者の不明

カイトはとてもきまじめな顔をしていた。あまりにまじめすぎて、もはや据わりきった目で、相対するがくぽを見る。

念のために補記しておくが、普段のカイトはおいそれと、がくぽにこんな目を向けたりしない。溺愛する恋人として、飽かず蕩けきった眼差しを向ける。

しかし今、カイトははっきり据わりきった目でがくぽを見ていた。

「あのね、がくぽ……エイプリルフールっていうのは理解するし、仕事として参加するなら、俺も全力を懸けるよでもね、個人としてはやっぱり、どういう場合でもウソってダメだと思う」

「あー……うん。まあ、そうかもしれんな……?」

見据えられているがくぽといえば、落ち着かない心地でそわそわと答える。どうしてこうなったのだったかと内心では頭を抱えているのだが、自制の強い性質だ。表情はそこまで困惑を露わにしていない。多少、戸惑っている程度だ。

そのがくぽに、とてもきまじめで据わり目なカイトは、ぴっと空を指差した。

「というわけで、ウソじゃありません。アレはUFOです!!」

「否、カイト………」

公園の上に広がる青空、4月1日という、春真っ盛りの暦に相応しく清々しい空を見上げ、がくぽは肩を落とした。

確かにそこには、ぷかぷかと浮いているなにかがある。

そしてこれを、UFOだと主張するカイトと、そうとは言えないと主張するがくぽとで現在、ちょっとした対立中だった。

暇かと問われれば、ことに反論する根拠もない。暇であればこそ、こうして昼日中の公園に散歩に来ているのだし。

で、件のなにかだ。絶妙な距離で、それがなんであるのかが、今ひとつわからない。

ただしがくぽに言わせればそれは、『わからない』だけのものなのだ。どう説明すればいいのか、というかどうしてこんなことになったのかも、ほんとうにわからないのだが。

わからないが、カイトは今、あの『UFO』に夢中だ。なにかしら納得させないと――欠片もらしさはないが――おさんぽを兼ねたデートにも、おうちにも戻れない。

一度首を振って思いきると、今度はがくぽがきまじめな、過ぎ越して据わった目となり、カイトを見た。

「別にお主の言っていることを、嘘だと糾弾しておるわけではない。ただしな、可能な限り、言葉は正しく使え。あれは正体が不明なだけだ。ゆえにUFOとまでは言わぬ」

「正体がわかんなくて、お空をぷかぷかしてるのを、UFOっていうんじゃあ、ないの?!」

古い物語にでも出て来そうな、厳格な教師の調子で説いたがくぽに、カイトは目を丸くして叫ぶ。

そのカイトの様子があまりに愛らしく、反射で抱きしめたくなったがくぽだが、くり返そう。公園だ。

二人とも仕事が夕方からで、昼間は暇だからと、花見がてらのおさんぽデートに出て来たところだ。

そう、花見がてらだ。

4月1日の本日、公園の桜は満開、天気は快晴。イコールで家族連れだの老人会だの、ランチタイムにぷち花見会を催す会社だのそういった人出目当ての的屋だのと、ご近所の小さな公園でもそれなりにひとが多い。

いくらご近所さまでは公然の秘密となりつつあるとはいえ、こうなると完全に訳知りのご近所さまだけがいらっしゃるわけでもあるまい。

芸能活動をしている身でもある。

おんもではそれなりに控えるべきだ。

――というような余計な自制も加わって、がくぽの様子はますます厳格な教師じみる。

「そもそも、UFOの正確な和訳だ。未確認飛行物体という。そしてこの場合の『未確認』とはどういうことかというと、単に『正体が不明である』ということに因らん。どちらかといえば、『現在の技術における再現方法が未確認である』ということをして、『未確認飛行物体』という。単に視認がうまくいかないということではない」

