「はい、がくぽ。茄子の鴫焼き、すっごくおいしくできてる!」
「ん。………ああ、本当だ。美味い。ん、カイト。こっちの、スペイン風オムレツ。好きだろう、ほら」
「ぁーんっ…………んんっ、おいしい!めーちゃんの作るこのオムレツ、俺、大好きっ!」
「そうだな、俺も好きだ。………カイト」
「あ、うんっ。はい、あーん、ねっ」
「あー」
ハナミノノミ
家の中から酒瓶を持って来たメイコは、徳利に注ぐことなく直に猪口に注ぐと、かぷりと一口で空けた。
そのうえで、庭に敷いたシートにどん、と酒瓶を置き、思いきり鼻を鳴らす。
「常々つくづくと思うけど………隣の家の庭に桜があって、よかったわよね!」
「そうねー。自分ちの庭で、家族だけでのんびりとお花見が……」
こちらは徳利に注いである酒を猪口に移してちびちびやっているマスターが、のんびりと同意する。
そのマスターに、メイコはきりりと眉を吊り上げた。
「違うわよ!!こんのTPOど忘れるばか弟どもを連れてじゃあ、外に花見になんて行けないわねって話をしてんのよ!!」
「んっ、え、めーひゃ?」
ちょうど、がくぽが差し出した箸を咥えたところだったカイトが、叫んだメイコをきょとんと見る。
するりと箸を抜き出してもぐもぐと中身を咀嚼して飲みこみ、再び首を傾げた。
「えっと、めーちゃん?なんか怒ってる?」
「『なんか』!!」
問いに、メイコは呆れたように叫んだ。
隣家には、立派な桜の木が植わっていた。それがちょうど、この家との境のところで、庭にシートを出して花見が愉しめるようになっている。
何本も何本もあって、吹雪に撒かれているのももちろんいいが、一本だけでも十分に風情があるのが、桜だ。
そのうえここなら、家族だけでのんびりゆったりと花見ができる。
つまみが足りなくなったらちょっと立って、すぐに家の中からなにかしら取って来ることも、可能。
大勢の客に紛れて四苦八苦し、時に酔漢に絡まれていやな思いをし、そしてへとへとに疲れ切って家路につく――という、一連の行事がまったく必要ないままに、春を謳歌出来るのだ。
利点ばかりにしか思えない自宅で花見だったが、一応、問題はあった。
がくぽとカイトだ。
垣根があって見えにくくはなっているとはいえ、庭だ。
外だ。
だが、家でもある。
気がだるだるに緩んでいるのか、それともこの程度は大したことがないと思っているのか、庭に敷いたシートに並んで座った二人は、ひたすらずっと、いちゃいちゃきゃっきゃと、食べさせっこを続けていた。
ものすごく自然に、不自然だ。
「――ああ、なるほど。言ってくれれば。いや、私の気が利かないのね。私としたことが、なんたる失態!はいメイコさん、あーん」
「違うっっ!!」
自分が飲んでいた猪口を口元に持って来たマスターに、メイコは思いきりツッコむ。
そのメイコに、むしろ兄たちのいちゃいちゃぶりを肴にネギ焼きを食べていたミクが、軽く手を振った。
「いやいや、素直になっときなって、めーちゃん。なんと今なら、間接キッス。ひゅうひゅう」
「ミクっ!!」
至極真面目な顔で冷やかすミクに、メイコは顔を真っ赤にして叫び、マスターの方は、こちらも真顔で手を振った。
「いえ、ミクさん。さすがに、自分が口を付けた方は差し出しませんよ。ちゃんと綺麗なとこです」
「きゃーっ、マスター、紳士!じぇんとる!!」
「まじで?リン、それまじで?」
やんややんやと囃したてるリンに対し、その相棒のほうはわずかに体を引いている。
マスターは政治家のように手を挙げてリンの声援に応え、真っ赤な顔でぶるぶる震えているメイコと、きょとんとして騒ぎを見ているカイト、そしてしらっとした顔をしているがくぽへと、視線を流した。
カイトは天然だが、がくぽは多少、作為的であると知れる。
「まあしかし、花見ですよ」
わかったうえで、マスターはメイコへと愉しそうに猪口を揺らしてみせた。
「ここで『無礼講』の言葉を使わず、どこで使うと。たとえ外であろうとも、『花見』の言葉ですべての事象が誤魔化せる、YEAH、わんだふるニッポン」
「どこの国の似非日本通よ!」
最終的に怪しいニホン語で締め括ったマスターに律義にツッコんでから、メイコはきょときょとしているカイトと、微妙に自分とは目を合せないがくぽとを見比べ、ふっと笑った。
いくつか積んであった新しい猪口のひとつを取ると、がくぽへと突き出す。
