゃったあとのことだけだから、そんなにいっぱいじゃないけど。でも、ぜんぶ、覚えてる」

「………記憶容量が食われるでしょう」

ぽつりと、メイコはつぶやく。

カイトはさらに瞳を伏せ、メイコからほとんど顔を背けた。

「でも、めーちゃんが忘れたから。俺は、忘れちゃだめだと思って。せめて、起きたあとのことだけでも、覚えてないとだめだと思ったから」

「なにを」

斬りつけるような鋭さで訊いたメイコに、カイトは顔を向けた。

顔を上げていたメイコと目を合せると、静かに吐き出す。

「めーちゃんが、どんなにかマスターのこと、好きだったかってこと」

「………」

揺らぐ瞳を意思の力で押さえつけるメイコを、カイトは静かにしずかに見つめる。

「ううん。めーちゃんが、『マスター』じゃないマスターのこと、どんなにか好きだったかってこと………『マスター』だから好きだったんじゃない、『マスター』じゃなくても、マスターのこと、大好きだった」

「………」

「…………その、『好き』をぜんぶ、めーちゃんは忘れたから。だから、俺が覚えてないといけないんだって思った。マスターは、必要ありませんよって言ったけど」

言ってから、カイトは再び瞳を伏せた。

真っ白いパズルを見つめ、メイコが埋めて行ったピースを正確になぞる。

「………『マスターだから好き』は当然だよ。ロイドだもん。でもめーちゃんは、『マスター』じゃないマスターのこと、好きになった。俺にはそれがとっても不思議で、すっごく大事なことだと思えた。大事なものは持って行っていいよって言われたから、じゃあ、この記憶だけはぜったいに持って行こうって思った。そのほかのことは忘れても、捨てちゃっても、それがいちばん大事だから、ぜったいに」

言い切ると、カイトはくちびるを緩めた。

ふいと顔を上げると、パズルを見つめるメイコへやわらかに微笑む。

「でもがくぽのことのほうが大事になっちゃったから、がくぽのこと、ぜんぶ覚えてて、忘れなくていいようにした。それだけ」

「…………………結局最後はノロケかい………」

メイコは根暗くつぶやき、自分が組み立てて行ったパズルへと手を伸ばした。

ぐしゃりと、ピースを掴む。

三分の二ほどが出来上がっていたパズルは、すべてのピースがばらばらに解き放された。

形を失くして露わになった真っ白なパネルと、そこにあえかな陰影を作るピースの山。

メイコはピースのひとつをつまむと、かりりと爪を立てた。

「わかんないわ、カイト。あたしには、わかんない――『忘れたくない』より、『忘れなくちゃ』って声のほうが大き過ぎて、『忘れない』ことを考えると、気が狂いそうだわ」

吐き出したメイコの瞳から、ひとしずく、惑いがこぼれて流れ、落ちて消えた。