炎帝遊戯
にっこり笑うと、がくぽはぱんと大きくひとつ、手を打った。
「よし、ではこれより、古式ゆかしき夏のお約束『あついと言ったら負けよ★』ゲームを開始する!」
「「「えーーーーーーーーっっ!!」」」
開催宣言とともに、リビングに集っていたミクにリンとレンの弟妹から、大ブーイングが巻き起こる。
しかしがくぽは、もはやわざとらしい以外のなにものでもないにこにこ笑顔できっぱり聞き流した。
「時間は、そうだな。一時間としよう」
にこにこ笑いながら、ひとり勝手に話を進めていく。
「というわけでな、弟妹どもよ?これからの一時間の内に、『あつい』だの『ホット』だの、それに類することを言ってみよ?罰ゲームとしてお兄様が、愛情たっぷり全力のみっちり五分間ハグをお見舞いしてくれる」
「ぅっわーあ…!がっくんが捨て身でイヤガラセだ!」
「イヤガラセ?!ちがうよ、セクハラだよぉ、がっくがく!!」
「つーか、クソ暑苦しいわ、最バカ兄!」
「はっはっはっはっはっ!」
激化する抗議に、がくぽは胡散臭さしかない高笑いを返した。その手が素早く伸び、レンを捕まえる。いろいろ迂闊な弟が事態を把握するより先に、小柄で華奢な体を全力で抱きこんだ。
「もがぁーーーーーーーーっっ?!」
「だからなおとうとよ、言うたならヤると、俺は先に説明したであろうが。兄に二言はないぞ?なあ、いもうとどもよ、そうであろう……?」
「わあーい、がっくんがマヂギレだーぁあい……」
全力で暴れもがくレンを難なく抱きこみ、にこやかに念を押すがくぽから醸されるものだ。
ミクは天を仰いだ。その両手が、小さく掲げられる。降参のそれだ。
『お兄様』へ服従の意を示しつつ、ミクは殊更に愛らしいしぐさで小首を傾げてみせた。
「でもさ、こういうのって普通、クーラーがんがんに効いた部屋でやるもんじゃぁ、ないよねー…?」
「そのがんがんに冷えた部屋でぴーちくぱーちく、文句を垂れておったのはどこの三匹だ」
どこの三匹と言って、ここの三匹もとい、ミクにリンとレンの三人だ。
ミクにリンとレンの三人は暑さに弱いロイドの特権とばかり、一般家庭より遥かにクーラーを効かせたリビングで、それでも暑いあついとクダを巻いていた。がくぽ相手に。
だってちょうどいたのだ、そこに。絡みやすくてすごく遊び甲斐のある二番目のおにぃちゃんが。
しかしていくらなんでもやり過ぎた結果が、今のがくぽである。
まあ、だから暑いのだ――クーラーの効いた部屋にいようとも、そこだけを生活空間にしているわけではない。八月も半ばとなれば確実にストレス値は高く、些細なことでも気に障る。いわば、太陽が眩しかったから、だ。
というわけで、常には鷹揚かつ寛容に振り回されてやるがくぽも、さっさと堪忍袋の緒を切った。
「こんなのゲンロンダンアツだよー、ヒョウゲンノジユウノシンガイだもんー……!」
「ああ、むつかしい言葉知ってんね、リンちゃん……」
めそべそと抗議しつつしがみつくリンに、さっさと降参してしまった小さい姉はポイントを外して返した。
それ以外にやりようがないのだ。
常にはその振り回しぶりから、がくぽに小悪魔と認定され、恐れられる妹たちだ。
しかしてこういう方向にキレた次兄は、妹たちの手に負えるものではなかった。今、腕の中で抱き潰されている弟など、もっとだ。
この状態になってしまった次兄と対等にやり合えるか、もしくは勝てる相手となると、
「みんなー、おやつ…って、あれ?なにこの空気」
「「おぉにぃちゃぁあああんっっ!!」」
――まさに神の采配とでも言えばいいのか、小悪魔妹たちには、バックに魔神がついているとでも言うのか。
このタイミングでリビングに顔を出したのがカイト、年功序列を重んじる性質の次兄より上位にあたる、長兄だった。
つまり、アレ方向にぷっつんキレてしまったがくぽと対等にやり合えるか、もしくは勝てるかする家庭内勢力のひとりである。
本日のおやつ当番であったカイトは、準備ができたとキッチンから弟妹を呼びに来て――このざまだ。
動揺から、がくぽは一時的に固まってしまった。レンを全力で抱え潰したまま、咄嗟に身動きが取れない。
対して、妹たちは身軽だった。飛び上がると、リビングに満ちる異様な緊迫感にきょとんぱちくりとしているカイトに駆け寄ってしがみつく。
「ぉにぃちゃぁあんっ、がっくんが、がっくんがねー?!」
「がっくがくがヒドイのぉ、おにぃちゃぁあんんっっ!!」
「あ、こら、お主らな…!」
動揺極まるがくぽがレンを抱えこんだままあたふたとしている内に、ミクとリンは次兄の『悪行』ぶりを長兄に言いつけてしまった。
「ほぇ…」
言いつけられたカイトといえば、いつも通りのおっとりほわわんな風情で、軽く首を傾げる。上から下から改めてといった様子で、がくぽを見た。
