必需品。
首輪。
リード。
たおやかな風切り羽
「……それとも、手錠か………………?」
眉をひそめて生真面目につぶやき、がくぽは自分のアイディアを真剣に検討した。
しかし総じて言うと、いくらシミュレーションをしようとも――
「あ、みかん」
「待て、カイト!」
ふとつぶやいたカイトが、くるんと体を反す。がくぽは咄嗟に、さっさと道を渡っていこうとする襟をマフラーごと、鷲掴みにした。
その目と鼻の先を、通り過ぎていく車。
――首輪をしたいのも、リードで繋ぎたいのも、手錠を掛けたいのも、カイトだ。
仮にも人型ロイド、そんなことをしようものなら、本物の手錠ががくぽの――管理をする、マスターの手に掛かる。
そうなった場合、メイコがどれほど怒り狂うか。
想像だけで背筋が凍えるが、今まさに現実として、背筋が凍えたところでもある。
「…………ふゃ」
「カイト」
きょとりと瞳を瞬かせるカイトに、がくぽは苦い声を吐き出した。
「道を渡るときは、右見て左見て右見て永遠に右見て左を見ろ!!」
「終わりがないの?!」
ぎょっとしたように振り仰ぐカイトを、がくぽは声と同様に苦々しい表情で見返す。
「お主はそれくらいで良い」
「ええ?!」
「『ええ?!』ではないわ!幾度、車に轢かれかければ気が済む?!」
「ぅ……………と」
怒られてももっともで、それ以上に反論もなく、カイトは気まずく視線を彷徨わせた。
がくぽが来た当初は、こうまでではなかった。
本人曰く、「がくぽのこと、ちゃんと目的地に案内しなきゃって気を張ってたから」らしい――
しかし一年も過ぎ、がくぽが近所の地理に精通すると、カイトは『本性』を現した。
まっすぐ歩けないのだ。
歩かない、のではない――と、がくぽはここまで来ると、結論した。
歩けない、のだ。
いっしょに歩いていて、カイトがなにをどう見ているのか、がくぽにはさっぱり追えない。
自分より背の低いカイトの目につくものなど、がくぽにも必ず見えているはずなのに、なにをどう視界に入れているのかがわからない。
わからないままに、カイトはふと、「あ、××」とつぶやき、気の逸れた場所へと方向転換してしまう。
それも、迷いも躊躇いもなく、即座に。
会話の繋がりもない。
目についたもののほうへ、ふらりと。
いや、ふらりなどという生易しい表現では足らない――すっぱりと。
目的地と正反対だろうが、すでに何時間彷徨っていようが、関係はない。
目についた、気が惹かれた、それがすべてだ。
すぱっと曲がり、すぱっと道を渡り――
「……………お主が買い物当番のときに、だれかと必ず組にされているのが、常に疑問ではあったのだが………」
「…………ぇへ?」
「えへ、ではない」
「はーい………………」
食事当番やら掃除当番、もろもろ当番制で回している家だが、二人一組で行動することが常態となっているリンとレン以外、基本的にはひとりで請け負う。
カイトだとて例外でなく、食事当番や掃除当番といったものは、ひとりで分担している。
しかしどういうわけか買い物当番だけは、必ず家族のだれか――その日に時間がある者と、組まされていた。
理由は定かではないが、メイコとだけは組まされない。とはいえ、推測は成り立つ――メイコとカイトは好物に対して見境がない。
二人きりで買い物に行けば間違いなく、酒とアイスだけで買い物袋を膨らませる。
メイコはこの家において、頼りがいのある絶対的家長だが、たまにびっくりするような抜け方をしていることがあった。
だから強権的であっても愛されるんですよ、とはマスターの弁だ。
そのマスターは、カイトを必ずだれかと組ませてではないと外出させない理由を、しらっと答えた。
「迷子防止です。迷子というか、遭難防止、ですかね。あとは事故防止と、まあとにかく、いっしょに出かける人は、相応の覚悟が要ります」
初めてカイトが本性を現した日、帰宅するや動揺のままに迫ったがくぽにも、まったく悪びれることがなかった。そういう人だ。
そこで初めて聞かされたことによれば、カイトは放っておくと気が向くままに歩き回り、一日、家に帰って来ないこともあるのだという。
何度かは車に轢かれかけ、もしくは軽い接触事故などもあり、結局、監視付きでないと外出不許可となった――これが仕事に出かけるとなると、モードが切り替わっているために、大丈夫らしいのだが。
