「んーしょっと」

窓辺に吊るされていく、いくつもの白いひとがた。

掃雲娘

見たことこそ初めてだが、がくぽに事前に入れられた知識によれば、それは「てるてる坊主」というものだ。

布や紙を丸めて頭にし、上に大きな白い布巾を被せて、首にリボンを巻いて。

顔には、油性マジックで「へのへのもへじ」やくるくる回る目が描かれ、しかもひとつひとつみんな顔が違う。

見ているだけでも楽しくなってくるようだ。

が、どうにも気になる点がひとつふたつ。

「カイト殿」

「ん?」

十幾つもつくったてるてる坊主をリビングの窓辺に吊るしていくカイトに、がくぽは遠慮がちに声を掛けた。

ごく楽しそうな彼を落胆させるのは本意ではない。たとえば、普段から小言ばかりこぼしているとしても、別に彼を虐めたくてそうしているわけではないのだ。

ただ、彼を見るとなにか口出しせずにはおれないだけで。

「それ…」

「うん。てるてる坊主がくぽ、見たの初めて?」

「初めてだが…」

屈託なく笑われ、がくぽは言い淀んだ。

しかし、このおとぼけさんな先輩は、はっきり言わないと伝わらないことが多い。

それに、ほかのきょうだいが見ても必ずツッコミを入れるだろうし、それなら傷が浅いうちに修正してやるのが情けというものだ。

がくぽは曖昧に首を傾げ、吊るされたてるてる坊主を指差した。

「それ…飾り方が、逆ではないか?」

「ぎゃく?」

カイトがきょとんとして、自分が窓辺に飾ったてるてる坊主を見上げる。

どれも皆違う、かわいらしい顔が描かれたてるてる坊主は、揃いも揃って頭を下にして、逆立ちした格好でぶら下がっていた。

がくぽの知識によれば、それでは逆さてるてると言って、晴れるどころか雨降りになってしまうという、呪いアイテムだ。

しかも、顔を描きいれるのは晴れになったときのご褒美のはずで、今描いてしまうと雨になるという、二重トラップ。

「晴れを願うなら、頭を上にするべきであろう顔にしても、いや、かわいらしいとは思うが…」

もしかしたら知らないかもしれないと思って言葉を足したがくぽに、カイトは自信満々に笑った。

「いいんだよ、これで。雨が降ってほしいんだもん」

「雨が…降ってほしい?」

どうやら意味はわかってやっていたことのようだが、その意外な願いに、がくぽは花色の瞳を見張った。

だれも彼もが雨が嫌いだと言うつもりはないが、陽だまりが好きな彼が雨降りを願うのはずいぶん意外な気がした。

梅雨の時期など、じめじめするばかりで陽も差さず、大好きなひなたぼっこもできないで、さぞや不満があるだろうと思っていたのに。

意外さを隠しもしないがくぽに、カイトは笑って、吊るしたてるてる坊主をつつく。

「うん、まあ、個人的な話をすれば、雨降りよりお天気のほうが好きなんだけど。たださ、この間、めーちゃんとミクとリンちゃんが、新しい傘とレインブーツを買ったじゃない早く出番が来ないかなって、天気予報とにらめっこしてるからさ」

「そうなのか」

みんなのおにぃちゃんとしては、微力ながらお手伝いしようとしているらしい。

姉妹のためのささやかなアイディアを全力で提供するのは彼らしくて、がくぽはやたら気合いを入れてつくられたてるてる坊主たちを眺める。

「それにしても、また新しいものを買い求めたのか」

確か今持っている傘やレインブーツも、去年買ったばかりだと言っていたはずだ。流行があるから、去年のものが使えない、と言いたがる声はわかるが、それにしても。

わずかに顔をしかめたがくぽに気がついて、カイトが笑う。

「違うちがう。買ったって、自分たちのじゃないよ。マスターの買ったの」

「マスターの?」

「そう、マスターの。めーちゃんとミクとリンちゃんの三人でおこづかい出し合って、お店回り倒して、買ったの」

まるで自分もその一味であったかのように楽しげに言い、カイトは床に置いてあるてるてる坊主を取るとまた窓辺に吊るした。

もちろん、頭が下になるよう、注意深くバランスを整えて。

「あのさ、マスターって、俺たちロイドのものはいくらでも買ってくれるんだけど、肝心の自分のものって、さっぱりなんだよね。俺たちでお金遣い果たしてるってわけでもないんだけど……。ほっとくと、壊れても破れても気にしないで古いものとか使い続けてるからさ」

