「結局のところ、屋根には上がれないのですよね」
「そうね。上がれないっていうか、上がらせて貰えないわね」
マスターとメイコが仲良く総括し、傍らに座るがくぽへと横目を流した。
はっぴー・にゅー・ぱぱいやー
『マスター』と、絶対的家長からの横目だ。威圧が並ではない。
しかしことこれに関して、がくぽがへこたれたり、節を曲げたりすることはなかった。
むしろ胸を張り、きっぱりと言い切る。
「当たり前だ。酒酔いで屋根など、どこのとんちきだ」
「ちっ」
――舌打ちを漏らしたのは、メイコだ。
それほど屋根に上ることが好きかというと微妙だが、禁止されると反発したくなる。ある意味、素直な反応だ。
年末も大晦日、その夜だ。
家族全員揃って年越しそばを食べ、しめやかに一年を締め括る――
などという殊勝さはないのが、直前まで働き詰めだった芸能従事者たる、この家族だ。
年越しそばを先付けに、忘年会へと突入した。毎年のことだ。
とはいえ、この家で酒を嗜むのはマスターとメイコだけだ。がくぽも時に相伴するが、この三人には大きな隔たりがある。
酔うか酔わないかだ。
新型であるがくぽに、酒酔いの機能はなかった。いくら飲んでも、ジュースやお茶と変わらない。
甘いと辛いのどちらを好むかという味覚の問題で酒を飲むだけで、アルコールがちらりとも影響することはない。
対して、人間であるマスターはもちろん酔っ払うし、酒が嗜好に組み込まれたメイコももれなく『酔っ払う』。
この家において年越しの恒例といえば、屋根に上ってのカウントダウンだ。
新年を迎えた瞬間に上がる花火が、屋根からうまい具合に見える。
花火に屋根に、気分の盛り上がりも最高の年越し――
が、諸事情あり、メイコとマスターは屋根で年越しをしたことがない。
その諸事情も、有耶無耶に片付けた。
というわけで、今年こそは家族全員揃って、屋根に――
「いいか、何時間飲んだあとに、年越しを迎えると思っている。へべれけもいいところだぞ!そんな状態で屋根など、どこのとんちきだとて、せんわ!」
「あーあーあー、もう、うるさぁいっ!!せっかくのお酒がまずくなるっ!!」
一升瓶をどんと置いて、いつもの説教をくり返したがくぽに、違う一升瓶を抱えたメイコががなり返す。
ちなみに宴会が始まるのは、某うた番組の開始と同時だ。
テレビの置かれたリビングに家族で集い、だらっと見たり見なかったりしながら、その間ずっと飲み続ける。少なくとも、マスターとメイコは。
十二月に入った時点で、二人は暮れと正月用の酒を日々買い求め、物置部屋に溜めていく。酒が揃い終わったところで、クリスマスのプレゼント探しだ――順番の色気のなさが、彼女たちの性格を如実に表している。
そうやって飲む気満々で迎えた、大晦日だ。
たとえがくぽの猛反対に遭おうとも、酒を飲まないという選択肢は存在しない。
酒と屋根なら、――
「まあ、二階の窓からでも、十分に見えますしね」
酒を啜りつつ、マスターは肩を竦めて夢のないことをつぶやいた。
ここのところで、がくぽに勝てたためしはない。なにより、自分の足腰の状態も自覚している。
言われるとおりのへべれけで、屋根に上るのが命とりだと判断できるくらいの冷静さもある。
徳利を経由することを止め、それぞれ一升瓶を抱えて睨み合いつつの飲み比べが始まったがくぽとメイコを見やり、マスターは軽く首を傾げた。
「しかし………こういうときのがくぽさんはちょっと、過保護なお父さんじみてますよねえ」
「おとう?!」
「ぶっひゃはははははははは!!」
マスターが漏らした、あまりといえばあまりな感想に、がくぽは目を剥いて絶句した。
対して、不機嫌の塊だったメイコは一転、身も蓋もなく爆笑する。
がくぽは微妙な涙目でメイコを睨み、そのままマスターを恨みがましく見た。
「誰が父親か」
「ちょっと言ってみただけなんですが、うちの父親そっくりですよ、そういえば。容姿はかけ離れていますが、そういうがっちりした考え方とか」
「ますたぁああ………っっ!」
「ひぁあっははははははは!!」
抗議したのにさらに泥沼に嵌められ、がくぽは壮絶に恨みがましい表情になった。
メイコは猪口を放りだし、床に転がってじたばたともがきながら爆笑だ――ここら辺のテンションは、すでに酔いがいいところに来ている証拠だ。
「がく、がくぽ、がくぽおとーさんvvvぁ、ぁひゃはははははは!!」
「呼ぶな!!」
笑い転げながらメイコに呼ばれ、がくぽは総毛立って叫ぶ。
誰に呼ばれても、絶対に呼ばれたくない相手というのはいる。
ミクやリン、レンならまだ、頭痛を覚えるくらいで堪えるが、普段から絶対的家長、強権的な長姉として振る舞うメイコに――
