「それで肝心の結論はどうなったんです?」

マスターはがくぽから貰った『充実のS嬢&M嬢人妻から女子校生まで、あなた好みの女をご近所で初回コール無料!』……うんたらかんたらと書かれた広告入りのポケットティッシュを弄びつつ、ミクに訊いた。

逆襲の売り

ちなみにがくぽはメイコには『女性限定高収入バイト1日から~日払いOK!!おさわりなし、おしゃべりだけでも☆』……うんたーかんたーと書かれた広告入りのポケットティッシュを渡し、リンとレンには『危険ドラッグ・援助交際・万引きは犯罪です!』と某桜田門のマスコットが叫ぶ広告入りの以下略。

いわば『元凶』であるミクといえば、マスターの問いかけにがっと拳を握り、力強く答えた。

「きもちわるかった!!かわいくって!!」

「なるほど」

マスターは、こっくりと頷いた。

「つまり、からかいゼロのまぢぽん1000パーのかわいこたん扱いに拗ね→がくぽさんは天岩戸なお部屋お篭もり中。と」

「あー………う」

叱るわけでもない。不愉快さもなく、いつも通り飄々と結論したマスターに対し、ミクは珍しくも非常に気まずい表情で言い淀んだ。

「それはちょと、チガウ」

「『違う』ほかになにか、あったんですかなんです?」

妙なイントネーションでの否定に、マスターはきょとんと瞳を瞬かせた。予測もつかないと、首を傾げ傾げ訊く。

ミクはそんなマスターから微妙に目線を逸らし、あらぬ方へとかわいらしく笑いかけた。そのまま、口を開く。

「んと、そのあと、おにぃちゃんに、ね『で、カゴ男子がっくんもやっぱり、カワイイ?』って訊いたら、……『うん、カワイイんだけど、今日の服だと、なー……。チロリアンドレス着たほうが、いいな!』って☆」

カイトを真似たのだろう。声音だけはひどく無邪気に弾んで言ったミクに、マスターは一瞬、咽喉に棒でも突っ込まれたような表情を晒し。

「まあ、なんというか、……そうですね。とてもよく、わかりました。それは、さすがにがくぽさんも、拗ねるでしょうね、天岩戸るでしょうね、天照らしちゃうでしょうね………」

つっかえつっかえのどもりどもり、なんとか感想を吐きこぼした。

とはいえ肝心のがくぽが聞いていたなら、茶化しているのか共感しているのか、相変わらずいい加減なマスターだとでも腐しただろう。

が、だからがくぽは現在、マスターやミクがのんびりとおやつをつまんで寛ぐリビングにはいなかった。

最愛にして唯一の情人から、ジョークの欠片もない本気の論評を与えられた挙句、女装を推奨されてしまった衝撃から、二階にある自室にお篭もり中だったのだ。

しかして補記するなら、がくぽはひとりでお篭もりしていたわけではない。

ぶすくれた顔で畳に胡坐を掻く『カゴ男子』の傍らには、カイトが神妙な面持ちで正座をし、控えていた。

そう。

がくぽはこれ以上なく拗ねておへそを曲げながら、未だしつこく籠を持ったままだった。

胡坐を掻いた膝に肘を置き、頬杖を突きながら、その腕に籠を提げたままだ。存在を忘れているわけではない。むしろこれが原因で拗ねているのだと、無言で主張しているのだ。

それが証拠に、籠はカイトの座る側に提げている。

カイトから隠すのではなく、決して誤魔化しも利かず、目に入る位置に。

「ぇ………と、ぉ………」

「………」

居心地悪くもぞつくカイトだが、がくぽはぴくりとも反応しない。ぷーんとそっぽを向いて――

とはいえ、出て行けとも言わない。

様子を窺われているのは、カイトにもなんとなくわかる。あくまでも『へそを曲げた』レベルで、本気で怒っているわけではないのだろうと。

それはわかる。

だからまだ、カイトのこの後のフォロー次第でがくぽはすぐにも『おへそ』を直すし、仲直りも簡単だ。あくまでもがくぽは、カイトのフォロー待ちだからだ。

カイトもまあ、自分がちょっと悪かったのだろうとは、うっすら理解している。ちょっとでうっすらで、曖昧にも程があるが、とりあえずで一応――以下略。

否、おっとりさんのカイトでも、そうまで鈍くはないし独善的でもない。

がくぽの性格や嗜好からして、カワイイ扱いが微妙であることは理解しているし、けれどかわいいはかわいいだし、だからといってやはり男相手にドレスを着ろと言うのは口が滑ったにもほどがあるし、しかしそもそもがくぽの美貌は単純な男性美とは違いドレスを着たところで違和感どころか反対方向で安心の水準で着こなすし今日の籠にはいつもの和装ではなく洋装でそれもどちらかといえば――

「ぁああぁうどつぼ………っ!!」

カイトは頭を抱え、小さく呻いた。

フォローを待たれているのはわかっている。

『どちら方面』でのフォロー待ちなのかもわかっている。

がくぽはことに我が儘な性格でもなし、逆にへそを曲げたままでいるほうが辛い性質だ。早くカイトを赦し、仲直りしてしまいたいだろう。そもそもが溺愛傾向の恋人でもある。今の距離でいいわけがない。

