くままくまくま

状態は明白だ。カイトと同衾している。

しかしてどうしてそういうことになったのか、状況が呑みこめず、がくぽは布団の中でクエスチョンマークを量産していた。

――確かいつも通り、廊下でおやすみの挨拶をして、互いの部屋へと別れた。

で、がくぽだ。

風呂を済ませた段階で寝間着には着替えているから、あとは押し入れから布団を出して、延べて、――

けれど延べた布団にすぐさま入ることをせず、がくぽは明日の仕事の確認を軽く――かるーく――かるーーーく………――

何度確認したところで、今さら新発見などない。

がくぽ――あるいは『神威がくぽ』というシリーズ――は、本番も前夜とまで迫ってから見落としが発覚するような、そんな手抜かりを起こす性質ではない。

ましてや今は閑散期で暇、もとい、余裕がある。いくつもの仕事が重なり絡み合っている繁忙期ならともかく、ますますもって手抜かりなく怠りなく、夕飯の前にはすべての準備が終わっている。

「………終わっている。はずなのだが、な……」

なんだか尻がもぞついて落ち着かず、がくぽはもはや惰性でしかない『明日の確認』を無闇とくり返してしまう。

相応の準備と緊張を強いられる仕事であることは、確かだ。今が暇な時期であり、つまり精神バランスを整えやすい時期であればこそと見こんで、マスターも入れた。

それでも、今夜やるべきことといえばもう、ただひとつだ。

きちんと寝て、体調を万全に整えること。

――だからこんなふうに、いつまでもいつまでもいつまでも延々とくり返しくり返していつまでも、『明日の確認』などに時を費やしていてはいけないのだ。

もはやがくぽがすべきは、延べた布団、これに入ること、布団に入ったなら、明日の朝までぐっすり眠ること。

これのみで、これ以外にもこれ以上にも、優先されるべきはない。

そもそも、どれほど繊細に、緻密につくられたとしても、がくぽはロイドだ。人間ではない。『睡眠』といったところで、その様態はひとのものと、やはり微妙に違う。

ひとであればたとえば、布団に入ったところで緊張して寝つけず、朝までまんじりともしないなどということもあるだろうが、ロイドは違う。

『寝る』と決めてモードを切り替えれば、精神状態如何に因らず、寝る。それはもうぐっすりと、規定の休眠時間を満たすまで、よほどのことでもなければ起きることもないし、いわゆる『眠りが浅い』といったことも起こらない。

だから、『寝れ』ば、寝るのだ。

なので、寝ればいいのだ。

「ぅ……っ」

わかっていて割りきりきれず、もぞつく尻に任せて無為にうろつくからもう、がくぽは自分が情けない。

情けないし、不甲斐ないし、こんなことがうっかり迂闊に、弟妹にばれでもしてみろというのだ。

――遠足前のS学生ーーー!

やーいやぁいと、情け容赦の欠片もなく囃したてる声がもう、聞こえてくるではないか。

否、むしろ近いのは試験を間近に控えた受験生のほうだとか、反論がすでに五十歩百歩で、泥沼化を招きこそすれ、なんの慰めにもならない。

というわけで、もはや猶予はない。否、なぜ、なんの猶予が、どうないものか、まったく意味が不明だ。

いったいどうして、なんの猶予がなくなったものかまったくわからないのだが、しかし猶予はない。ないのだ。

今こそがくぽは潔くきりをつけ、照明を落とし、お布団に入っておねんねこと――

「ぐ……っ、ぬぅ」

無力感に頽れてすら布団に入れず、がくぽは畳に手を突いて呻いた。

その突いた手のすぐ前、ミリ単位ほどしか離れていないまさにそこに、布団がある。が、そのミリ単位が驚くほど遠い。埋まらない埋められない縮まらない入れない入らない。

暇な時期であれば、こういった精神バランスの崩れも立て直し易かろうと、組まれた仕事だ。負担はもとより十分に説明され、がくぽも理解したうえで了承し、受けた。

そう、マスターから一方的に命じられたのではない。

負担が重いと思えばこそ、マスターもがくぽの同意を取り、今日まで注意深くスケジュールを組んできた。

それで、これだ。

この結果だ。

自らの不甲斐ないこと――

「がーくーぽー」

「っ?!」

ことととん、と。

指一本で触れるように軽く、小さく扉がノックされ、同じほど潜められた声が呼ぶ。

深夜だ。家族もほとんどが寝て、家の中外の静けさたるや、針が落ちた音でも響きそうなほどだ。かてて加えて今のがくぽには、諸々後ろめたい自らの状態というものがある。

比喩でなくびくりと跳ね上がったがくぽは、咄嗟になんとも応じられなかった。

だとしても照明は点いており、漏れだす光があって、部屋の主が未だ起きていることは外からも明らかだ。

ノックの主、カイトといえば、がくぽからの応えがあるかないかなど、気にしなかった。否、より正確に言えば、いつも通りだ。ほとんど言いきると同時、応えられる速度を超えて、扉を開く。