「まあいいわ。無礼講ね!!無礼講だってなら、あたしの酒を飲みなさい、がくぽっ!!」
「貴殿はニホン語を一から学び直していいと思うぞ、メイコ殿………」
生き生きと、というより、もはや眩しいほどにきらきらと輝く笑顔で言うメイコに、ぶつくさと腐しつつも、がくぽは断ることなく猪口を取った。
飲めないわけではない。飲んでも酔うわけでもなく、特に変化があるわけではないから、特に好んで飲むこともないだけだ。
「あ、ぶれいこーだっていうなら、ボクも」
「「「「未成年の飲酒は無礼講に含まれません」」」」
積んである猪口のひとつを取って強請ったミクに、年長組四人の声がきれいに揃った。
さすがに押されて、ミクは傍らのリンへと身を寄せる。
なんだかんだ言って甘やかされるだけなのがリンだが、そのミクの頭はよしよしと撫でて慰めてやった。
「いや、みせーねんって……ロイドに。んなこと言ったらボクもリンちゃんもレンくんも、一生未成年だってば」
「うんうん。でもリンは別に、お酒のめなくてもいーから、気にしない!」
「あー………俺は、影でこっそり飲めるほうが楽しいから、気にしない!」
ぼやくミクを、リンは素直に、レンは年頃少年らしく一部問題がありつつ、宥める。
拗ねた妹を気にすることなく、メイコは酒瓶を持つと、がくぽの猪口へと傾けた。銘はそのものずばりで、『桜』だ。
「桜の味なの?」
透明なガラス製の猪口に注がれた酒は、ほのかに薄紅色――まさに、桜の色だ。
興味を惹かれて身を乗り出したカイトに、口をつけたがくぽはわずかに笑った。
「いや。………おそらく、香り付けは多少、してあるが……」
「あんたは飲むんじゃないわよ」
がくぽが言い終わるより先に、メイコが釘を刺す。
体を戻したカイトは、自分も成人している、と主張することもなく、素直に頷いた。
「うん。飲まない」
「………」
膨れることもないカイトを、がくぽは横目に見る。
カイトは、酒癖が悪い。――いや、KAITOシリーズは、と言おうか。
がくぽなどのいわゆる新型機には、酒酔いの機能がついていないが、メイコやカイトといった旧型機には、酒酔いの機能がついている。
MEIKOシリーズは酒が好物なだけあって、ごく普通の酔い方をする。
一方のKAITOシリーズは――誰が考えたどういうお遊びなのか、非常に、性質の悪い酔い方をした。
おっとりぽややん、穏やかほんわり和み系、というのが、いわばKAITOシリーズだ。スペックの低さのみに因らず、非常にのんびりしているのが、いつもだ。
しかし酔うと、豹変する。
性格というかもう、人格から入れ替わっているレベルで。
その間、恐怖政治を敷くことも多く、酒を飲んだKAITOシリーズは、多くのものにトラウマを量産しているのが常だ。
カイトもまた例に漏れず、悪酔いする。がくぽが経験したのは一度きりだが、弟妹の怯えようたるや尋常ではなく、過去になにかしら、大魔王に変貌したことがあるのだろうな、との予測はつく。
カイト自身、記憶を失うでもなく、迷惑をかけたことをきちんと覚えていて、特に好きな味でもないからと、酒を飲みたいとごねることもない。
むしろ普段は、ひどく注意深く避けている。
「かい………」
「あ」
口を開きかけて、がくぽは猪口を見た。カイトも、小さく声を上げる。
空けた途端に即座にメイコによって新しいものが注がれたそこに、桜の花びらがちょうどよく一枚、落ちたのだ。
「おお。正統的花見酒ですね!」
マスターの叫びに、『未成年の定義とは』という、なにやら妙にお堅い議論を交わしていた年少組も、ぱっとがくぽの方を見た。
わずかに猪口を傾けて中を見やすくしてやったがくぽに、ミクとリンは腰を浮かせる。
「いいなあ!それ、リンもやりたい!」
「もうこの際、ジュースでいいし!!花びらちらり、欲しい!!」
「っていうか、サイダーなら、お猪口でちょっとお酒っぽくない?!」
「ナイスだよ、リンちゃん!そのアイディアで行こう!!」
妹たちは口々に叫ぶと、積まれていた猪口にサイダーを注ぎ、隣家のほうへ向かって差し出した。桜があるのは、隣家だ。花びらももちろん、そちらからやって来る。
レンの方は年頃少年らしく、口に出して羨ましいとは言わない。
言わないが、そわそわしながら姉たちに倣い、猪口を取ってサイダーをこそっと注ぎ、微妙な感じにうろうろと彷徨わせた。