そんながくぽにこれ以上、チロリアンドレスを推奨してはいけないことくらい、カイトも重々承知だ。

承知してはいるが、カイトの度が過ぎたプロフェッショナル意識というものが、今日のネックだった。

カイトは他人に飾られるに任せておかず、どうすればもっと輝くかを自分でも常に考え、工夫する性質だ。とりもなおさずそれが『マスター』の教育で、躾の賜物ということだが。

しかしその結果、カイトの論評はおばか迷惑を極めるコイビト相手であっても、時として非常に厳しく、曲げ難いものとなった。

で、今日の今だ。

「ぅ、ぅううぅうう!」

カイトは頭を抱えたまま、高速で思考を空転させる。

さすがにがくぽがちらりと視線を寄越したが、懊悩に沈むカイトは気がつかなかった。

ぽやんと籠を提げた男子もといがくぽがカワイイというのは、カイトもミクに異論はない。

けれど欲を言えば、服装だ。

『籠』とひと口に言っても、和装でも違和感のない籠と、洋装だから合う籠というものがある。

そしてミクが、おそらく適当に掴んで持って来た今日の籠は、和装との相性が微妙だった。

ミクからすれば、『がっくんだしなんでもいいやー』というところだろうが、『他人』をコーディネイトしたときに微妙な結果に仕上げるというのは、少々まずい。家族であってもだ。単なる気まぐれの一時的な思いつきだとしてもだ。

なぜならミクは単なる『妹』ではなく、アイドル――トップアイドルだからだ。

コイツは結局、自分だけ良ければいいのかと思われると、人気が不動ではなく浮動に移りやすい。将来が危ぶまれる。再教育だ。

――というふうに、リビングでのんびりおやつをつまむ妹にも微妙な危機が確定していたりしたわけだが、今は目の前だ。

目の前のカゴ男子がくぽだ。

ただ、ひとつ重要なことを補記するなら、がくぽがカゴ男子である必要性はまったくない。カゴ男子として、なにかを極める必要は。

がくぽが未だ籠を持ったままなのは、コーディネイトし直せという要望ではなく拗ねている意思表示だし、今後こういった仕事が舞い込む予定もない。まあ、とりあえず、――今のところ。

しかしてカイトの空転する思考に、その当然の事実が入りこむ余地はなかった。空転しているからだ。だったら籠を取っちゃえばいつものカワイイ違う→カッコイイがくぽだ、ともならない。空転しているからだ。

カイトはひたすら、どうにかして『カゴ男子がくぽカンペキ』を、チロリアンドレス抜きで作らなければと――だから、思考が空転しているからだが。

「あっ、そうだっ」

はたと思い立って、カイトは頭を抱えたまま瞳を瞠った。

がくぽはいつも通りの和装だ。デフォルト服ではなく、あくまでも軽装、部屋着ではあるが。

逆にそれだからこそ、籠の種類にうるさくなったということもある。

今日のがくぽが選んだ着物はロイド用の派手なものではなく、ごく一般的な男性が着る、色も柄も非常に地味な、否、大人しいものだったからだ。

だが、とりあえずそこに関しては一度置くとして、髪型だ。

こちらはほとんど、いつも通りだ。頭上高くでまとめ、きっちりと結い上げている。

この髪を、解いてみたらどうだろう。

「あ。んっ!」

想像上のがくぽの髪をばらりと解いて流し、カイトは勝利を確信した。ぐっぐと、力強い拳を握る。

少なくともカイトが分析したところ、カゴ男子のジャンルは『ゆるかわ』だ。ゆるい雰囲気でかわいらしい。

ということは、今のがくぽのようにきっちりきつく髪を結い上げていると、緩い風味が薄れて違和感だ。

で、がくぽの髪を解く――と、きっちり感が薄れて、いい。そもそも、手入れが行き届いて流れの美しい髪だ。垂らしても十分、観賞に堪える。

「……あ、でも……」

きゅむっと眉をひそめ、カイトは顎に手をやって考えこんだ。

がくぽの髪は癖もなくきれいな直毛、ストレートヘアだ。言い換えれば、まっすぐ。

『まっすぐ』は、緩くない。語感の話だが。

ゆえにもう少しこう、毛先に遊びがあるといいかもしれない。軽く、それこそ『ゆるふわ』なウェーブが入っているとか、あとは、そうだ。後れ毛とねじれをうまく組み合わせたハーフアップにして、自然な感じで崩す。