「わー、めーちゃんが爆笑!いくら年末でも……」
「リンたちがちょっと、おつまみ作りに行ってる間に、なにたのしいことしてるのぉ、マスター!」
そこにどやどやとやって来たのは、ミクとリンだ。後ろには、レンとカイトも続く。
この四人はいくら忘年会とはいえ、酒をまったく飲まないメンバーだ。必然的に、つまみを作るだのなんだのと、小用を仰せつかっては動かされる。
ミクとリン、カイトは新しいおつまみを乗せた盆を持ち、レンは両手にそれぞれ一本ずつ、一升瓶を持っていた。
「いえ、ちょっと………がくぽさんて、お父さんですよねーって」
「マスター!」
テーブルに盆を置いたリンに首へと組みつかれつつ、マスターは拗ね顔のがくぽへ猪口を振る。
がくぽは睨んだが、遅い。
「がっくがくが、………おとーさん」
「がっくんがパパ」
「ぇええー………最ばか兄がぁ………っ」
話の流れがわからないリンとミクはきょとんとした顔を見合わせ、話の流れがわからずとも、その役割分担だけで、レンはうんざりとつぶやいた。
そして、カイトは――
「がくぽ………が、…………おとー、さん……………」
新しいつまみの載った皿をテーブルに並べ、使い終わった食器を代わりに盆の上に置いていたカイトは、ぽつんとつぶやく。
「………がくぽが。……………っっ」
「マスター」
マスターからの仕打ちに子供のように拗ねていたがくぽだが、表情は一変、きりりとして彼女を見た。
「どういう反応だ」
「えええっ、私に振るんですか?!」
無茶ぶりもいいところだと、マスターは仰け反った。
話の流れがわからないまま、とりあえずつぶやいたカイトは、言葉が実感を伴うに従い、ぶわわわわと頬を赤くした。
単に赤くしただけではない。
もぞもぞもじもじと恥じらい、がくぽの顔もまともに見られなくなっている。
身も蓋もなく言ってしまえば、発情しているにも似た――
たまに悩ましいのが、カイトの反応だ。
がくぽが父親だという話で、どうして恥じらうのか。それも、激しく。
「まさかカイトに、そんな特殊性癖があったとは思わなかったわ」
「やめろ、めーこ!俺のにぃちゃんに、変な属性追加すんなぁ!!」
「ちょっと………っ」
爆笑の余韻から醒め、冷静につぶやいたメイコに、珍しくもレンが食って掛かっていく。本気で涙目だ。
すでにずびずびと洟も啜る末の弟の真剣過ぎる様子に、さすがのメイコも若干、たじろいだ。
頭痛が激しくなるのは、がくぽだ。
がくぽとしてもレンと同じく、メイコに食って掛かりたい。カイトにおかしな属性を付与するなと。
しかし現状、カイトの反応だ。
がくぽの隣に座ったカイトは、猛烈に照れながら、もじもじしている。
状況が状況なら、速攻で押し倒すほどにかわいらしい――状況が状況なら。
「カイト………」
「ぁ、ぅんっ、えと、ごめんねっ?!」
言葉にもならず、名前だけつぶやいたがくぽに、カイトぱっと顔を上げ、いきなり謝罪した。
謝らせたいわけでもないし、謝ることなのかも不明だ。
「カイト、その」
「ぅんっ」
うまく言葉にならないがくぽに、カイトはまたも俯き、膝の上に置いた両手をもじもじと組み合わせた。
「えと、がくぽがおとーさんになったら………きっと、すっごく子供のことかわいがる、いいお父さんになるんだろうなって………おもっちゃってっ」
「は?」
語尾にハートマークを飛ばしながらの、きゃーっという歓声が続きそうな、カイトの様子だ。
切れ長の瞳を見張ったがくぽに、カイトはうっとりと蕩けた顔を向けた。
「だってがくぽって、甘やかすの上手だし………すっごくいいパパになるもん………っっ」
「……………」
相変わらず、きゃー以下略なカイトと、そのくちびるからこぼれた『パパ』の言葉に、先とはまったく違う意味で固まるがくぽと。
「……よーするに、おにぃちゃんとがっくんの間に子供がデキたらって、ヲトメ妄想したってことだよね」
「うん。『がっくがくがおにぃちゃんのお父さんだったら』って妄想じゃなくて、おにぃちゃんとがっくがくの間にデキた子供の話だよね」
マスターの隣に座ったミクと、首にかじりついたままのリンがぼそりと現状をまとめる。
姉妹の総括に、レンは壮絶に顔を歪め、食って掛かっていたメイコへと縋りついた。
「いくらなんでも、ヲトメ過ぎんだろ………!」
ロイドに妊娠機能はない。
ついでに言えば、男同士だ。
十重二十重に、子供は出来ない。
――のだが。
「俺のこの見た形で、『パパ』か?」
「いや?ヘン?ん……っ」
問いにわずかに心配そうな顔となったカイトを抱き寄せ、がくぽはこめかみにくちびるを落とす。
膝に乗せると、首に腕を回したカイトへ悪戯っぽく笑った。