「それは、愛着があるとか、古いものが好きだとか…」

「うーん。そのうちがくぽもわかると思うけど、あれはそういうんじゃないよ。ただの無頓着」

カイトにきっぱり言い切られるのだから、余程だ。

微妙な表情になったがくぽに、あくまでも楽しげに笑うカイトだ。

「だからさ、俺たちで注意して、いろいろ用意してあげないといけないわけ。で、今回、めーちゃんとミクとリンちゃんで傘とレインブーツを買ったんだけど…」

「マスターも楽しみだろうな」

先回りして言ったがくぽに、カイトは違うと首を振る。

「まだ渡してないの」

「なに?」

「だから、雨が降ったら、その日のお出かけのときに、サプライズであげようとしてるんだよ」

悪戯好きの姉妹たちの考えそうなことだ。

だれから言い出すでもなく、自然とそう決まったであろうことが予想されて、がくぽは軽く天を仰いだ。

それから、朝観たテレビの天気予報を思い返す。そのときの、姉妹たちの様子も。

「……しばらく、雨は降らなさそうだったな」

「そうなんだよね」

で、この逆さてるてるの大群と相成るわけだ。

リビングにこんなものが大群である時点で怪しさ全開だが、カイトがそれに気がつくことはない。

姉妹たちが全力でツッコミに来ることが容易く予想できたが、がくぽはこれ以上なにか言うのを止めた。

なんだかんだ言ってもおにぃちゃんに甘い姉妹たちだ。

ツッコミはするだろうが、本気で叱ったり喧嘩になったりすることはあるまい。

むしろ、そんなおにぃちゃんがかわいいと愛でられること請け合いだ。

「…」

そこまで考えて、がくぽはわずかにもやっとした。

カイトばかりかわいがられて、と嫉妬したわけではない。あの姉妹たちに「かわいがられる」ことを考えると、想像だけで全力で逃げ出したくなる。

むしろどちらかというと、そんなふうにして、カイトのことをおおっぴらにかわいがれる姉妹たちに。

「…?」

それもおかしいな、と考え、がくぽは腕を組むと渋面で首を傾げた。自分で自分の思考がわからない。

「…がくぽ、雨嫌い?」

逆さてるてるをつつきながら、カイトが小さな声で訊く。

湖面のような青い瞳がゆらゆらと、がくぽには読み切れない不可思議な感情を宿して揺らいでいる。

「…まあ、好きではないな」

なんの気なしに、答える。

ちょっと雨に濡れたくらいで錆びるようにはできていないから、そういう意味では嫌いではないが、じめじめした空気がうっとおしいことは確かだ。行動を制限されるのもおもしろくない。

「うん。でも、ちょっと我慢してね。プレゼントしちゃったら、もういいから。ちゃんとしたてるてる坊主に変えるから」

「…」

申し訳なさそうな声音の意味するところがわからず、がくぽはわずかに首を傾げ、自分の渋面に気がついた。

おそらく、カイトは誤解したのだ。

雨が嫌いなのにこんなに逆さてるてるなど飾られて、がくぽを不愉快にしたと。

ずいぶん難しいことではあるのだが、がくぽは意識して表情を緩めると、逆さてるてるをつついた。

「雨が降るのが梅雨というものであろう。梅雨が好きでなくとも、空梅雨の弊害くらいは理解している」

「うん」

神妙に頷くカイトに、迂遠に言っても仕方がない。

がくぽはざわつく駆動系に叱咤を送り、声を弾ませた。

「俺だとて、新しい傘とレインブーツを贈られて驚くマスターの顔が早く見たい。きっとはしゃぎまわるだろうな?」

「…うん。うん!」

とはいえほんとうに見たいのは、プレゼントを贈る得意げな姉妹たちと贈られて驚くマスターを、うれしそうに見守るカイトの、雨降りなのに晴れやかな笑顔だ。

ぱ、と顔を輝かせたカイトに笑いかけ、がくぽは床に散らばったてるてる坊主を拾った。

「微力ながら手伝おう。貴殿の背丈では高いところに吊るすのは難儀だろう」

「うんありがとう、がくぽ!」

力いっぱい頷いたカイトが、伸び上がる。

しまった、と思ったときにはもう遅い。伸ばされた手ががくぽの頭を引き寄せ、頬にくちびるが当たった。

「…カイト殿……」

挨拶のキスの習慣がないがくぽは、ひたすらに困惑して凝固するだけだ。

カイトに他意はなく、ただ純粋に感謝を示しただけなのだとわかってはいるが。

そのがくぽの頭をぎゅ、と抱きしめてから放し、カイトは陽だまりのような笑顔を浮かべた。

「がくぽもお手伝いしてくれるんだもん。きっと明日には雨が降るよね!」

「……それはさすがに無理だろう……」

無邪気な物言いに、がくぽは小さく肩を落とし、どぎまぎと暴れ回る駆動系を持て余して天を仰いだ。

窓の外は、雲ひとつない爽やかな青空だ。