「………っっ!!」

完全勝利の予感に、カイトの表情はきらきらと輝き出した。

――という一連を、わりとつぶさに見ていたがくぽだ。

「敵わんな」

なんとか頑固におへそを曲げていようと頑張ったが、無理だった。姉妹や弟相手には難しくない作業だが、カイト相手には非常な難行苦行だ。

それは、愛情の度合いに依らない。『カイト』というキャラクタゆえだ。

やれやれと、がくぽは目線だけで軽く、天井を仰いだ。頬杖をつく向きを変えると、カイトに視線を流す。

「カイト。勝手に俺を脱がすな」

「ひゃぅっ?!」

きらきらの想像をめくるめくしていたカイトだが、がくぽからの突然のツッコミに驚き、小さく体を跳ねさせた。

何事かとがくぽへ視線を戻し、いつの間にかこちらを向いていた瞳に、再びきょっと驚き、言葉の意味を追って考え――

「えっ、えっ、えっ?!ちが、ちがうよ?!ま、まだ、脱がしてないっ!!服は脱がしてないからっ!!」

懸命に、無実を訴えた。

が、これは別方向から見れば、自白に等しい。

『まだ』ということは、いずれは脱がす可能性があったということだし、『服は』と強調するということは、服以外のなにかどこかを、すでに弄り出しているということだ。

まったくなにも思い当たる節がないとは、言っていない。むしろ思い当たる節があり過ぎると。

あまりに素直だ。

「ふっ」

堪えきれず、がくぽは破顔した。吹き出して、次の瞬間。

「ぁっははははははっっ!!」

「ふえ……っ」

声高く、笑う。明るく弾けて、愉しげに。

皮肉もなく嫌味もなく、歪むことのない朗らかな笑いだ。がくぽが笑わないわけではないが、ここまで突き抜けた笑い方は、滅多にしない。

度肝を抜かれたカイトがぽかんと見守る前で、がくぽはしばらくそうやって高く笑い。

「『服は』、な……『服は』?」

笑いを残したまま言い、頑固に提げていた籠をぽいと捨てた。頭に手をやると結い紐を解く。ばさりと、光りの滝が散った。

「ふぁ……」

「おいで、カイト」

陶然と見惚れたカイトに、がくぽは笑って手を伸ばす。素直に腰を浮かせたカイトを抱き寄せ、胡坐を掻いた足の間に座らせると、がくぽは楽しそうに顔を覗きこんだ。

「それで髪を解いて……どうするこのままか結い方を変えるか」

「え、うん。ハーフアップにして……ぁぅうっ」

「ははっ!」

考えを読まれていた挙句、するりと問われて素直に答えてしまい、カイトは慌てて口を押さえた。がくぽはまた、笑う。

カイトは上機嫌ながくぽを恐る恐ると窺い、首を傾げた。

「がくぽ」

「次はドレスか着替えるか?」

「え、それは、えとっ……っ!」

がくぽの声音に皮肉も嫌味もない。とはいえさすがに今度はカイトも堪えて、ひたすらあたふたと、口をもごつかせて呑みこんだ。

そんなカイトに構うこともなく、がくぽはごく間近で、着物の襟に手を掛ける。軽く引いて崩すと、笑った。

「着替えずともならば崩すか?」

「ぁぅうぅっ………っ!」

気がつけば、がくぽが浮かべる笑みの種類が変わっている。先までの朗らかしいものではなく、欲を含んでどろりと蕩けた。

カイトは目元から一気に全身へと肌を染め、呻いて身を縮めた。

うっすらとした涙目で、切り替えの速い恋人を見上げる。

「おこって、ない?」

「そうだな」

おずおずと問われて、がくぽは目を細めた。

胸に抱きこむカイトからは、甘ったるい香りが立つ。好んでつけているバニラの香水の香りでもあるし、カイト自身の体臭でもあり――

「怒っていたが、少しばかりだ。もう醒めた」

言いながら、がくぽはさりげなくカイトの後頭部へと手を回した。後ろ首をさらりと撫でてやりながら、額にくちびるを落とす。

「なんであれ、お主は俺を常に、最上に飾り立てようと思考を凝らす。その結果だ。方向性ともあれ、手を抜くことなく全力を尽くす姿勢は、好ましい」

「んっ……」

ぴくりと震えたカイトが、顔を上げる。

熱を含んで潤むカイトの瞳にくちびるを寄せ、閉じた瞼に触れる。やわらかな皮膚の感触を愉しみながら頬を辿り、薄く開いて期待に震えるくちびるを軽く掠った。

「がくぽ」

焦れて呼ぶカイトに、がくぽの笑みはますますどろりと蕩けた。それでもすぐには応えてやらず、わずかに身を離す。

再び着物の袷に手を掛けると、がくぽは親切らしい声音で言った。

「とりあえずな、一度脱いでやるゆえ。俺が次に着るものはお主が選べ、カイト。なんでも言うなりに着てやろうよ。まあ言っても、一度脱ぐのが先だがな?」

「え、ぁ、ぁぅあゎわ」

慌てるカイトがこぼすのは、意味もない音の羅列だ。目元から頬から朱に染め上げ、あぶおぶと手を振る。

振る手はしかし、がくぽを止める動きにはならない。躊躇いながら、けれど止めない。止められない。

それは脱いだがくぽに、着せたいドレスがあるからではなく――

今度こそカイトの『期待』の方向性に満足し、がくぽは高らかに笑って襟を広げた。