「で、えー……と?早速レンくん?…が、その状態?なんだ?」
「まあ、そうだな……」
こうして『第三者』に冷静に指摘されると、さすがに頭が冷える。自分の大人げなさが身に沁みて、いたたまれない。
そもそもがくぽは、そうそう激情型というわけでもないから、ちょっとすればすぐに醒めるのだ。しかも指摘した『第三者』が、カイトだ。ますますもっていたたまれないこと、このうえない。
がくぽは気まずく視線を泳がせた。とりあえずは、完全に『落とし』た弟を何気なさを装い、ぺいっと床に捨てる。
言うまでもないことだが、とりあえずの選択がひどい。
「あのね、がくぽ…」
「ぁー…、はい」
妹たちに離れてもらったカイトは、がくぽの前にやって来ると、至極まじめな顔で見上げた。つまり背丈の問題でがくぽのほうが『上』にいるわけだが、態度は真逆だ。実際の力関係もだ。
神妙な顔つきでうなだれるがくぽの目の端、カイトの背後では、勝利を確信した妹たちがきひきひと嗤っているのが見えた。が、怒るどころか構う気にもなれない。
とにかく今は、目の前に立つ長兄であり、同時に溺愛する恋人だ。それから下される裁定だ。
殊勝らしくしおれるがくぽを、カイトは柔和ながらも真剣な眼差しでじじじっと見つめた。
「俺とがくぽって、コイビト同士だよね?それも、ふっつーのコイビト同士っていうんじゃなくて」
「ぅん?」
お説教待ちわんこモードに突入していたがくぽは、まるで想定外の切り出しに頭が追いつかず、瞳を瞬かせた。
がくぽが理解していないことは傍目にも明らかだったが、カイトは構わない。あくまでも生真面目に続ける。
「あっつあっつの激ホット、灼熱レベルにおアツイ、コイビト同士だよね?」
「うむ、まあ、――だな……?」
話の流れがまったく読めない。とはいえ、否定すべき内容でもない。まったくその通りだ。
首を傾げて眉をひそめてと、戸惑いながらも頷いたがくぽを、カイトはひたすらじじっと、じじじっと見つめた。
「ね?」
念を押す。語調が強い。併せてカイトの両腕が小さく開き、なにかを招くように揺れた。
「ぅんっ?」
「ぅあっ!」
「あぁあ…っ!」
「んっげ…っ」
――がくぽとミクにリンとレンの弟妹が、長兄の意図に気がつくのはほとんど同時だった。
そしてその反応といえば、非常に対照的だった。逆転の瞬間とも言える。
それまで勝利の予感に輝いていたミクにリンとレンの年少組弟妹は敗北感に打ちひしがれ、絶望を浮かべてがっくりと床に手をつき――
「あー…カイト」
無意味に空咳を吐き出してから、がくぽはおもむろに口を開いた。
「つまり、この部屋に入った以上、お主ももれなくゲームの参加者と見なされるわけだが………ルールは、理解しておろうな?」
「うん」
空々しく訊くがくぽに、カイトは神妙な様子で頷いた。が、眉尻や口の端といったものが、堪えきれずにひくついている。
がくぽもまた、ともするとやに崩れるのを懸命に堪えつつ、どうにかこうにか重々しい調子を保って続けた。
「ずいぶん『いっぱい』言うたものだな?三つ以上だったぞ――これは気を入れて仕置かねばなるまい!」
「うん。ぇと、はい。カクゴはできてます」
「ふっくっ!」
しおらしく答えたカイトに堪えきれず、がくぽはとうとう吹き出した。今度の笑いに、わざとらしさや胡散臭さはない。
ただ朗らかな歓びに満ちて、がくぽは笑って両腕を広げた。
「その意気や良し!良き覚悟だぞ、カイト!ならば俺も全力をもって応えよう!」
「ふっひゃ!」
大仰なしぐさで抱きこまれ、カイトもまた、堪えきれなくなって吹き出した。笑いながら、自分からもきつくがくぽに抱きつく。
「こんなにぎゅーされたら、あっついよー、がくぽ!いっくら俺たちがアツアツホットなコイビト同士でも、やっぱ、あっついものはあっついよねー♪あっちっちーだよー♪」
「ぬ、まだ言うか、カイト……反省が足らんな!もっともっときつく仕置いてやらねばならんか?!」
「んっひゃひゃっ!」
がくぽもカイトも非常に楽しげに、生き生きとして茶番劇を続ける。いくら平均よりクーラーの効いたリビングとはいえ、暑苦しい以外のなにものでもない――
もはや手をつくどころでなく、脱力しきって床に転がったミクにリンとレンの三弟妹は、虚ろな目を見交わした。
「わかってた……ボクわかってたよ、ほんとは……こうなるだろうなーって、わかってたさ………わかってたんだよほんとだよ……?!」
「もぉリン、がっくがくのいるとこで、夏にモンク言ったりなんてしないわ……絶対よ。ぜったいによ……!」
「つーか、なあ…」
めそべそぐすぐすと反省会をくり広げる姉妹に、もはや目を開けている気力すら失ったレンは、ぐったりと瞼を落とすと告げた。
「床って、冷てーな…!床キモチイイ……おんなじカタいっても、床って、冷たくてキモチイイんだな……っ!」