「ほぇ、ほぇー、ほぇええっ!!」

つけつけと説くがくぽに、カイトは目を丸くしている。一昔前に流行った、『知らなかった、驚いた』を表す押しボタンがあったら、連打してくれていそうな雰囲気だ。

ついうっかり和んで、がくぽは花色の瞳をやわらかに細めた。

ある意味、非常に鬱陶しい厳格教師モードのがくぽだ。他のきょうだいであれば、「うへえ」などと吐き出しながら白目を剥いてみせ、舌を出すだろう。

家族の中でこれにまともに付き合ってくれるのはマスターと、カイトくらいだ。

そしてがくぽにとって、それ以上の理解者もいらない。

他の場面であれば、そういったきょうだいたちもがくぽの理解者となることもあるし、がくぽもまた同じだ。常にすべてのきょうだいの理解者ではないし、それでいいと思っている。

眼差しとともに口元も緩め、がくぽは再び空を見た。

ぷかぷかしている。

で、あれはなんなのかという話だ。

相変わらず不明で、ここまでの説明もまるで役に立ってはいないわけだが。

「……実際、UFOだとして、『うまく視認できなかったもの』がネットに上がった場合、大体はそうではなかったというところに落ち着くしな。飛行の専門家や、そういった未確認案件の専門家に見せると、概ねは『確認済』物体になる。つまりは自分らの知識不足を便利にUFOという言葉にまとめて、無為と騒ぎ立ててはいかんという、戒めだが」