「そんな、猪口掲げてうろうろしてたら、風情もなんにもないじゃない。自然に入るからこそ、意味があるんでしょうに」
腐しながらも、メイコも桜の木を見上げた。鋭い瞳で、花びらの行方を追っている。
「公園とか、たくさん桜があるとこでなら、簡単なイベントなんでしょうけどねえ」
マスターのほうは気にすることなく猪口に口をつけつつ、カイトへと桜酒を見せるがくぽへ素早く釘を刺した。
「がくぽさん、無礼講ですけど。キスはナシの方向で」
「それくらいは弁え………」
言い返しかけて、がくぽは口を噤んだ。
すぐに視線を桜にやってしまったマスターだが、たとえ見られていてもいなくても、ぼやき続けられない。
外では大人しく、外では行儀よく、――という、諸々のことを頻繁にすっ飛ばしているのは、カイトよりがくぽだ。
夜だから暗いから、人気がないから見られていないからと、かなり好き放題にやって来た前科がある。
もちろん、だからいいだろうと開き直ってやったわけではなく、堪えも利かずにどーんがばちょ、と突然切れて――
ある意味、開き直って作為的にやるより、性質が悪い。
抑えが利かないと、はっきり言っているからだ。切れる場所とタイミングによっては、惨事を免れない。
言い訳もなくなって、がくぽは気まずく猪口を口に運んだ。
「ね。今度は、さくら味?」
カイトのほうが気を遣って、やわらかに微笑んでそんなことを訊いてくれる。
がくぽは猪口を当てたくちびるを苦笑に和らげ、花びらの浮かぶ酒を啜った。視覚的効果に味覚が騙されている気はするが、桜味になったような感はある。
「ああ。……………あ。カイト」
「ん?」
桜味になった、と笑って頷いてから、がくぽはふと瞳を見開き、カイトへと手を伸ばした。
きれいな青色の髪に、飾りをつけるように花びらが乗っている。
「………ほら」
「あ」
やさしく梳いて花びらを取って見せたがくぽに、カイトはぱっと頭に手をやった。
それからふっと笑うと、口をぱっかり開ける。
「あーんっ」
「っ」
ぱくん、とがくぽの指ごと桜の花びらを口に入れると、もごもごと転がして、へにゃんと笑った。
「んっ!桜味っ。ねっ」
「………」
花びらの消えた指先を見つめ、がくぽは家族の様子を素早く窺った。
そこそこ散っている花びらだが、うまく猪口に落としこむのはかなり難しい。きょうだいたちはなにやら花見ではなく、ゲームに興じているようになってきている。
マスターは参加していないが、誰がいちばんに『花見ジュース』を完成させるか、ずっとその様子を眺めていて――つまり、誰も、がくぽとカイトに気をやっていない。
さらに素早く、がくぽは周囲の状況を探った。
垣根の外に、他人の気配はない。隣家は今日、全員が出掛けている――からこそ、多少騒いでも大丈夫だと、花見を敢行したのだ。
つまり、がくぽとカイトに気をやっているものは、ひとりもいない。
「がくぽ?…………っぁ………っ」
ほんのコンマ数秒でその状況を読みとったがくぽは、躊躇いもしなかった。
笑うカイトのくちびるにくちびるを寄せ、軽く触れる。驚きに開いたそこに舌を差しこみ、わずかに舐め辿って、素早くくちびるを離した。
「確かに、桜味だ」
にんまり笑って、くちびるをちろりと舐める。
カイトは一瞬で爆発したように真っ赤に染まり、口元を押さえた。
「っ、ぁ、がく………っ」
「ああ。…………ん?」
真っ赤になってなにか言いかけたカイトが、一度俯く。
再び顔を上げると、その瞳はいつもよりもわずかに鋭さを増し、離した手の下のくちびるは、愉しそうに歪んでいた。
「…………ワルイコだね、がくぽ?キスしちゃだめって、マスターに言われたでしょ?」
「………………………………………………………」
珍しくもきょとんとして、がくぽは滴るように話すカイトを見た。
キスだけだ。
酒を飲んだ直後の舌を入れたが、飲ませたわけでもない、ほんの軽いキス――で。
「カイト。……………………………酔ったのか、お主」
「んっふ!」
呆然と訊いたがくぽに、カイトはいつもとは違う、ひどく仇っぽい笑いをこぼした。
ひょん、と手を挙げると、堂々宣言する。
「はぁいっ♪シラフだと思ったら、おーまちがいっ☆カイト、酔ってまぁあすっ!!」
「んなにぃいいいいっ?!!!」
叫んだのは、がくぽではなかった。花見ジュースゲームに興じていたミクだ。反応の素早さは、さすがに家随一のツッコミと言おうか。
「え、なんで?!ちょ、この一瞬にナニがあったの?!!」