パジャマ姿で枕をだっこしたカイトは、凝然と見つめるがくぽへにこぱっと、満面の笑みを向けた。それで、目元をほんのりと朱に染め、いって曰く――

「きちゃったー☆」

→で、至る現在。

である。

照明を落とし、がくぽは布団に入っていた。曰くの『きちゃった』カイト、恋人を、しっかり抱きこんでである。

実のところ『きちゃったー☆』からここに至るまでのがくぽの記憶は、ひどく曖昧だ。

つまり、カイトだ。恋人だ。相愛にして最愛、最愛にして相愛たる相手が、だ、枕をきゅうっと抱き、少し照れたように、はにかみながら放った『きちゃったー☆』の衝撃たるやまさに凄まじく、なぜといってがくぽは過ぎる緊張に神経が尖っており、いつも以上に刺激に敏感、過敏となっていたためなのだが、とにもかくにも、がびんとやられた。

思考が完全に弾けて飛んだ。白飛びだ。明日の手順や諸々、すべてがきれいさっぱり、きらきら光るお星さまのお友達となった。

――であれば再び『明日の確認』をやり直さなければと。

思考の端を過ったアイディアは、誰でもないがくぽ自身によって一瞬で、あえなく却下された。

それでがくぽはただひたすら、『だっこだっこー』と強請る恋人を抱きしめ、ねこのように懐く頭に顔を埋め――

クエスチョンマークを量産している、現状。

なにあれ、照明を落として布団に入るところまでこぎつけられたのだ。

これ幸いと睡眠モードに切り替え、明日の朝までぐっすり眠れば良い。

カイトは非常に愛らしく『きちゃったー☆』などとは言ったものの、だからといって、夜の恋人らしいあれやこれやを強請るわけでもない。

――はいはいがくぽー、♪寝って寝るねる、寝るねる寝ーるねっ♪

妙な節回しで言いながらがくぽとともに布団に入り、だっこだっこが完成してからはのどをごろごろ鳴らし――

これはさすがに、がくぽの幻聴だが。

「………カイト」

「ちがいまーす」

抱く腕は緩まないが、寝に入るにもなにかが落ち着ききらない。

とうとう声を上げたがくぽに、カイトは潜めながらも初めと同じ軽さで答えた。答えたが、その答えだ。

「なに?」

照明を落として暗く、これほどの至近距離であっても表情などつぶさには見えない。

それでもがくぽはわずかに腕を緩め、懐くカイトの顔を覗きこんだ。

そう、まったく鮮明に見えるものなどない、暗がりだ。であってもがくぽには、見返すカイトの浮かべる、眩しいほどにきらめく笑みが見えた。

眩しいほどにきらめいて、どこか悪戯っ気を含んだ。

「俺は『カイト』じゃ、ありません。抱き枕、ぇっと、等身大だきまくまんでーす」

明るく言い放ち、へにゃんと笑み崩れて、カイトは離されたがくぽの胸へ再び、懐いた。ごろごろと、機嫌よく鳴るのどが――

聞こえるのは、完全にがくぽの幻聴だ。

幻聴だが。

つぶさには見えないつむじを見つめ、がくぽは愕然とこぼした。

「その手があったかッ………っ!!」

「ふっひゃっ!」

愕然としながらも抱く力を戻したがくぽに、腕の中の恋人、もとい『抱き枕』が、堪えきれず吹き出す。

吹き出す機能付きの抱き枕など聞いたことはないが、だとしても今、がくぽの腕の中にいるのはコイビトではないという。

夜に忍んで来たなら相応の扱いが必要な、あるいは先までの情けない、不甲斐ない自分を、別の意味でもって弟妹以上に見られたくない、見せたくない――

夜のコイビトではないから、ひと時の忘却を求め、溺れこむことはできない。

イキモノですらないから、愚痴や弱音をこぼして甘え、慰めてもらうこともできない。

ただ、抱いて寝るだけのモノ。

ことさらに肥大して甘やかしてくれることはないが、より良く寝ることを、なによりも助けてくれる。

なぜなら今夜、がくぽの腕の中にいるのは恋人ではない。『抱き枕』なのだ。

それは詭弁だ。

詭弁だが、それによって伏せられる条件がある。付せられる条件があり、見ないふりをして、なかったことにしてもらえることがあり、諦めた願いを掬いとって――

「カイト。ああ、否………」

凝って身動きの取れなくなったがくぽのため、コイビトが絞ってくれた知恵はやわらかく、けれど芯がある。

その芯ゆえに崩れきらず自尊を保ち、がくぽは曰くの『抱き枕』のつむじへ頬をすり寄せた。

「――まあ、理解はしたのだが、な。概ね了承はした。………のだが、ひとつだけ。――いいか?」

強請りながら、がくぽはすり寄せた頬を離し、抱く腕からも力を抜いた。『抱き枕』らしく黙って、ただ炯炯と瞳を光らせて見返してくるカイトへ、構わず微笑む。

「『おやすみのキス』を」

おねだりに、カイトはぱちりとひとつ、瞬いた。

瞬いて、がくぽを見つめ、数瞬。

「――よいでしょう」

「く……っ」

ことさら重々しく返されたご了承に、がくぽは堪えきれず吹き出した。

口づけてからだと思いながらも抱く腕に力が戻って、がくぽはくつくつくつと、しばらく笑いの発作と格闘させられた。

「………ことが終わったなら『ホンモノノカイト』を抱いて、寝たいものだよなあ」

ややしてようやく至れた『おやすみのキス』ののち、そらっとぼけた調子でつぶやいたがくぽに、カイトは今度もまた、数瞬の間を置き。

「――ゆるしてしんぜましょう」

やはり、ことさらに重々しく返して、がくぽの眠りを至福に誘った。