まずいのは、私用でのお出かけ。
「…………腰を抱くのは、祭りだから出来る荒業だしな………手を繋ぐのも、近所の者なら理解もあろうが…」
「えと………」
襟首をつまんだまま、恋人としての色気も皆無でぶつくさとこぼして考えるがくぽに、カイトはそわりとした声を上げた。
「がくぽ、みかん………」
「…………………」
「…………………………みかん」
反省もない。
きろりと睨み下ろしたがくぽに、一応首は竦めつつも、カイトは懲りることなく言って、渡ろうとした道の先を指差した。
指差されるままに見たが、『みかん』らしきものは目に入らない。
訝しく瞳を眇めたものの、がくぽはとりあえず、道の両端を見て、車通りがないことを確かめた。
住宅の密集する、近所の生活道路だ。基本的にはあまり車は通らない。それでも先のように、たまに走ることがあるから油断がならないのだ。
「どこだ」
「ん!」
訊きながら、襟から指を離す。
うれしそうに頷いたカイトは、ぱっと走って道を渡った――右も左も見ない。言ったばかりだというのに。
「………小学校………いや、幼稚園の子供交通安全教室………………」
ぶつくさとつぶやきつつ、がくぽも後を追う。
「みかん!」
「違う!」
ぴた、と立ち止まったカイトが指差したものを見て、がくぽは即座にツッコんだ。
カイトが指差していたのは、個人宅の植木だ。柚子だった。
「これは柚子だ。色も形も違おうが!」
「え、違う?!」
「違おうが!」
カイトは本気で目を丸くしている。だから、本心から柚子をみかんだと思い込んでいたと――とはいえなぜそれで、急に走り出す。交通安全もすっ飛ばすほどに、気を取られて。
「香りだとて、柚子とみかんでは違うだろう?」
「………………じゃあ、…………グレープフルーツ?」
どうしてそこで、グレープフルーツが出てくるのか。
「だから、柚子だと言って………」
「あ、オルカ!」
「こら、待て!!」
外に出たカイトは、常に気もそぞろだ。
恋人とお出かけしているということも、意味を持たない。
なにを見つけて、どう走り出すか、次の行動がさっぱりわからない。
マフラーごと襟首を掴み、それだけでは足らずに体を抱きこんで、がくぽはカイトの頭に顎ちょっぷを落とした。
「ぃたっ」
「どうしてそうも、落ち着きがない?!」
「ぅう~………」
抱えこまれて叱られ、カイトは小さい子供のように呻く。
軽く涙目でがくぽを振り仰ぐと、ぼそぼそとつぶやいた。
「だって外って、いろいろなものがあるんだよ………好きなとこに、好きなように行けて、なんでも見たいもの、見られるんだよ…………どきどきわくわくするでしょ?見られるだけ見たくなるでしょ?」
「………」
苦虫を噛み潰したような顔になるがくぽの腕に、カイトはそっと手を添わせた。
「それにがくぽといっしょだと、知らないもの、なんでも教えてもらえるんだもん………もっとたのしくなっちゃう」
「……………………」
起動年数は、カイトのほうが長い。がくぽなどより、遥かにずっと。
それでも――
「ねえ、がくぽ………オルカ。オルカいる……」
「…………」
懲りることなく強請るカイトを抱く腕に、がくぽは一瞬だけ力をこめた。
一瞬後には思い切って、腕を離す。
「どこだ」
「んっとね!」
再びきらきらと輝く笑顔になったカイトに、がくぽは腰に下げた時計を示した。
「ただし付き合うのは、あと一時間だぞ!すでに、二時間も彷徨っておるのだ!そろそろ買い物を済ませて帰らねば、夕飯の支度に間に合わん!」
「うん!」
頷いているが、本当に聞いているのかどうかはわからない。
弾む足取りで先へと駆けていくカイトを追いかけつつ、がくぽは眉をひそめた。
「………………やはり、GPS付き首輪に、リード………」
そんなことをすれば、マスターが――なにより、自由を謳歌するカイトの、その自由を奪うことになる。
奪いたくはない。自由ままにさせてやりたいが、身の安全もまた。
先へと走っていたカイトが、ふいにくるんとがくぽを振り返った。
「がくぽだったら、いーよ!」
つぶやきは小さかったはずなのに、どう聞こえたものか。
「だって俺の行きたいとこ、ぜったい行かせてくれるもん!」
「………その首輪とリードに、意味はあるのか……?」
きらきらしい笑顔で手を振るカイトに、がくぽは肩を落とした。