続いたメイコの叫びはこの場合、家族全員の代弁だ。
しかし『酔っ払った』カイトが答えるわけもなく、そのカイトに『ロックオン』されたがくぽのほうも、答える余裕はなかった。
にっこり艶やかに笑ったカイトは、呆然としているがくぽの首に手を掛けると、ぐいぐいと膝に乗り上がってくる。
ほとんど反射で膝に座らせたがくぽへ、カイトは遠慮なく腕を回して擦りつき、熱っぽく潤みながら上目遣いに見つめてきた。
「がぁくぽ。お酒。飲ませてっ」
「………」
がくぽはわずかに戸惑い、マスターを見た。
酔っ払うと面倒だから飲ませるな、というのが、そもそもだ。今のようにすでに酔っ払った場合、さらに酒を飲ませていいのか、それとも少なければ少ないだけ、早く抜けるのか――
なにかしら、救いを求める子犬のような瞳になったがくぽに、マスターは軽く首を横に振った。
「諦念が救いとなるときもあります」
つまり、一度酔っ払ったら、あとはどうでも同じ、と。
やらかした、と微妙に反省に駆られたがくぽの首が、きゅっと絞められた。カイトだ。
「がぁくぅぽっ。ダレ見てるのっ!お・さ・けっ!のませてっ!」
「………」
べっと舌を突き出して、強請られる。
こんなときだが、その舌を咥えたい欲求を押さえつつ、がくぽはメイコがそっと差し出して寄越した徳利を取り、猪口に新しい酒を注いだ。
そして、カイトの口元に運ぶ。
が。
「……………」
「……………」
くちびるを引き結んだままのカイトに怖い目で睨まれ、がくぽは猪口を引いた。
酒を飲ませろと、言っている。猪口に入っているのは、間違いなく酒だ。
だというのに、拒む。
理由として考えられるのは、がくぽの使い差しの猪口など嫌だ、というのと――
「がぁくぅぽ。お酒。のーまーせーてっ」
「………」
強請られて、がくぽは猪口を自分の口に運んだ。
ひと口含むと、カイトの後頭部を掴み、わずかに上向けさせる。くちびるを塞ぐと、口の中でわずかに温くなったそれを舌を差しこんで送った。
「ん………っふ、んく………っ」
文句も抵抗もなく、カイトは甘い声を上げながら咽喉を鳴らす。
がくぽが注ぎ終わってくちびるを離すと、ほわんと頬を染めて、愛らしく笑った。
「ん、おいし………っ。もっと。飲ませて………」
「……………」
視界の端でメイコが頭を抱えているのが見えたが、このカイトに抵抗して勝てる気がまったくしない。
がくぽは素直そのものに大人しく、猪口に残っていた酒を含んだ。そして、ひな鳥のようにくちびるを開いて待つカイトに口づける。
「んく………っん、んく………っ」
カイトは咽喉を鳴らして飲みこみ、がくぽへと身を擦り寄せる。
「もっとぉ………」
「……………」
がくぽの一部局所が、おうちにはいりたい、と主張していた。
微妙に当たるそれがわからないではないはずなのに、カイトは一向に遠慮しない。
訴える目のがくぽを陶然と見つめ、べろりとくちびるを舐めた。
「俺はお酒、飲みたいの。いい、がくぽ?お・さ・け・がっ、のーみーたーいーのっ」
「……………」
言い張られて、がくぽに抵抗する術もない。
諦めたがくぽは徳利から猪口へと酒を注ぎ、さらにそれを自分の口に含んで、カイトのくちびるにくちびるを重ねた。
「ねえ、ちょっと!いくら庭でも、さすがにっ!!」
マスターへと小さな声で叫ぶメイコの傍らで、リンはレンに羽交い絞めにされていた。
「レンっ、はなして………っ。リン、リンはっ、ほーどーに携わる者としてっ」
「こんなとこで命張るなよっ!!酒飲んだにぃちゃんを写真に残そうなんてしたらっ!!」
「命張る価値はあるじゃないっ!レン、お願いっ、撮らせてぇええっ…………」
「ぅうう、リンちゃん………なんたる立派な報道魂!骨は拾うからね。あと、もし万が一撮れたら、焼き増しお願いね」
格闘する双子の横で、ミクが架空の涙を掬う。
「マスター!」
いくら家でも、庭だ。
外だ。
叫ぶメイコに、マスターはこっくり頷いた。きっとして、メイコを見る。
「こうなったら、私もっ!!なんですか、つまり一組しか酔っ払いがいなかったら目立つけど、二組いれば的超理論でっ!!」
「んっきゃぁああっ、違うっ!!おばかっ、ちがうっ!!ちょ、酔っ払ってんじゃないわよっ、い、ぃやぁああんっ!!」
完全に酔っ払いの据わった目で伸し掛かって来たマスターに、メイコが上げた悲鳴はいつもと違って、ひどく甘かった。