「ほぇえ……っ」

役に立っていない解説でも構わず最後まで聞き、カイトはにっこりと笑った。朗らかしく叫ぶ。

「ちむちむ!」

カイトの発想は突飛だ。

今日、がくぽはまるで気にしていなかった空にカイトは『UFO』を見つけたように、おそらく隣にいても見ているものと聞いている音が、同じではない。

どんなに溺愛を注ぎ、その言動のすべてをつぶさに見ているつもりでも、決して理解が及ばない。

ここにいるカイト――KAITOは人造物であり、それこそ『確認済』の塊だが、それでも思う。

これ以上に未確認な相手も、そうそういないだろうと。

「……チェリーか?」

「んぇえっとね、ちがくて。ええと、ふらんくろいどらいとじゃなくて、風呂板……」

「ぅん?」

カイトが並べていく謎の単語を、がくぽは辛抱強く聞く。急かしたり、自分で類推した答えを先に言うことは控える。

なぜなら今は休暇中であり、未確認な恋人をじっくり観察、確認する、またとない機会だからだ。

急いた自分が口を挟んでしまえば、未確認な恋人の未確認な部分がまた、隠れてしまう。

「ひっくり返って三角形でさんこのてーり、あ、さんこんさんの礼えっとぇえっと、さんごくしー、さんごくどーめいー、さんまのひらきーっ!」

完全に迷子だ。もはやなにから始まって、なにに終わるのかがまるで読めない。

それでもがくぽはカイトを自由に遊ばせておく。こういうときの恋人の無邪気なさまが、がくぽは愛おしくて仕様がない。

もしもなにか苦労することがあるとすれば、我慢ゲージがそのうち切れて、かわいい恋人を腕の中に抱きこみ、思う存分に愛で愛おしみたくなるという――

「んっひらいてとじて、おうちにかえる、ひっくりかえるびっくりかえる、ぷらぷらとんとんそっくりかえるーやたっ、ねっ?!」

「やれやれ」

カイト的にはどうやら、結論に辿りつけたらしい。満面の笑みでもって同意を求められ、がくぽは苦笑した。

付き合いの長さと深さもある。伊達にカイトの『遊び』に付き合い続けてもいない。だから推測は可能だ。

可能だが、完全な理解には程遠いというのに。

遊びに付き合うだけでなく、きっとがくぽは理解してくれると、その信頼がときどき怖い。

カイトの思考は突飛に過ぎて、長く付き合えば付き合うほど謎が深まるのだ。いつか信頼を裏切るのではないかと、どうしても蟠る危惧がある。

まるで遊びに付き合わないくせに、肝心のところでカイトときちんと通じ合うのはメイコだけだ。

二人で会話させておくと、時として空恐ろしくなる。

「ぷらぷらとんとん……プラトンで、となると、ソクラテスか……ちむちむな。『無知の知』か?」

ぱあっと表情を輝かせたカイトは、無邪気にがくぽに飛びつく。首に回った腕がぎゅうっと締められ、頬にくちびるの感触が、一瞬。

すぐに離れたカイトは、にっこり笑って頷いた。

「そうちむちむ!」

「否、ちむちむ言われたら、チェリーと答えるぞ、俺は……」

「ちぇり?」

どこか呆れたようながくぽのつぶやきに、カイトはきょとんとする。無防備だ。

「がくぽ、なんか、すごいこと考えるね?」

挙句、言うことがこれだ。がくぽのほうはますます苦笑して、軽く首を傾げてみせた。

「俺か俺のほうか?」

「うんすごい!!アタマいいけど、すごい!!」

「どういう言い回しだ、それは……」

純粋に褒められている気もしないが、カイトだ。褒め言葉に毒を混ぜるような、迂遠な皮肉や嫌味はやらない。

となれば、これは至極単純明快に受け取っていいのだろうが――

胸が締めつけられるような気分に襲われ、がくぽは頭を垂れた。カイトの耳もとにくちびるを寄せると、そっとささやく。

「キスしたい。どこに行けばできる?」

「んっ!」

わずかに触れたくちびるがくすぐったいと、カイトはひゅっと首を竦める。

無邪気な瞳ががくぽを振り仰いで、まじまじと覗きこんだ。

「やっぱりがくぽ、すごいこと考えるね」

「そう、んっ?!」

なにがすごいのだろうと問い返しかけたがくぽだが、言葉は呑みこまれた。

ほんのわずか、一瞬――がくぽのくちびるにくちびるを掠めてさっと離れたカイトは、呆然と立ち竦んで視線だけ追わせる恋人へ、にっこり笑う。

「おんなじこと、考えてたよっすごいよねっ!!」

「否、カイト……」

公園だ。晴天の昼日中であり、花見客で賑わっている。それぞれがそれぞれの団体さんとわいわいやっているとはいえ、まるでカイトとがくぽに目をやらないわけでもないだろう。タイミングが合えば、まさにその瞬間を目撃するかもしれない。

うれしさはあれ、どう伝えたものかと悩むがくぽに、カイトはぶんぶんと手を振った。

「だいじょうぶ、がくぽっエイプリルフールだからっ!」

「どこからがだっ?!」

懊悩一転、足元すべてが崩れていくような気分で愕然と叫んだがくぽに、カイトは声高く笑う。

もはやここが公園だとか、花見客で賑わっているだとかいうことは、がくぽの思考からすっぱんと飛んだ。

恋人のあまりにも必死過ぎる形相にも、カイトは構わない。つかつかと歩み寄って来たがくぽに、無邪気なしぐさでぎゅうっと抱きついた。

「カイト」

「うんっ。あのね、エイプリルフールでしょあとは、『UFO』もいるからねっ?!ちょっとくらいなら、どーどーとしてたら、だいじょーぶなんだよ、今日っ!」

がくぽにぎりぎり聞こえる小声で、しかしそれこそ堂々と主張する。

確かに今日は4月1日、エイプリルフールだ。ウソツキの日、だれかを公然と嵌めて騙しても赦される日とされる。

であれば、がくぽとカイトがちょっとばかり人前でいちゃついたところで、ネタだと言い張れば済むと――

さもなければ、あの空にぷかぷかしている謎の飛行体に意識を逸らしたから、二人のいちゃいちゃなどだれも見ていないと――

そんなわけあるかと、思う。

無茶苦茶を言うと。

思っても、締めつけられていた胸が緩む。

がくぽは抱きつくカイトをきつく抱き返すと、大声で笑った。