「そうだな……馴染みがない。しばらく、呼んでいてくれぬか?違和感がなくなるかどうか、試したい」
「んと、『パパ』?」
確認するようにつぶやき、カイトはがくぽの耳朶にくちびるを寄せた。
「パパ………ぱぁぱ………がくぽパパ………」
「どう責任取るつもりなのよ?!」
「責任問題に発展しましたよ?!」
ぐじぐじと泣きべそに陥ったレンを胸に抱いたままのメイコに迫られ、マスターは両手を掲げて降参ポーズを取った。
完全に逃げ腰となっているが、容赦してやるメイコではない。
なにより被害の甚大さが、容赦出来るレベルを軽く超えている。
「年末の大晦日の夜も夜中になって、こんな特殊プレイを目の前で見せられる羽目に陥ったのは、あんたが不用意なこと言うからでしょう?!どうしてくれんのよ!!」
本気で責められて、マスターの思考は高速で空転した。
リンを首にぶら下げたまま後ろへにじりつつ、ぴっと人差し指を立ててみせる。
「えええ、えええっと、えと………じゃあ今からラボに掛け合って、次の新型はがくぽさんとカイトさんの子供という」
「泥沼に泥船で漕ぎ出すんじゃないわよ!」
実に空転の産物らしいアイディアを、メイコは即座に却下する。しかしその理由は、多少普通と違うところにあった。
「あんたは言い出したが最後、絶対にやりきるから、なおのこと悪いのよ!!」
「しかし他に、どういう責任の取り方があると!!」
――メイコもマスターも、いい加減酔っぱらいだ。それも、大分飲んだくれた。
思考はどちらも高速で空転し、両手に長ネギを持ったミクは、それをフラッグ代わりにして二人の勝敗を逐一判定していった。
リンとレンはそれぞれの応援団と化し、組みついてぎゅうぎゅうと締め上げる。
現実逃避だ。いつもの通りに。
そしてこちらもまったくもって反省皆無でいつも通り、揉める家族の存在を忘れたがくぽとカイトは、ますます熱っぽく見合っていた。
「………ね、パパ……ぱぁぱ………がくぽパパ………ん、キス、したい………口に……ね………?」
「………いや、カイト、それは……」
「したいの……ね、ぱぁぱ………………」
「カイト………そのように愛らしく強請って………っ」
「ん、ちゅ………っ」
共に飲んでいたマスターやメイコと違い、がくぽはいくら一升瓶を抱え飲みしていても、酔わない。
酔わないが、口内にアルコールの名残があったり、香ったりはする。
そのくちびるに、熱が募って堪えられなくなったカイトがちゅっと音を立てて吸いつき、舌を潜りこませた。
しつこいが、がくぽは酔わない。
マスターと、旧型機であるメイコは酔う。
ついでに旧型機であるカイトも、もれなく酔う。それもたかが、ひと口で。
実に、極悪に。
「………マスター、思うんだけど。あたしたちが酒酔いだからって屋根に上るのを禁止するんなら、がくぽも禁止すべきだわ。あの万年カイト酔い!」
「めーちゃんに長ネギさんぼんっ!!これでめーちゃん、万能ネギ五十二本獲得ですっ!ちなみに万能ネギは、十本で九条ネギ一本と取り替えられます!!」
特殊ルールを叫んでから、ミクは改めてメイコに同意を示し、こくこくと頷いた。
「そうだよね!がっくんのおにぃちゃん酔いの凄まじさたるや、アルコールの比じゃないよ!だって酔いが醒める隙もないし!」
「完全にちゅーどくだもん!アル中、じゃないや、おにぃちゃん中、おにぃちゃん廃だよ!」
リンも叫び、マスターの首を締め上げながら顔を覗き込んだ。
多少の息苦しさに眉はひそめつつも、マスターが抗議することはない。軽く手をやって気道を確保すると、家族と現実から目を逸らした。
「私としては仕事に滞りが出ていないので、アル中でも廃人なんでも……」
「「「甘いっっ!!」」」
「えええー………っ」
姉妹三人に揃って叫ばれ、マスターは素直にギブアップする。
両手を掲げて降参を示した彼女に、未だメイコに縋りついたままのレンは落ち着きなく視線を移ろわせた。
「つかさ、マスター……まだ年も明けてねえのに、夢見がちなにぃちゃんと廃人の最ばか兄が、すでにその気満々に見えるんだけど!この場合って」
「年が明けていない以上、姫始めとは言えませんね!」
レンが訊きたかったこととは微妙にずれたところで応じ、マスターはこっくりと頷いた。
「いわば、姫納め!なんにしても、いい年の締め括り方には違いないと……」
マスターが皆まで言い切ることは出来なかった。
たかが口内の残留アルコールで酔っ払ったカイトと、常にカイトに酔っ払っているがくぽと、もろもろの現実から完璧に目を逸らしたマスターと――
だめなオトナたちへ、きょうだいは全力で叫んだ。
「「「「甘いっっっ!!!」」」」